きっとどこかで

天川累

きっとどこかで

今、夢を見ている。

バカバカしいほど現実味のない夢。その町はとても綺麗に整備されていて、瓦礫どころかゴミの一つも落ちていない。空は青く澄み渡り、所々に緑が生い茂っている。町の至る所に美味しそうな食べ物と安全な飲み水が用意されており、争い合っている人なんているはずもなく、みんな笑顔で家族や友人と何気ない会話を楽しそうにしている。


「ワン!」


どこからか犬の声がする。犬、、、ジェスティフだ。飼っている訳ではないけど、何故か懐いてくれる近所の野良犬。はっきりとジェスティフの声がした。しかし、姿は見えない。


「ジェスティフ、どこにいるの。」


そう叫びながら辺りを探す。路地裏の影、茂みの中、空き家のガレージ、どこを探しても現れない。


「ワン!」


また声が聞こえた。おかしい。姿は一向に見えないのに声は近づいている気がする。


「ジェスティフ、出てきてくれよ。いるんだろう。」


階段状に並べられた廃車に登って高いところから見渡す。やはりどこにもいなくてそのまま腰を下ろす。なんだか視界が悪くなって、その癖声だけはどんどん近くなって意識が遠のいていく。


「ワン!!」


耳元でひどく大きな声で吠えられた。慌てて目を覚ます。目を開けると視界いっぱいにジェスティフの大きな顔。吠えながら僕の顔を舐めまわしている。最悪の目覚めだ。勘弁してくれ。興奮しながら尻尾を激しく振り回す犬を慎重にベッドから降ろすと目をこする。

視界に映るのは廃棄されたタンスで作った簡単なテーブルと瓦礫を固めた椅子、今にでも壊れそうなボロボロのステレオラジオ。住むための必要最低限のスペースと雨風をしのぐのがやっとの黄色い布地の壁。

やっぱり現実はこんなもんだ。夢と現実の格差に落胆するが、もう慣れた。何度同じような夢を見たとこか。期待を抱くだけ無駄だからもう何も感じない。空けて4日目になるペットボトルの水を口に含む。大事に大事に飲んでいたのに、もうなくなってしまった。空のペットボトルを雑に投げ捨て、ステレオラジオをつける。ガザガザのノイズ、不快な電子音の後にアナウンサーの綺麗な声が聞こえてくる。


「本日のニュースをお伝えします。政府軍とゲリラ部隊との内戦は終息のめどがつかず、ゲリラ部隊の進軍は一般市民の居住地まで進んでおります。戦地付近にお住いの方は身の安全に十分気を付け、命を守る行動を優先させてください。」


部隊の進軍が続いている。もうじきこの難民キャンプも危ないのかもしれない。約20年前から始まったこの内戦は大きな犠牲を出しながらも終わる気配がなく、罪なき命が失われ続けている。もはや国としては崩壊しており、政府などまるで機能していない。そのため国を捨てて逃げる者、現実に耐え切れず自ら命を絶つ者、自暴自棄になり市民同士で争う者など、混乱はどこまでも広がっている。このキャンプだけだ、みんなで助け合って生きていくことを忘れていないのは。ここにいる人たちはみんな優しい。皆それぞれつらい経験をしているのに、それでもなお助け合っていくことを目標にしている。この戦火の中、ここだけが僕の居場所なのだ。


テントの外に出ると、僕はいつもうつむいて歩いている。なるべく周りを見ないように、足元とほんの少し前を確認する程度で紙袋を片手に進んでいく。この町は見たくないものが多すぎる。動物の死骸があるくらいなら平気になってしまった自分がいる。争っている人や今にも倒れそうな人、特に強い異臭がする時には絶対に顔をあげない。そこには人の死体が転がっているから。


町の裏通りに入ると横たわっている子供の姿が目に入った。まだ3歳くらいだろうか、ひどく痩せこけているその姿は一瞬人であることを疑うくらい小さかった。おそらく栄養失調だろう。かわいそうに、生まれてくる時期が違えばこんな生活しなくよかったのに。羽織っていた薄汚れたパーカーをそっと小さな子の亡骸に布団のようにしてかける。


あれ、まだ温かい。


まだ生きてるんだ。目は開いてないがかすかに、ほんとにかすかに小さく呼吸をしている。まだかろうじて、生きている。その子をそっと抱きかかえ、かすかな呼吸に注目する。本当に軽い。まるで人形を抱いているみたいだ。きっともう長くない。最期くらい、せめて最期くらい人のぬくもりの中で、、、。


するとその子の小さな手が僕の指を握りしめた。微々たる力で、しかしその手は何かにすがるように、何かを強く求めるように力強かった。およそ5分くらい経っただろうか。その子の息が止まった。かすかにしていた呼吸は一時を境にぴったりと止まってしまい、握られていた指も糸がほどけるように細かく繊細に離された。まるで眠りについたかのように穏やかな死だったが、明らかに今抱きかかえているその子は生きている時とは違う別の何か。人間の形をした何かに変わってしまった。ゆっくりとその子の体を地面に寝かせ、手を合わせた。その子にかけたパーカーをそのままにして、僕はその場所を去った。


古びた扉を3回ほどノックするとふくよかな女性が中から出てきた。マリアさんだ。


「あら、いらっしゃい。今日はどうしたの?」


「配給のパンが余ったのでおすそわけです。小さい子たちに分けてあげてください。」


ありがとうねえ。と満面の笑顔を見せてくれるこの女性はマリアさん。このキャンプの身寄りのない子供たちを保護しているすごい人だ。お互い苦しい中それでも誰かに目を配れる彼女を僕は尊敬している。


「今日ちょっとお客さんが来ているの。よかったらお話してってちょうだい。」


お客さん?こんな戦地に?そんな疑問を抱きつつ、言われるがままに通される。

そこにいたのは40代くらいのおじさん。しかし異国の顔だ。アジア系だろうか。大きなボストンバックに一眼レフカメラを携えている。僕を見るなり優しい笑顔で微笑んでくれた。優しそうな人だ。


「日本から来た戦場カメラマンの戸塚さん。戦地の現状を取材しに来たんだっ

て。」


そう紹介されるとよろしく!と気さくに話しかけてくれた。日本、名前は聞いたことある。アジアにある先進国だ。しかし、こんな奥地まで取材に来るなんて珍しい。この辺はいつ進軍されてもおかしくない危険地帯だから他国の取材陣はここまでは来ない。まだ安全な国境近くでカメラを回して、ある程度悲惨な風景を取れたら一目散に撤収してしまう。こんな所まで来るのは、はっきり言って異常だがマリアさんの話に真剣に耳を傾ける彼の表情は今までの疑問をすべて解消してしまうほど熱意にあふれていた。先進国の人間はみんな冷たい人だと思っていたけど彼は本気で何かを変えようとしているのかもしれない。


マリアさんの家の前の古いベンチに腰をかけ配給されたパンをかじっていると、隣に同じく配給でもらうパンをひとかけら持った戸塚さんが腰かけてきた。今日は暑いね~と言いながらハンカチで汗を拭いている。


「君は今何歳?、いつからこのキャンプに?」


これも取材の一環なのだろう。まるで世間話をするように尋ねてくる。


「14歳。ここにきて2年になるよ。」


「家族はいるの?」


「いないよ。みんな死んだ。」


「そうか、すまない。」


まずいことを聞いたという顔をして頭をかく。きっと癖なんだろう。


「別に大丈夫だよ。おじさんは家族いるの?」


「ああ、嫁さんと娘がいるよ。職業柄あまり家にいられないんだけどね。」


家族の話をするおじさんは少し楽しそう。きっと幸せな家庭なんだろうな。


「出来るだけ家に帰ってあげてよ。いつ会えなくなるかわからないからさ。」


そうだなあ、と優しい笑顔を見せる。


「でも、おじさんには伝えないといけないことがあるから、仕方ないんだ。」


こんな優しい人がどうして戦地に取材に来なければならないのか。日本とはそれほど戦争とはかけ離れた国なのだろうか。僕は急に知りたくなった。


「ねえ、日本ってどういう国なの?詳しく知りたい。」


戸塚さんは驚いたような表情を見せ、口を開いた。


「いいのかい?日本について話して。こことは随分違う場所だよ?」


その質問の意味が、僕にはなんとなくわかった。この悲惨な現状を前に希望の糸を垂らしても、自分たちとの立場の差に絶望するだけではないか。そう聞いているのだ。


「知りたいんだ。この戦争が終われば、この国も日本みたいになるから。絶対。」


そう言っている間に自然に笑みがこぼれた。違う世界を知ることってこんなにわくわくするんだ。


「そっか、そうだね。きっとそうなる。日本は綺麗な国だよ。死骸どころかゴミすらそんなに落ちていない。自然が豊かな土地もあるし、みんなそれぞれ家庭を持っていて幸せに暮らしているんだ。ご飯もおいしいし水も安全、犯罪もそれほど多くはないし、死を感じることなんてそうそうないんだ。」


素晴らしい国だ。まるで、夢の中に出てきた理想の町。


「ただ、日本は平和すぎるから世界で起こっていることを忘れがちなんだよ。仕方がないね。人間、目は2つしかないんだから。自分の見ている景色しか見れないからほとんどの人は君の国のように戦争が続いていることを忘れている。例えば日本で暮らしている人がご飯を食べている時、友達と遊んでいる時、愛する人と恋焦がれている時、同じように世界では泣き叫んでいる人がいて、気が狂ってしまう人がいて、誰かの大切な人が死んでしまっている。そのことを絶対に忘れてはいけないと思うんだ。だから何が変わってるって話じゃないんだけどね。」


戸塚さんの話し方にはなんとなく迷いがあるように見える。


「おじさんは自分に嫌気が差してるんだ。戦地の現状をいくら記事に書いても、戦争を止めることはできないし、それを読んだ日本人も3日も経てば戦争なんて忘れてしまう。どうしようもできない自分の無力さに腹が立つんだ。」


拳は強く握られている。なぜこんな奥地に来たのかそれが伝わってきた。


「おじさんのやってること、無駄じゃないと思うよ。現におじさんみたいな人が来てくれるし、日本について教えてくれることで希望が持てる。それにきっとおじさんの記事を見た誰かには必ず伝わって僕たちの支援をしてくれるかもしれないからね。」


そっかあ、ありがとう。そういうとおじさんは涙を拭う。涙もろい人だ。


「それよりももっと日本について知りたいんだ。おじさん、教えてよ。」


そこからしばらく日本という国について教えてもらった。寿司という食べ物のこと、侍がいたということ、日本の風習のこと、知れば知るほど興味が湧いて、いつか行ってみたい。そんな気になれた。いつか日本に来る時があったら、おじさんに案内してもらおう。


「じゃあ次は、君がこの町を案内してくれないか。」


おじさんはそう言うと一眼レフカメラの電源を入れて構える。なるほど。取材再開か。


「この町は見たくないものが多すぎて、実をいうと僕もちゃんと見れていないんだ。」


歩くたびに見えてくる見たくない現状を受け入れられない。だから見ないように気づかないように、生きてきたんだ。おじさんは僕の肩にポンと手を置くと優しい笑顔でこう言ってくれた。


「大丈夫、今日はおじさんも一緒だ。」


その言葉に救われた気がした。なんだか今までのすべてが肯定された気がした。

久しぶりにしっかり前をみて歩いた。この景色は残酷で、絶望的だったけど今は受け入れて生きていくことでしか前に進めないんだ。


太陽の眩しい光が町を眩く照らしている。なんだかいつもよりも明るく感じる。気持ちの持ちよう一つでここまで、見える景色は違うものなのか。

いや、眩しすぎる。

おかしい。空を見上げてみると太陽の隣に同じくらい眩しい太陽より一回り小さい丸い物体が輝いていた。それはみるみるとスピードをあげて地面に向かっている。本能的に危険を感じ、逃げようとする。

次の瞬間、気がつかないうちに体が宙を舞っていた。視界に見えるのは眼が潰れてしまうくらい眩い白い光と、耳をつんざくような凄まじい轟音が一瞬にして起こった。瓦礫や砂ぼこりが激しく宙に舞い、視界の一寸先までも見えない。そうかと思えばいきなり、地面に強く叩きつけられた。宙に舞った体が地面に落ちたのだ。すると煙の中から大きな足音が複数、聞こえてきた。そして鳴り響く、銃声。そうか、ゲリラ部隊が進軍してきたのだ。ついにこのキャンプまで。早く逃げないといけない、逃げたくて仕方がないのに体が思うように起き上がらない。なぜなんだ、こんなに力を入れているのに。煙が晴れてその理由がようやくわかった。体に生えているはずの2本の足が、今の僕の体にはついていない。

足が、飛ばされたのだ。それに気がついてから体の奥の方から何かがこみあげてきて、吐き出しそうになって必死に抑え込む。痛い。とても痛い。今にも発狂しそうで、気が狂いそう。でも、ここで理性を失うわけにはいかない。とりあえずここで寝ていても死ぬだけだ。前に進まないと。ほふく前進のように少しずつ、物陰に隠れる。辺りでは絶えることなく銃声で誰かの悲鳴が聞こえて耳を強く抑えたくなる。山のように連なる死体の山に混ざって姿を隠す。足のない体だからここにいれば死体とうまく同化してやり過ごせるかもしれない。とんでもない異臭だ。鼻をふさぎたくなる。まずい、だんだんと意識が遠くなってきた。早く助けを、助けを呼ばないと。ふと、前の死体が気になった。なぜだろうか、横たわっている後ろ姿に見覚えがある気がする。考えてくないことが頭をよぎる。なんだかそうしなければならないという気持ちなって、その死体の顔を確認せざるを得なかった。


「おじさん、、、」


体に多数の銃弾の跡をつけて無表情で眠っているその姿は間違いなくおじさんだった。声にも嗚咽にもならないような声を出して全身の力が抜けてしまった。どうして、どうして優しい人ばかりが死んでしまうの。どうして誰かの死を毎日見なければならないの。どうして僕だけが、このキャンプの人だけが、こんなにつらい目に遭わばければいけないの。また意識が遠くなってきた。急激に遠い意識。それもそのはずだ、足がないんだもん。ものすごく出血していることがよくわかる。きっともうすぐ僕も向こう側に行くんだろう。この山の一部に、なるんだろう。順番が回って来ただけだ。一部の人間だけが引くハズレくじが、回って来ただけ。神様、神様はいるんでしょうか。どうして僕はここで死ななくちゃいけないんですか。まだやりたいこといっぱいあるのに。もし、僕が生まれ変わることができるのなら、次は死とは無縁な国で生きさせてください。知りたくないことを、知らないままでいさせてください。見たくないことを、見せないで。聞きたくないことを聞かせないで。お腹いっぱいご飯を食べられて、当たり前のように家族がいて、そして戦争をテレビや雑誌で眺められる。そんな場所にいさせてください。

意識が溶けていく。もう目も開けられない。

そして、そんな平和な国にいても苦しい人のこと、死にそうな人のこと、忘れないで生きている人間でありたいです。




「ニュースタイム7、引き続きお伝えします。おっと、ここで速報が入りました。今日未明、未だ紛争状態が続いている連合国で日本人ジャーナリストの戸塚洋平さんが巻き込まれ、死亡しました。戸塚さんは戦線に最も近いキャンプで取材をしていたとの情報が入っております。続報が入り次第、お伝えいたします。」


テレビ画面が切り替わり軽快な音楽が流れる。


「さて、続いてはうまい!と評判の下町の老舗ラーメン屋を総力取材しました!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

きっとどこかで 天川累 @huujinseima

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ