第3話

「また、煙草を吸うの? 飴の方が美味しいのに」

 少女は、不満そうに唇を尖らせている。ああ、そうかと、拳銃から煙草に手を移動させた。そして、煙草とジッポを取り出した。飴を奥歯でかみ砕いて、強引に飲み込んだ。煙草に火をつける。口内が熱い苦みで満たされていく。ああ、美味い。少女がくれた甘ったるい飴が、煙草の旨味を引き出す装置なのだとしたら、なかなかに優秀だ。今度は、少女が苦虫を噛み潰したような表情を見せ、俺はざまあみろと笑った。

 立ち上る煙を眺めていると、ふと『こんなにのんびりしていて、良いものなのか?』と、疑問が浮かんだ。少女の母親は、もう殺されているだろう。それなら、奴らは、この少女を追ってくるのではないか。もし見つかってしまえば、逃げる事はできないだろうし、応戦しても勝ち目はないだろう。ベストコンディションでも勝てないのだから、手負いの今、考えるまでもない。

 今回の報酬を放棄し、逃げた方が良いのではないだろうか。仮に少女を始末したところで、半額の報酬を手に入れられる保証もない。俺が言うのもなんだけど、あの性根が腐っているババアが、それで納得するとも思えない。

 命がけで仕事をする人間を否定する気はないが、俺はそんな人種ではない。命をかけるほど、仕事にプライドを持っていない。金にならないなら、さっさと逃げるべきだ。しかしながら、俺はこれまで、仕事でミスを犯した経験がない。ミスをした人間に、どのようなペナルティが下されるのか、分からない。謝って済むと思えるほど、温い仕事ではない事は承知している。なにせ、色々知ってしまっているのだから。

 投資家であり大富豪のバン=ローレラインの妻である、バン=カルネラが、夫の愛人に殺し屋を差し向けた。そんな一大スキャンダルを掴んだ男を、みすみす逃すはずもないだろう。きっと、殺し屋を差し向けられる。最上級の強者を容易く、しかも二人も扱える財力とコネクションを、今回の案件で思い知らされた。

 そうなれば善は急げだ。少女をこの場で置き去りにして、俺はただちにこの場を離れなければならない。血だまりの地面に手をついて、体を起こそうとした。が、立ち上がる事ができなかった。腰を下ろしてしまったのは、失敗だった。立ち上がる事を、体が拒否している。そして、少女の小さな体でさえ、負荷となっている。恨めしい気持ちで少女を見下ろすと、真っ白な歯を見せて笑うのだ。少女は、俺の膝枕で、我関せずとくつろいでいる。肩を落として、深い溜息を吐いた。

「おい、お前。現状を理解しているだろう? お前の母親は、もう戻ってこない。じきに追手がやってくるだろう。お前もすぐにここを離れるんだ」

 自発的に、少女にはいなくなってもらった方が都合が良い。深手以外の重荷は、勘弁してもらいたいものだ。少女の頬が右・左・右と膨れる。飴を左右に転がしているようだ。呑気にもほどがある。

「もうすぐママは、戻ってくるよ。追手なんかこないよ。だから、ここを離れる必要がない。それに、あたしの名前は、サラ」

 ダメだ。現状をまるで、理解できていないようだ。こうなれば、強硬手段に出るしかないだろう。拳銃を突きつけて、この休日の昼下がりのようにくつろいでいる少女を、追い払うしかない。いっそのこと動けなくしてしまった方が、早いかもしれない。だけど、俺は無益な殺生は、しない主義だ。仕事に誇りを持っていない俺が、主義とかいうのも滑稽な話だが。別に好き好んで、人殺しをしている訳ではない。大金という折り合いをつける対価がなければ、やってられない。とは言え、このままでは、俺も彼女も野垂れ死にだ。

 俺は、懐に手を突っ込み、拳銃を握った。

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