第18話 弱くても、それでも
そうなると、当然気になってくると思われるのは、どうして自ら命を断つことにしたのか。その理由だと思います。
事業が失敗した。どうやら、そういうわけではなさそうです。
実は新たに恋人がいて、フラれたり裏切られたりと、とにかく何かしらの手ひどい扱いを受けた。本当のところはわかりませんが、この原因はなさそうだと思います。
根拠としては……父親は私と似ているので、としか言うことはできません。私と同様に、特定の男女関係を作ることは、本能とも言えるくらいに避けていたのですから。
それでは一体、どういった理由からであったのか。
正直な話、私も父親の正確な心情までは、図りかねています。
残されていた遺書には、事務的な手続きや相続に関することが書かれており、心の内を探る手掛かりは、ほとんど残されていませんでした。
手掛かりと言えるのは、父親の心情が漏れ出したであろう、たった一言と、その傍らに置かれていた本ですね。
『幸福を求めることで、幸福を見つけることはできないという宣告がなされる。私たちの求めるところに、幸福などありはしない』
どういった理由から、この結論が導き出されたのかは、私にはわかりません。
しかし、この結論があったからこそ、おそらく父親は自身の生涯を閉じるに至ったのでしょう。
父親のそれまでの様子、ですか?
いえ、気を遣わなくて良いのです。
実を言うと、今になって考えられる、私なりの解釈があります。
自惚れと言われてしまうのかもしれませんが、一種の事実として解釈し、話します。
父親は私と、とてもよく似通っています。考え方や行動、仕草など。親子であるので、当然かもしれませんね。
そして、嫌味っぽいかもしませんが、私は一定以上に優秀ではありました。
父親と距離が縮まるたびに、関係性は改善していく。私はそう考えていたのですが、実際のところは、少し違っていたみたいです。
父親の話に私なりの意見を伝えたり、何かしらの発言をしたことがあります。
時に有用なこともあったようで、父親はハッとするような表情をしていたことも、あったように思います。
そんな時、頭を撫でてくれながら、不器用な褒め言葉をくれました。
けれど、ある時に見てしまったのです。
自身の至らなさや無力さに、打ちひしがれている父親の姿を。
どうやら父親にとって、私の存在が重荷になっていたようですね。
貞彦さん、想像してみてください。
もしも自分にそっくりの人間がいたとして、その人間が、自分よりも優秀であったなら。
そうですね。きっと、自分自身の無力さに、打ちひしがれると考えられます。
父親にとってそれは、娘である私の存在だったのかもしれません。
……私が悪いわけじゃない、ですか。優しいのですね。
貞彦さんが言われることは、きっと間違いではないと思います。
心の弱さがあるとしたら、その責任は誰にも問えない。問題として認識するなら、その人個人の問題である。その通りですね。
でもね、貞彦さん。
心が弱いことも自己責任として切り捨ててしまうのであれば、この世界は残酷そのものなんですよ。
もしも弱かったのであれば、この世界では生きていられない。強い者だけが生き残る。弱肉強食と言われる世界ですね。
そんな世界は、嫌だと思うのです。
思考実験の一つに、「無知のヴェール」というものがあります。
例えばの話です。もしも自分が、二つのうちに一つの世界の在り方を、選ばなければいけないとなった場合だと、想定してみてください。
一つは、誰もが自己責任と実力主義の下で成り立つ世界。実力のある者は最大限の利益を得られ、弱者はただ虐げられ、滅ぶのみの世界。
もう一つは、社会福祉などがあり、実力が全てではなく、なんらかの保障や福祉が受けられる、弱者にも手が差し伸べられる世界。強者の力は一定の制限を受けるでしょう。
この二つの世界から選ばなければいけないとしたら、きっと今の立場によって、選択は変わると思うのです。
強者は強者に有利な選択を。
弱者は弱者に有利な選択を。
そこで「無知のヴェール」が登場します。
この選択をする時に、そのヴェールを被ると、全てのことを何も知らない自分になります。
今までの思い出も、今の自分の実力も、年齢も国籍も好きなものも嫌いなものも、何もかも。
その時に選ばれるのはきっと、弱者にも手が差し伸べられる世界でしょう。
だって、私が強者側にいるのか、弱者側にいるのか、何もわからなくなりますから。
もしも自分が弱者側にいたとしたら、弱肉強食の世界を選べば一巻の終わりです。
自己の利益を得るためという観点ではありますが、少なくとも弱者には優しい世界が選択されるはずだと、考えられます。
ふふ。また私の悪い癖で、長くなってしまいましたね。
ともかく、弱いことが悪いことではないのです。強くなければ、生きていてはいけないわけではないのですから。
弱いことの責任は、自分自身ですら背負う必要はないのです。
小難しい理論を話してしまいましたが、私が本当に言いたかったことは、たった一つだけなんです。
ただ、生きていて欲しかったな。
弱くても、心が狭くても、不器用でも、愛想が無くても、幸福なんて見つけられないと、絶望していたとしても。
それでも、たった一人の父親なのですから。
私が父親にとっての、不幸の元凶だったのかもしれないとしても。
……傍らに置いてあった本とは、なんだったのか、ですか。
ある意味では、笑ってしまうものです。
私が話してきた本の話題の中で、三大幸福論という物を覚えていますか?
ラッセルの「幸福論」。
ヒルティの「幸福論」。
そして、アランの「幸福論」です。
アランは、本名エミール=オーギュスト・シャルティエという、フランスの哲学者です。
彼の描く幸福論とは……。
ごめんなさい、貞彦さん。
期待を外してしまって申し訳ないのですが、私はアランの「幸福論」だけは、読んでいないのです。
なので、内容について語ることはできません。
――さて、私がお話をするべき、家族にまつわる秘密は以上になります。
私が呪いだと感じた二つ目のことは『幸福になどなれるわけがない』というものです。
母親からは『幸福に生きるべき』だと教わり、父親からは『幸福になどなれるわけはない』と学びました。
わかりやすく、矛盾していますね。
この輪のような矛盾に、苛まれています。
そういった物を捨て去り、自分自身の人生を生きることが、おそらく正解なのだろうと、理屈では理解しています。
しかし、私には実感としての理解は、到底できないのです。
だって、そうでしょう。
自分自身が原因となって、母親も父親も失っているのですから。
この考えは、馬鹿らしい考えなのかもしれません。
でも、家族というものは、どうしようもなくそういうものです。
理屈ではない。損得ではない。正しさではない。
無条件の関係。だからこその強い、蝕み。
ねえ貞彦さん。あなたの知りたかったことは、きちんと知ることができましたか?
決して面白い話ではなかったと思います。
この矛盾を解消することは、無理難題なのだと思います。
両親の呪いを乗り越えられるような、新たな考えを得ることが、有用な手段なのかもしれませんね。
……私ならできる、と。
私は貞彦さんが思うような、万能な人間というわけではないのです。
自分が自分であるだけで、家族を不幸にしてしまった張本人なのです。
幸せに生きようとしながらも、そんなものは見つけられないといった、解消されない矛盾を抱えているのです。
少し、いじわるになってしまうかもしれません。
それでも、貞彦さんに再度、お願いを致します。
私を――幸せにしてくれますか?」
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