第13話 あなたは本当に幸せでしたか?
鈴蘭の花言葉。それは……。
自分で振っておいてなんですが、この話は一旦おいておきましょう。
そんなにふくれた顔をされると、なんだかいたずらしたくなりますね。
また後で、しかるべきときに話しますね。
それはともかく、どうして鈴蘭という花が出てきたのかをご説明します。
鈴蘭は、母が特に大好きな花でした。
柔らかなカーブを描きながら、下に向かって伸びる花弁は、可愛らしいですね。学名の『コンバラリア』というのは、谷間のユリという意味です。
和名で鈴蘭なのは、花びらが鈴のように見えるから、ですね。
もう私にとっては覚えていないほどに小さい頃、母と鈴蘭の群生地に行きました。
鈴蘭の花は小さめであることと、垂れ下がって咲いていることも相まって、一面の花という印象とは少し違いました。茎や葉っぱもよく見えるため、緑色の面積の方が多いくらいですね。
鈴蘭の生態的には、半分日向で、半分日陰のところを好みます。
光ばかりが必要なわけではない。
けれど、光の届かない影ばかりを好むわけでもない。
そういったバランスを重視しているのも、鈴蘭の特徴なのかもしれませんね。
また話が逸れてしまいました。
語りすぎるのも、私のいけない癖ですね。
でも、語りすぎてしまうのは、しっかりと聞いてくれる人がいるから、なのかもしれませんね。
母が鈴蘭が大好きだった理由は、とても単純です。
まだ父と結婚する前に、珍しく父が花束を贈ったそうです。
もうおわかりですね。花束の中に、鈴蘭が含まれていました。
一番の主役ではなく、ひっそりと添えられていた鈴蘭の花がなんだかいじらしくて、一番綺麗に見えたんだと、母は語っていました。
小学校高学年となった私は、ますます頑なになっていきました。
身長が伸びて、学力も伸びていく。
比例するように、融通が利かなくなり、硬く、頑なになりました。
冷たくなったものが凝固して固まるように、人の温もりから逃げていた私は、どんどんと硬化していったのでしょう。
六年生に上がる直前のこと、母は私に、お祝いをしたいから何か欲しい物はあるかと聞きました。
誰かに施されることを良きことだと思えなくなっていたせいか、特に何も思いつきませんでした。
その当時の私は、少し苛立ちを感じていました。
周囲の人々が、子供っぽいと思えて仕方がなかったのです。
やろうと思えばできるはずなのに、言い訳ばかりをしている。
仕方のないことに対して、不平不満ばかりを漏らしている。
それが当たり前の人間らしさだと、受け止めることはできませんでした。
だから少し、無茶を言ってみたくなったんです。
母のことをちょっぴり、困らせたかったのです。
母が最近、具合が悪いことを承知した上で、いつか見に行った鈴蘭の群生地に行きたいと、私は言いました。
困らせたいということは、困らせても大丈夫だ、関係性は壊れないんだといった、安心感が裏にあるように思います。
好きな人にだから、わかってもらいたい。いじわるもわがままも、受け止めてもらいたい。それは、好きな相手だからこそ、なのです。
それに、鈴蘭の持つ幸せパワーとやらに、ちょっぴりすがりたくなったのかもしれません。
なんせ鈴蘭の花言葉というのは『再び幸せが訪れる』なのですから。
母の大好きな幸せの、おこぼれを預かりたいという気持ちがあったのかもしれません。
とはいえ、私はたかをくくっていました。おそらく母が、出かけられるはずがないだろうと。
困ったような顔で、ごめんねと言って詫びてくるだろうと、私は予測していました。
けれど、返ってきたのは予想を裏切る反応でした。
『わかりました。今度一緒に見に行こうか』
私は驚くと同時に、嬉しさも感じていました。
裏切られることを想定した上でのお願いでした。
クリスマスでもないのに、いきなりプレゼントが送られてきたような心持でした。
出かける日取り、スケジュール、持ち物など、小旅行の計画を母と立てました。
日に日に近づいてくるその日を、待ち遠しく思いながら過ごしました。
これほど楽しみを感じることも、当時はあまりありませんでした。
今思えばあっという間、あの時の私にとっては、亀の歩みのように遅く過ぎた時間の後、約束の日を迎えました。
母はその日、悲しそうな顔をしていました。
『お医者様から出かけちゃダメだって言われちゃった。ごめんね、澄香ちゃん』
私は小学生になってから、初めて
やだやだと駄々をこね、床をはいずりまわるようにバタバタとしていました。
普段の私であれば、絶対にしない行動だったと思います。
それでも、そうせずにはいられない。暴れずにはいられないほどに、楽しみは募り、反動で悲しみが怒涛の如く押し寄せていたのです。
母はとても、困っていました。
いつもの朗らかな困り顔ではなく、本気で困惑している様子でした。
私は、そんな母の顔を見たかったわけではなかったのです。
私はますます悲しくなって、その日は自室にひきこもりました。
泣き疲れて、いつの間にか眠っていました。
朝なのか夜なのかも判然としない、ぼんやりとした意識でいたら、目の前には母がいました。
薄手でも寒気を遮断する、しっかりとしたコート。ツバ広のパナマハットをかぶっていました。どう見ても、外出をするとしか思えない格好でした。
母は、内緒話のように呟きました。
『澄香ちゃん。今から出かけよっか』
眠気の取れない頭で、曖昧に頷きました。
てっきり冗談だろうと思っていましたが、母は本気でした。
今まで見せなかった私のわがままを見かねて、母は私を連れ出すことに決めたのです。
この日は、私の人生で一番幸福な一日でした。
他愛のない話をして、母に抱き着いて温もりを感じました。流れゆく風景はメリーゴーランドのようで、風の音は精霊の賛歌のように聴こえました。
時折見せる苦しそうな顔を、私は見ないふりをしました。
もしも指摘したら、幸せな夢が壊れてしまう。繊細な儚さで成り立っているものだと、知っていたのです。
鈴蘭の群れを間近で見た時に、私は言葉にできない感動を覚えました。
花一面というよりは、緑の方が視界を占めています。ひまわりのような陽気さも、秋桜のような綺麗さも、桜のような壮大さもありません。
けれど、慎ましやかな、幸せの色を見出しました。
美しい物を見て、感動に心を揺り動かす。
この世で最も純真な幸福を感じている最中のことでした。
母は、無情にも倒れました。
ここからは、特に面白くないお話となります。
この出来事が原因というわけでなく、もともと病弱だった母親の限界が、たまたまこのタイミングで来たという話だったようです。
それから、母は入院生活となりました。
日に日にやせ衰えていく姿に、私の罪悪感は募りました。
点滴の針で腕は痛み、呼吸器に繋がれた姿は、人間よりも機械に近いでしょう。
生きているというよりは、生かされている。
そのような感覚は、見ていて痛々しいものでした。
悲しみにくれたり、すねている私に、それでも母は笑顔を見せ続けました。
運命のその日、朝からしとしとと雨が降っていました。
母の大好きな鈴蘭は、病室からは当然見えません。
晴れ間すらなく、母を照らしてくれる光は、どこにもありませんでした。
何も言えない私に、母は最期に言い放ちました。
『そんな顔をしないで。私は、ずっと幸せだった。澄香ちゃんもずっと――幸せでいてね』
母は最期まで、幸せでいたと言いながら、亡くなりました。
けれど私には、どうしてもそうとは思えませんでした。
病弱で、自由や楽しみなどがほとんど奪われていた母。
結婚しても、夫から愛されている様子はなく、何も成し遂げられず。
挙句の果てに、娘のワガママに付き合わされて、命を落としたのです。
そのような人生は――はたして幸せだったと、言えるのでしょうか?
これが私を苛む、一つ目の呪いです。
幸せにならなければいけないという、母の呪いです。
もう一つの呪いについては、また申し上げますので、焦らないでくださいね。
ちなみに、知っていましたでしょうか。
鈴蘭には、毒があるのです。
可憐で慎ましやか。美しい花に毒があるということは、とても偶然とは思えないですね。
これはまるで、幸福をむさぼりすぎると、毒に侵されて命を落とすと言った、一種の教訓ととれるのかもしれないですね。
幸せを享受しすぎることは、毒になる。
このお話は少し――できすぎでしょうか。
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