第11話 なんでもない幸せ
安梨のことを、もっと知ろうと貞彦は決意した。
しかし、記憶を失っていて、素性は何もわからない。
奇妙な言葉遣いをしていて、時代錯誤な感じのする、変な少女。
ただ、見守ってくれた人にお礼を言いたい。そんな健気さも併せ持っている。
貞彦の知る安梨の姿は、結局のところそれくらいだった。
それではまだ、足りない。
過去のことについてではなく、今ここに存在する安梨についてを、理解していかなければならない。
相手のことを理解し、本当に願っていることを叶えるために、手伝いをする。
それこそが、相談支援部のあるべき姿なのだと、澄香から学んだ。
貞彦は、澄香の作った部活動を、守り抜きたいと願っている。
そのためには、安梨の願いを叶えなければいけないと、強く思っていた。
翌日、朝食を摂るために、ダイニングには一同が集まっていた。
安梨はまだ眠そうに目をこすっていた。
トーストにバターを塗る手つきも、おぼつかない。ぼーっとした表情には覇気がなく、昨日のことを引きずっているようにも見えた。
「安梨」
貞彦が呼ぶと、安梨はめんどくさそうに貞彦へと顔を向けた。
「なんですのー。わたくしはまだ眠いんですけど」
「今日の放課後、一緒に出掛けるぞ」
ガシャン、と音を立て、食器が床に落ちた。
落としたのは安梨ではなく、姫奈と素直だった。
「サダくん、そ、それはもしかして」
「ああああさんをデートに誘った!?」
姫奈と素直は、驚愕に震えていた。
「いや、そういうわけじゃなくて」
「デートってなんですの?」
「デートと言うのはですね、好意的に思う異性と関係を深めるために、二人きりで行動を共にすることです」
澄香がデートについて説明を行った。
ガシャン、と音を立て、食器が床に落ちた。
今度は安梨だった。
「サダサダが、わたくしをデートに……ああ、わたくしの美貌がサダサダを狂わせたんですね」
「なんかむかつく!」
「でも、ごめんなさい。わたくしは恋愛をすることなど許されない身なんです」
「なんか勝手にフラれたんだけど」
「ところで、どこに行くんですの? わたくしはなんだか甘いものが食べたいですわ」
「断っといて行く気なのかよ! 別にいいけどさ!」
貞彦はツッコんだ。
ツッコミを入れつつ、安梨の様子を確認する。
口では達者なことを言っている割に、安梨の顔は綻んでいた。期待に満ちた、年相応の表情。ごく普通に、楽しみに心を膨らませる、一人の少女としての顔をしていた。
違う世界の住人のような、どこかズレていた安梨の姿。
少女らしい、普通とも言えるような安梨を見ていると、彼女も同じように、わくわくやドキドキを感じる、年頃の少女なのだ。
どこか遠くに見えた安梨のことが、少しだけ近くなったような気がした。
放課後になり、貞彦と安梨は、喫茶店に来ていた。
甘いものが食べたいという、安梨のリクエストに応えた。
とはいえ、二人は緊張を感じているようだった。
異性に対する緊張、ではなく、貞彦と安梨の他に、同行者がいたからだった。
「なあ、本当に撮るのか? カラス先輩」
唐島カラスは、構えていたカメラを下ろし、ニヤリと笑った。
「もちろんだ。コンテスト参加者の魅力を最大限伝えるために、写真と記事を載せるって説明しただろ」
「でもなんだか、やりづらいっていうか」
「俺のことはその辺の石だとでも思って、気にしないでくれ。魅力的な瞬間は、その人によって違う。安梨なんかは、自然体な姿が一番魅力的に映ると思うんだぜ」
「そうなのか? 俺にはよくわかんないけどな」
「例えば、二年生の猫之音ネコなんかは、眠っている姿が一番ウケがいいんだ。無防備で無垢。何もかも信じ切っているような安心感に、見ているものは癒されるのさ」
「わからなくはないけど」
「それで、パフェとやらはいつ来るんですの? 待ちきれないですわ」
安梨はそわそわとしていた。
まだまだ幼い様子だが、より一層子供みたいに見える。
ほどなくしてマロンパフェが運ばれて、安梨の目の前に置かれた。
安梨の目は爛々と輝いている。
「世の中には、こんなに素敵なものがあったんですね。ところで、サダサダは何も食べないんですの?」
「俺にもあるだろ。水」
「お金がないんですの?」
「ストレートに言うと、そうだよ」
「かわいそう……」
「やめろ。本気で悲しそうな顔をするな。俺のことはいいから、食べてみな」
「いただきますわー」
安梨はパフェを一口、口に運んだ。
もう一口、二口とどんどんとパフェが消費されていく。
「うまいか?」
「おいしいですわー!」
安梨は頬に手のひらを当てて、言った。花が笑うようだった。
ぱしゃり、と写真が撮られる。
一枚だけでなく、安梨がパフェを食べている姿を、連続的に写真として切り取っている。
「こんな幸せなものがあるなんて、ここはいいところですわね」
甘いものを食べているだけで、安梨は幸せを噛みしめているようだった。
記憶が戻っているわけではないらしい。
そのような言葉が出る裏について考えると、様々な想像が掻き立てられる。
ここではないどこか。遠く遠く離れたところ。
どこなのかはわからない。
想像のつかない場所に、安梨はいたのかもしれない。
果たしてそこが、いい場所だったのかどうかはわからない。
ただ、安梨が帰る場所であるのなら、そこがいいことで溢れている場所であって欲しいと、貞彦は願っていた。
「サダサダ。やりましたわ! これがストライクというものなんですね」
「サダサダ。あんなに色とりどりの光が。とても綺麗ですわ」
「サダサダ。こんなにも本が揃えてあるなんて。すごいですわ」
「サダサダ。何か迫ってきますわ。きゃあーなんで触れないんですの!?」
安梨は、様々な場所ではしゃいでいた。
終始テンションが高くて、高貴に思える様子など微塵もうかがえない。
年齢に応じた幼さ。境遇がよくわからなくても、年頃の女の子なんだと知って、貞彦は親近感を感じていた。
「とても楽しかったですわ。サダサダのお気遣いに感謝致します」
「そんなにかしこまらなくたっていいよ」
「それじゃあこんな時には、どう言えばいいんですの?」
「普通に、ありがとう、でいいんじゃないか」
「そんな簡単な言葉でいいんですの? それで感謝が伝わるんですの?」
そう言われて、貞彦は考えた。
安梨はなぜ、そんな風に言ったのだろう。
簡単だけど、感謝が伝わる言葉。その簡単さが、安梨にとってはピンとこないのかもしれない。
案外適当に見えて、きちんとした考えがあるのかもしれない。
きちんとした考えの裏には、安梨の生きてきた世界が表現されているように感じた。
安梨の世界の限界。
どんな因果かはわからない。
ここに来たことで、安梨の世界が少しでも広がればいいと、貞彦は思った。
「簡単な言葉でいいんだよ。俺たちは友達だろ?」
うっかり断られたらどうしようと、貞彦はびくびくした。
安梨はパッと笑顔になった。
「そうですわね。友達、ですよね」
「友達って関係なら、簡単な言葉でも伝わるんだ」
「そうなんですのね。ふふっ。とても、いいですわね」
安梨は「ともだち、ともだち」と呟きながら、スキップのようなステップを踏んでいた。
安梨の世界は、広がったのだろうか。
幸福で、あるのだろうか。
「サダサダ!」
「なんだー?」
遠くから声をかけられ、貞彦も大声で応じた。
「この世界は、とても平和なんですねー!」
記憶が戻ったのか、無意識なのかわからない。
それでも、安梨は決定的な言葉を言った。
おそらく安梨は、この世界の人間ではないのだろう。
そんなひらめきも、一つの感情にかき消される。
この世界が平和だと、言わざるを得ない。
安梨の境遇が、少し悲しい。
澄香は「幸福であれ」と言った。
誰に言ったのだろう。
貞彦か。
安梨か。
それとも、自分自身か。
幸せとはなんだろうか。
貞彦はそのことについて、考えていた。
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