第20話 跳べ

 澄香は、死屍累々となった戦場を見つめていた。


 兵どもの、思いが散っていた夢の跡地。


 ただひたすら、勝利のために命を燃やす姿に、美しさと敬愛の念を抱いていた。


 澄香は、貞彦と素直のことを思っていった。


 直情的で、主観に囚われがちであるが、真っすぐな芯を持つ可愛い後輩である素直。


 優しいが故に迷い、それでも諦めずに他人に寄り添い続ける姿勢を貫ける貞彦。


 二人は、短い間の関りであったにも関わらず、澄香にとってはかけがえのない存在となっていた。


 智慧と傲慢とを混同し、荘厳な口振りで他者を見下していた、かつての愚かな自分自身を思い出す。


 若さゆえの過ちというものは、誰にでもある物だ。


 過去を踏みしめて進んだからこそ、今がある。


 気が付いた時、自分自身が孤独であったことを知った。


 他人なんていらないと、強がって自分を守り続けていた。


 本当は、他人に触れることが怖かったのだ。


 心という存在。形はなく、それぞれの器に押し込められている。


 それでも、後生大事に持ち続ける。頑なに。


 馬鹿らしいと唾を吐きかけた。


 けど、気づく。


 そんな自分が、きっと一番心にこだわっていたんだろう。


 本当は、ずっと触れてみたかったのだろう。


 恐怖と好奇心が紙一重なように。


 澄香は、少しだけ寂しさを感じていた。


 苛烈を極めた戦いは、今まさに終わろうとしている。


 時が進むということは、それは全てが終わりに近づいているということ。


 騎馬戦の終わり。体育祭の終わり。


 相談支援部の終わり。


 あとどれほどの時を、彼ら彼女らと過ごせるのだろうか。


 澄香はそんな思いを一笑に付した。


 あれほど望んでいた終わり。訪れることが近くなって、惜しいと感じるだなんて。


 私はなんて欲張りなのでしょうか。


 澄香の呟きを、聞く者は誰もいない。


 吹き抜ける風が髪を揺らす。連れてこられたのは、寂しさだけだった。


 ざっ、と砂を掻く足音が聞こえる。


 澄香は振り向いた。


「あなたがここに来るとは、意外でした。猫之音さん」


「……澄香先輩」


「てっきり、貞彦さんと素直さんが、私に会いに来てくれるかと思いましたが」


「……澄香先輩は、知っているはず。貞彦くんと素直さんは、もう……」


「……そうですね。見ていましたから」


 貞彦たちが善晴のチームと衝突する瞬間を、澄香は遠目ながら目撃していた。


 本当は、すぐにでも駆けだして行きたかった。


 怪我をしていないだろうか。痛い思いをしていないだろうか。やっぱり自分がついていないと、いけないんじゃないだろうか。


 去来する心配の念をかき消して、澄香はここを動かなかった。


 澄香は、貞彦と素直を信じている。信じようとしている。


 だからこそ、敵を演じなければならない。


「猫之音さんと話すのは、お泊りバーベキューの時以来ですね」


「……なんであの時、気になる男子はいないって言ったの?」


 お泊りバーベキューの時、女子たちも男子についての話題で話をしていた。


 澄香にも順番が回ってきていた。内容は、気になる男子は誰かということだった。


 その質問に対し、澄香ははっきりと「そういった殿方はいません」と答えていた。


 ネコはどうしても、その答えには納得がいかないようだった。


「どうしてと言われましても、その答えが真実だからですよ」


「……私にはそうだと思えない。私が言うのもなんだけど、澄香先輩はみんなのことを遠ざけてる気がする……でも、本当に大切に思っている……そんな気がする」


「ええ。皆さんのことが大好きだから、特別な人はいない。皆さんが私にとっての特別であるならば、それはもう普通と変わらないのかもしれません」


 ネコは、これ以上話をしても埒が明かないと感じた。


 どれだけ寛容な態度をとっていても、澄香の心までの扉は、どこまでも固く閉ざされている。


 その扉をこじ開ける役目は、きっと自分じゃないのだろう。


「……最終決戦をしようよ」


「ええ。手加減は無用ですよ」


 ネコ隊は澄香と一気に距離を詰めた。


 澄香は微動だにしなかった。


 ネコの手がハチマキに伸びるが、澄香は体を逸らしてかわす。


 本物の猫のような俊敏さで、澄香に猛攻撃を喰らわせていた。


 しかし、一度たりともかすることさえなかった。


 端から見れば、押しているのはネコの方に見える。


 しかし、実際のところ余裕があるのは澄香の方だった。


 ネコは歯を噛みしめた。中々攻撃が当たらない苛立ちから、動きは荒く雑なものになっていた。


「私が最後まで戦闘に参加しなかった理由が、猫之音さんにはわかりますか?」


「……怖かったの?」


「そうかもしれませんが、他の理由もあります」


 澄香はネコの手が迫るにも関わらず、あえて体を前に倒した。


 首だけを動かし、ネコの手を避ける。


 意表をつかれたネコの動きが一瞬停止する。


 次の瞬間、ネコのハチマキは澄香が握っていた。


「切り札は――最後までとっておくものだからですよ」


 澄香が言い放った瞬間、今までになかった気配が急に現れた。


 無から有が生まれるなど、常識的にはあり得ない。


 しかし、たった一人だけ、例外めいた人物がいた。


「瑛理――今だ!」


 サヤの合図を受けて、背後から瑛理が飛び出した。


 瑛理は今まで、ネコの部隊にぴったりとくっついていた。


 地面に足をつけず、すがりついている状態だったので、ルール上の問題はない。


 一つのチームに騎手が一人などといった決まりはルールにはないからだ。


 サヤは消えた状態のままで、瑛理のために周囲の状況を伺い続けていた。


 澄香が攻撃に転じ、体勢が崩れたことで、今が勝機だと考えたのだ。


 瑛理は澄香の騎馬に乗り込み、背後から澄香に奇襲をかけていた。


「これで澄香先輩に合法的に触れられるぜ!」


 瑛理は呆れた発言をしつつ、澄香のハチマキに手を伸ばした。


 しかし、触れることはできなかった。


 澄香は後ろを見ずに、瑛理の攻撃を避けていた。


 瑛理が驚愕を見せた時には、すでに勝敗は喫していた。


 澄香は瑛理のハチマキを掴み、すでに奪い去っていた。


「なぜだ。澄香先輩には見えていなかったはずなのに」


 サヤが悔しそうに言ったことで、澄香はサヤの方に微笑みを向けた。


「瑛理さんたちの姿が見えなかったので、きっと最後に出てくるのだろうと踏んでいました。見えていなくとも、わかっていることであれば避けることはできます」


 瑛理が呆けた顔で落ちていく姿を見送り、澄香は言った。


「それに私は、他人と身体的に接触することが、苦手なのです」


 澄香の緊張はようやく解れる。


 瑛理たちの不意打ちを破ったことで、疲労がどっと押し寄せていた。


 残念ながら、これで試合終了。


 おそらく今回は、白組が勝利することだろう。


 貞彦や素直に、自分を超えて欲しかった気持ちもあったが、嬉しい気持ちもあった。


 やはりまだ、自分が二人と一緒にいてもいいんだと、ワガママな気持ちに満たされていた。


 残っていたメンバーも澄香以外は崩れ落ちた。


 ついに、試合終了を告げる銃声が、響くように思われた。


 妙なことに気づく。


 終了の合図が鳴らされない。


 おかしいと感じたその時、勢いよく駆けてくる人物に気が付いた。


 澄香は自分の目を疑った。


 そこには、衝突して散っていったはずの、貞彦と素直がいたからだった。


「素直! 跳べ――!」


「いっくよー!」


 貞彦は、肩車をした素直の足を外した。同時に、素直は貞彦の背中を踏み台にして跳ねた。


 地面に倒れ伏す瑛理、ネコまでも踏み台にして、素直は全力で跳びたった。


 澄香は動けなかった。


 反応はできる。けれど、もう動く気はなかった。


 ただの人である素直が、空を駆けている。


 翼などない不自由な体で、弾丸のように空を切る。


 純真な疾走する弾丸。


 その姿を、とても美しいと感じていた。


 素直は不安定な体勢をとりながらも、澄香のハチマキを手に取った。


「やったー! 澄香先輩に勝ったー!」


「いってぇえええ」


 貞彦は素早く素直の着地地点に向かって、なんとか素直を受け止めた。勢いを殺しきれず、そのまま地面に倒れ伏す。


 素直は、貞彦に馬乗りになりながらも、勝利に酔いしれてはしゃいでいた。


 澄香は押し寄せる感情をせき止め、一度目を閉じた。


 気持ちが昂っている。言いたいことは、もっといっぱいある。


 けれど、選んだ言葉は、たった一言だった。


 澄香は二人に向けて、最高の笑顔を見せた。


「貞彦さん、素直さん――お見事でした」

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