第5話 澄香先生の多世界解釈

 教室を後にして、校内の散策を続けた。


 地震が起こるたびに、誰かがいなくなったり、いきなり現れたりしていた。


 どうなっているのかはまるでわからない。信じられないことではあるが、この事象は現実で起きている。


 どうにか脱出する方法を試みようとしても、その糸口すら掴めないでいた。


 段々と地震の規模が大きくなっているように感じる。


 詳細がわからないまま、危険だけが迫っている恐怖に、焦りを感じていた。


「もう疲れちゃった。少しだけ休憩にしない?」


 歩きっぱなしの疲労があり、柚夏はベンチに座りこんだ。


 自販機の設置された休憩スペースで、四人は休息をとることにした。


 柚夏は柚希にしなだれかかっていた。


「ぐでー。落ち着くなー」


「柚夏。はしたないぞ」


「なんだかもう、今更な気がしてきた。こんな状況で猫をかぶってもしょうがなさそうだし」


「柚夏が疲れていることはわかるけどさあ」


「それに、久田先輩と白須美先輩なら、きっと安心だと思う。怖くないと思う」


「そっか。それなら、良かったな」


 柚希は優し気に目を細めた。


 なんとなくだが、貞彦には、柚夏にはどこか陰があるように見えていた。


 柚希に対する依存のような態度も、他人に怯えるような仕草も、優等生の仮面をかぶっているという普段の姿も、何かしらの理由があるように感じていた。


 それに、柚希の過剰に甘やかすような態度にも、引っ掛かりを感じていた。


 たしなめはするけれども、最終的には受け入れる。


 とても寛容な性格なんだろうけれど、それだけじゃないように思える。


 貞彦は、ゆずコンビの関係性について、何かあるんじゃないかと考えていた。


「一つ、仮説を立ててみました」


「今のこの状況についてか?」


「はい」


 澄香は頷いて、みんなに向かって語りかけた。


 いつの間にか、眼鏡をかけていた。


 どこから持ってきたんだよそれ。


「地震のたびに、人が現れて消える現象。現実的にはありえないと思われますが、可能性としてはありえなくはないことだと思います」


「どんな可能性だったら、ありえるんですか?」


「量子というものについて知っていますか?」


「しらなーい」


 柚夏は寝転がりながら答えた。


 少しアホっぽい感じはするが、素直で憎めないように思う。


「ミクロの世界における小さな小さな固まり。それは粒であると同時に、波の性質を持つと言われています」


「どういうことなんだ?」


「粒というものを想像した時、丸っこい物体を想像しますね。粒同士でぶつかれば、お互いが違う方向に言ってしまいます。けれど、お互いが波であれば、そのまま進んでいた方向に進んでいきます。光の研究から生まれたもので、光は粒であるのか波であるのか、論争が起きたのです」


「粒であると同時に波の性質……まだ僕には何が言いたいのかがわからないな」


「あくまで前置きですし、難しい話となるので、ざっくりと説明します。粒であり波である量子というものは、観測をするまでその位置がわからないという性質があります」


「?? もっと簡単にお願いします」


「信じられないかもしれませんが、アインシュタインは量子論に関してこのようなことを言っています。『量子論の言い分が正しいのであれば、月は我々が「見た」からそこにあり、我々が見ていない時にはそこにないことになる。これは絶対に間違っていて、我々が見ていない時も同じ場所に月はあるはずだ』と」


「俺だってそう思う」


「ですが、アスペという物理学者の実験によると、どうやら観測することによって位置が確定する、ということは真実であるらしいのです」


 貞彦は衝撃を受けていた。


 今そこにあるものも、見たからこそ、その場所に存在する。


 見ていないもの、観測していないものはそこにはないということ。


 そんなことが真実だと言われて、簡単に受け入れることはできなかった。


「驚いているようですね。ですが、ないというのは存在しないという意味ではなく、場所が確定しないという意味です。それでも、なかなかに衝撃的な話だと思います」


「観測をしたり見たりするってことは、まあ僕たちの認識の問題ということなんだろうか」


「柚希さんはなかなか考えていらっしゃいますね。小さな小さな量子の世界が、どんどんと大きなものに影響を与えていくという考えを持つのならば、とある面白い解釈が導き出されます。それが『多世界解釈』です」


「たせかいかいしゃく?」


「柚夏……ひらがな発音ってことは明らかに理解してないな」


「量子は場所が不確定。ここにもあり、あそこにもあるという事実が同時に存在する。そうなると、単純に二つの可能性が重なりあっています。量子の場所の数だけ可能性と世界が広がっていくことになります」


「それが、多世界解釈なのか?」


「ええ。可能性の数だけ世界がある。枝分かれしていく。俗に言う、パラレルワールドというものです」


「それならわかるよ!」


 可能性の数だけ世界が存在する。漫画やアニメなんかでよく見かける、パラレルワールドといった世界観。


 現実的にはありえないように思えるが、量子の法則などを加味した結果、ありえるかもしれないというのが、澄香の弁だ。


 パラレルワールドはあるのかもしれない。


 けれど、貞彦にはまだ疑問があった。


「パラレルワールドという可能性があるってことはわかったよ。けど、それが今の現象とどんな関係があるんだ?」


 人が現れて消えることや、出口が閉ざされていること。


 そのこととパラレルワールドとは、少し違うんじゃないだろうか。


「ここからは、私の完全な推測になります。パラレルワールドは、通常では重なり合うことはないでしょう。ですが、何かの間違いで重なりあっているとしたら、今の現象を説明できるように思います」


「重なりあっていることと、場所の不確定性という性質が合わされば、今のことを説明できるんだろうか?」


「柚希さんの疑問はもっともですね。ただ、私の知識ではそうとしか言えないです。世界が歯車のように回っていると仮定して、その歯車がたまたま何個か同時にぶつかって、重なってしまったと考えてみてはどうでしょう?」


 柚夏はまたハテナマークを浮かべていた。


「重なった場所が、この学校だとして、そこにいる私たちは、様々な可能性のカオスの中にいます。ありえた可能性が混ざり合っているので、世界の中で闇鍋状態にされています」


「僕たちは色んな世界の中にごっちゃにされているということなのか?」


「そうかもしれません。この世界にいたと思えば、ちょっとの刺激で別の世界に飛んでしまう。そんなことを繰り返しているのだと考えると、現れたり消えたりすることも、理解可能です」


「にわかには信じがたい話だな……」


 貞彦は頭を抱えた。


 澄香の推測を信じるならば、理由はわからないが、世界の可能性がごっちゃになるという事態に巻き込まれているらしい。


「なあ澄香先輩」


 澄香は笑顔のまま固まっていた。


 貞彦は初めて、澄香に無視をされていた。


 え、俺何か変なことを言った? と貞彦は不安になる。


 澄香は自分の意思を示すかのように、眼鏡をくいっと上げた。


 まさか。


「……澄香先生」


「はい。なんですか貞彦さん」


 澄香は嬉しそうに返事をした。


 貞彦の予想は当たった。


 わざわざ眼鏡を取り出したのは、先生と呼ばれたかったかららしい。


「もしその事象が澄香先生の推測通りだったとして、俺たちはどうすればいいんだ?」


 澄香の多世界解釈が当たっているかどうかはわからないが、今はそれにかけるしかない状況だ。


 だから今肝心なのは、この奇妙な状況からどうやって脱出をするかということだった。


 澄香はわざとらしく咳ばらいをして、言った。


「前向きな解釈をするならば、もし世界が重なりあっているとしても、おそらく元の世界と繋がっている出口はあると思います」


「でもでも、もしもそんなものがなかったら?」


 澄香はにっこりと笑顔を浮かべた。


 不安に思う柚夏を安心させようと、あえて笑顔を見せたのかもしれない。


「その可能性も、残念ながらあります。けれど、あることを信じて探すこと。それが今の私たちにできることです」

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