第5話 運命なんてわからないほうがいい

 紫兎に拒絶のような言葉をかけられてから、貞彦はずっと悩んでいた。


 一般大衆と変わらない。


 紫兎の言葉に、貞彦は反論ができないと思っている。


 自分自身に、何かしら突出している部分などないように感じる。


 澄香みたいに、なんでも受け入れる懐の深さがあるとは思えない。


 素直みたいに、好きなことを好きだと、嫌なことを嫌だとはっきりと言えるわけではない。


 どこまでも中途半端だ。


 自覚しているからこそ、一言は奥底にまで刺さる。


 開かれた心の扉に、容赦ないまでに棘を打ち込まれた。


 つらつらと考えながらステージの配置をチェックしていると、見覚えのある背中が見えた。


 機材のチェックをしているようだが、周囲に人がいるせいか、やたらとおどおどしている。


 出会うのは久しぶりで、テンションが上がった。


 そのおかげで、貞彦は気持ちを逸らすことができた。


 貞彦はバレないように、そっと近づく。


「わっ」


「ひゃあああああああ」


 色々知っているが人見知っている先輩、渡会来夢は悲鳴を上げて飛び上がった。


「はははは。ごめんなさい来夢先輩。久しぶりに会えて嬉しくなっちゃってさ」


 来夢をこれ以上ビビらせないために、貞彦は笑顔を向けた。


 来夢はへたり込んでしまっていた。


「さ、貞彦くんひどいよ……」


 来夢は可哀そうになるくらいに涙目だった。


「もうこんなことはしないからさ」


 貞彦は来夢に手を差し出した。


 しかし、来夢は一向に貞彦の手を握らなかった。


 恥ずかしそうに目を伏せて、両手は力なく放り出されている。


「こ、腰が抜けちゃったみたいで、立てない」


「……本当にごめんなさい」


 貞彦は本気で謝罪した。


 ここ数週間で一番本気を込めた謝罪だった。


「……おんぶ」


「はい?」


「おんぶして、保健室まで連れて行ってくれ」


「マジですか」


「わ、私の目を見て」


 貞彦はまじまじと来夢を見つめる。


 マジな目だった。


「は、はやく」


「はい」


 貞彦は観念して、来夢をおんぶして保健室まで移動した。






「人におんぶされたのは、五歳の時以来だな」


「さりげなく悲しい話を混ぜ込むのはやめてくれませんかね」


 保健室の先生はいなかった。そもそも夏休みだから、出勤している教師も限られていた。


 とりあえず保健室を開けてもらい、ベッドを借りて休むことにした。


「ふうっ。少しは楽になってきたよ」


「それなら少し罪悪感も薄れたよ。それでさ、来夢先輩。いい加減こっちを向いてくれませんかね?」


「無理だ!」


 いい返事だった。


 少しは慣れてきたように思い、ついタメ口を使ってはいるが、来夢の方はまだまだなようだった。


 話すことが見つからず、沈黙に支配される。


 思えば、来夢と二人きりになるというのも、まだ二回目だった。


 気が晴れるかもしれないと思っていたずらを仕掛けたが、適切な距離感はまだ出来上がっていない。


 き、気まずい。


 来夢もそう感じているのか、そっぽを向きながらもソワソワしている。


「あの、来夢先輩。ちょっと相談があるんだけど」


 相談という言葉に、来夢は反応した。


 猫耳でもあったのなら、ピーンと立っていそうな反応だった。


「相談だと。仕方がないなあ。頼りになる来夢先輩が、相談に乗ってあげようじゃないか」


 来夢はなぜか、とても嬉しそうだった。


「来夢先輩って、人に相談されることって、けっこうあるのか?」


「人見知りの私が相談に乗れるわけがないだろう。私に相談をしてきた後輩は貞彦くんが初めてだぞ」


「ちょいちょい悲しいことを言うのはやめてくれませんかね!」


 貞彦は、関係者の名前は伏せつつも、紫兎に関わる近況を来夢に伝えた。


「群がる大衆と一緒か。興味深い表現だな」


 来夢はあごに手を当てて、考え込んでいた。


「なんていうか、めんどくさい奴だな」


 それは来夢先輩も一緒だと思ったが、罪悪感もあったため口には出さない。


「澄香先輩は、そいつのことをペシミストだって言っていた」


「悲観主義とか、厭世主義とか言われている人生観か。人生は苦しみや悲しみに満ちているという考え方だったと記憶している。まあ、私の専門外だがな」


 人生には苦しみしかない。確かに紫兎はそう言っていた。


 彼女の詳しい人生については知らないが、そういった考え方をすることになったきっかけはあるのだろうか。


「俺には、そんなことを言うアイツの気持ちがよくわからないんだ」


「ふむ。私も彼女ではないからわからないな。だが、彼女が何に期待しているのかについては、わかるかもしれない」


「本当か」


 貞彦は思わずベッドに身を乗り出した。


 来夢は掛布団に顔を隠した。


 しまった。まるで襲っているみたいじゃないかと、貞彦は反省した。


「哲学については門外漢だが、科学的な分野の観点は持ち合わせている。とある実験で、光で合図を出した後、サルに餌をやることで、脳がどのような活動をするか調べる実験があったんだ」


 貞彦が離れると、来夢はスラスラと語りだした。


「何度か繰り返すと、光を認識したら餌がもらえるということを、サルは学習した。その度に反応したのは『ドーパミンニューロン』という神経細胞だ。快楽を生み出す細胞と言われている」


「餌がもらえると嬉しさを感じる。それって、当たり前の反応だと思うんだけど」


「この後が肝心なんだよ。しかし、餌がもらえることを完全に理解したサルに、再度同じ実験を行う。すると『ドーパミンニューロン』は反応しなかった。つまり、喜びを感じなくなったんだ。もらえて当然だと、当たり前のことになってしまった」


 報酬が当たり前となることで、喜びを感じなくなる。


 お手伝いをした時にもらえたお駄賃も、慣れてくればもらえないことに腹を立てた記憶が蘇る。


 初めて感じた感動は薄れて、それが当たり前となってしまう。そうすることで、喜びを失うという感覚は、貞彦にも理解できた。


「さらに面白いのが次の実験だ。続けて行ったのは、先ほどとは条件が変わる。餌が出る確率を、五〇%に変えたのだ。もらえるのかもらえないのかどっちつかずの状態」


「それで?」


「『ドーパミンニューロン』の活動が最大になった。この実験からわかることは、脳とは不確定性を好むということだ。脳は決まりきった未来よりも、不確定な未来を望むということだ」


 紫兎が見せていた、冷え切った瞳。


 そこには諦観、失望などの感情が含まれているように思う。


 紫兎は貞彦をダメだったと評した。


 そこにはもしかしたら、言葉では表さない期待があったのではないだろうか。


 紫兎の歌を聴いたことで、引き起こされる反応。


 決まりきった、きっともう見飽きたであろう反応を、覆してくれる何かを、求めていたのかもしれない。


「そうか。あいつはもしかしたら、いつもとは違う何かを求めていたのかもな」


「真実は知らないが、可能性は存分にあるだろう。どうすればいいのかわからないが、選ぶのは貞彦くんだよ」


 思えば、いつも迷っている気がする。


 先の見えない暗闇の中で、遮二無二にもがいている。


 その結果辿り着いた時に、他人のものであろうと幸福を見ることができている。


 澄香が、素直が望む。みんながハッピーになれる結末。


 その結末を見つけようと、貞彦は決意した。


「ありがとう来夢先輩。ちょっとだけ元気が出たよ」


「後輩の力になることが、先輩の務めだよ。初めてのことだけどね」


「だから悲しい!」


 その後、来夢としばし雑談を楽しんだ。


 相談支援部であった様々な出会いやアホらしい出来事まで、話せる限り来夢に話をした。


 来夢はなぜか、おもしろくなさそうに口を歪めていた。


「なんだか貞彦くんって、けっこう役得を授かっている気がするな」


 そういう来夢の口調は、なんだか責めているようだった。


「他人のラブコメばっかり見せられてるのに、なぜ俺が責められるんだ」


「他人を幸福にするのは、香水をふりかけるようなものだ。ふりかけるときに、自分にも数滴はかかる。ユダヤのことわざだよ」


「その言葉、なんか好きだな」


 誰かの幸せを願うことで、自分にも幸せのおすそ分けがある。


 決してそのために動きたいわけじゃないけれど、その考え方は救いになるように感じた。


「なんだか、後生大事に人見知りでいることが、馬鹿らしくなってくるな。もうちょっと、人と関わってもいいのかもしれない……」


 来夢はため息を吐いた。


 貞彦はおかしくなって笑う。


「まあ、こうして後輩とも親睦を深めたわけだから、私も成長したのかもな。ねえ、貞彦くん」


 来夢は珍しく、真正面から貞彦を見つめた。


 決意の込められた表情。


「たまには、私とも遊んでくれると嬉しいな」


 なんだろうこの先輩かわいいと、貞彦はとても和やかな感情に満たされた。

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