第3話 楽しいひとたちと楽しくない彼女と

「なるほど。『りあみゅー』の皆様方は、湊さんをメンバーに加入したいということですね」


 結局、貞彦の描いていた嫌なシナリオは現実となった。


 相談支援部室には、貞彦たち以外に三人のメンバーが訪れていた。


 御剣と、見たことのある二年生男子。


 天然パーマでわずかにふわっと髪が踊っている。しかし、芯の通った瞳と強気な表情から意志の強さを感じる。


 彼は天野或あまのあると名乗った。


 もう一人は女子生徒だった。例によって彼女も二年生。


 ふわふわした羊のようなくせっ毛。無表情で何を考えているかわからない。


 彼女は淡々と、習志野ならしのノエルと名乗った。


「そうなんですよ。彼女に話をしても、断られるか逃げられてしまうかで、歯牙にもかけてくれないんですよ」


 澄香は三人を順番に見た。


 言葉には出さないが、頷いている様子から、メンバーの思いは一致しているようだ。


「皆様方の事情はわかりました。しかし、バンドのボーカルということでしたら、湊さんだけでなく、色々な人がいると思います。どうして湊さんにこだわるのですか?」


「湊の歌声を聞いた時に思ったんだ。俺たちのバンドには、あいつが必要なんだって」


 口を開いたのは天野だった。


 立ち上がり、机に両手をつく。情熱を隠し切れないほど、紫兎の歌声に心酔しているようだ。


「私はバンドや音楽について造詣ぞうけいが深いというわけではありません。なので、もしかしたら的外れな質問かもしれませんが、湊さんの求めるものと、皆様方が求める音楽性というものは、一致しているのですか?」


 三人は一様に黙る。


 音楽性という曖昧さは、貞彦にもよくわからない。


 しかし、求めるものの違いから、解散に至るバンドが数多くいることだけは知っていた。


「正直、僕たちが求めていることと、彼女が求めていることは一致していないのかもしれません」


「満。お前がそれを言ったら」


 御剣に対し、天野はつっかかる。


 今にも襟元を掴みかねない勢いだった。


「僕たちの目的はただ、音で心を届けたいだけなんです。プロを目指すだとか、音楽で食べていくだとか、生活の部分に関する構想はありません。それを中途半端だと言うのなら、そうかもしれません」


「満!」


 天野は憤った。


 これほどまでに怒りを露にするほど、天野は本気だという気持ちが伺える。


「でも、僕たちは僕たちなりに本気なんです。本物の音を、気持ちを、全力で届けていきたい。今できることを精一杯に行いたい」


 天野の表情が和らぐ。


 その気持ちはどうやら、天野にとっても一致しているようだった。


「俺だって、同じ気持ちだ。学生でいられる時間は短い。そんな限られた時間の間に、命を燃やし尽くすような表現がしたい。今できるベストを尽くすことが俺の、俺たちの生き様なんだ」


 天野は語る。自らの思いを、熱く、激しく。


 澄香はふっと目を細める。


 まるで眩しいものでも見たかのように、優し気で、羨望を感じるようなまなざし。


「今できることを精一杯行う。その心意気は素晴らしいですね」


「わかって頂けたようで、何よりです」


 御剣は恭しい態度を見せた。ほんとコイツは、大げさで演技的な態度が好きなんだろうなと、貞彦は思った。


「これは一見関係のない質問かもしれませんが、皆様方は人生が楽しいですか? それとも、苦しいものだと思いますか?」


 三人とも面食らっていた。


 どうしてこのことを聞かれているのか、理解に及んでいないといった表情。


「僕は、人生とは楽しいものだと思います。恥ずかしながら、あまり苦労をしたりとか、きつい目にあったりしたわけではないですし」


「俺は楽しいとか苦しいとかそういうのじゃないな。いつだってやれることを全力でやるだけだし、これからもそうだ」


「あたしは、まあまあ楽しい」


 三者三様の回答。


 初めて習志野がしゃべったことで、貞彦は驚いていた。


 ふわふわとした声色を想像していたが、案外凛としていた。


 澄香は満足気に頷いた。


「皆様方の考えはよくわかりました。とても前向きで、溌溂としたものであると感じます。その考え方に、何一つ悪いことはないと思うのです」


 澄香は一度言葉を切る。


 逆説的に語る時、いつもそうしているのだと、貞彦は気付く。


「ですが、湊さんの考え方とは、きっと相容れないのかもしれませんね」


「ということは、諦めろってことを澄香先輩は言いたいのか?」


 天野は怒気を孕んだ声色で言う。


「そういうことではありません。ただ単純に、お互いのことをもっと知れば良いのかもしれません」


「もっと良く知るって、どうすればいいんでしょうか?」


「私たちはあくまで、皆様方に協力は致しますが、湊さんの意思も尊重する立場にあります。それは湊さんが皆様方のメンバーに加わることをゴールとみなすわけではないということを、ご了承いただけますか?」


 三人は呆気に取られていた。


 望んでいた展開と、違っているように感じている様子。


 それでも、御剣は賢明だった。


「わかりました。僕たちも無理やり事を進めたいわけではないです」


 澄香は微笑み、貞彦に視線を向けた。


 なんらかの期待に満たされているように感じた。


「それでは貞彦さん。今回のような皆様方に、どのような目標を設定したら良いと思いますか?」


「えっ」


 普段であれば、目標の設定は澄香自身が決めていた。


 突然選択を迫られたことで、貞彦は焦る。


 思考が乱されてうまく働かない。


 けれど、このタイミングで貞彦に意見を尋ねた意味。そのことを考えると、貞彦はやらなければいけないと奮起する。


「えっと、紫兎のことをそんなに知っているわけじゃないんだけど」


「久田さんと湊さんは、どういう関係なの?」


 珍しく習志野が口を挟んだ。


「いや、ただのクラスメイトだ」


「そう」


 再び沈黙。何が言いたかったのかわからない。


「こんなことを言っちまうのはフェアじゃない気がするけど、紫兎にとって歌を歌うことって、楽しいことじゃないみたいなんだ」


 紫兎の言っていたことを、貞彦は思い出していた。


 歌を歌うのは自然なこと。楽しいことでもない。


「あれだけの才能を持っているってのに、なんだかもったいねえなあ」


 天野は心底残念そうに言った。


 しかし、貞彦には何かひっかかりを覚えた。


 紫兎のことを理解できる手掛かりとなりそうだと思えた。


 しかし、一瞬の閃きはすぐに消えてしまった。


「一人でいることもあいつは好きでそうしているように思う。だからそれを否定はしない。ただ、みんなで音楽を奏でるってところの楽しさみたいなものは、味わったことがないんじゃないかな」


「貞彦先輩も案外考えているんだね」


 珍しく素直が感心していた。


「そういうことなら、僕らはいつだって彼女を歓迎するよ。確約というわけでなく、例えばお試しで参加してもらってもいいのかもしれない」


 貞彦は、その条件の中でできることを考えた。


 紫兎を無理やりバンドメンバーに加入させることは本意ではないし、そのために説得をすることも強制的な様で好ましくない。


 となると、体験してもらい、その後の意思は紫兎に任せる。そのくらいが妥協点として考えられるのではないかだろうか。


「あくまでどうするかは紫兎に任せる。だから目標としては、湊紫兎にバンド活動を楽しんでもらうってところでどうだろう?」







「貞彦先輩にも貫禄が出てきた気がするね」


「そうかな。でも、ありがとな」


 素直に言われ、貞彦は少し照れくさくなった。


 自分なりのやり方を考えた結果、なんとか目標は定めることが出来た。


 けれども、これが成功しているかについては、正直わからなかった。


「澄香先輩、こんな感じで良かったのか?」


 澄香はコーヒーを淹れつつ、貞彦の方へ向き直った。


「貞彦さんなりの考えを、きちんと言えていたと思いますよ」


「でも、正しかったかどうかはわからないんだ」


「正しいかどうかなんて、それは誰にもわからないことです」


 貞彦の前にコーヒーが置かれた。


 普段よりも疲労を感じたので、砂糖を入れようと思ったら、澄香がすでに用意していた。


「ありがとう。澄香先輩」


「いえいえ。貞彦さんも成長しているように感じて、嬉しくなりました」


「そうだね。わたしもこんな風に自分で目標を決めていけたらいいな」


「素直さんだって、すぐに出来るようになると思いますよ」


 澄香は素直の頭を撫でた。


 素直はふにゃっとしている。


 澄香に仕事を任せてもらえたことを、純粋に嬉しく感じた。


 それと同時に、貞彦は不安を覚える。


 信頼と信用を勝ち得たからこそ、澄香は貞彦に相談をさせたのだと思う。


 けれど、そうさせたということは、嫌でも意識せざるを得ない。


 澄香は三年生であり、当然ながら高校生活最後の一年間を疾走している。


 もう数カ月しない内に、澄香は部活動を引退する。


 そのことを思うと、貞彦は気が気でなかった。


 自分の気持ちを誤魔化すためか、貞彦は角砂糖を四つもコーヒーに入れた。

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