第1話 澄香VS紫兎→敗者:貞彦
「湊さん。貞彦さんとはお知り合いだったんですね」
紫兎と会話をしていると、澄香が部室に戻ってきた。
「こいつと知り合いだなんて、澄香先輩もおもしろいことを言うね」
「そう言われて、俺もお前と知り合いだってことを否定したくなってきたよ」
貞彦が罵倒されていても、澄香は気にしていない様子だった。
もっとなんか、フォローめいた言葉が欲しかったと貞彦は思う。
澄香は三人分のお茶を淹れた。
「澄香先輩のお茶はおいしいな。強いていえば、もっと高いお茶はないのかと言いたいところがおしいかな」
「単純に失礼」
貞彦がツッコんでも、澄香は平然と笑顔だった。
「ふふふ。ご満足頂けたようでなによりです」
「動じねえ」
「あと、ありがとう澄香先輩。かくまってもらったおかげで、愚劣でつまらない追ってからは逃げられたよ」
「教師に対する口ぶりじゃないな」
「いえいえ。困ったときはお互い様ですから。あと貞彦さん。湊さんは先生方から逃げているだけではないようですよ」
紫兎自身が言っていたことは、嘘ではなかったようだ。澄香が言うことであれば信頼できる。
「追われているっていうことは、嘘じゃなかったのか」
「私は冗談は言うけれど嘘はつかないよ。人を嘘つき呼ばわりする貞彦はどうかと思うなあ」
「お前に言われることは、心底屈辱だよ」
澄香は口に手を当てて、お上品に笑っていた。
刃渡の時にも思ったが、澄香の動じない姿勢は常人離れをしている。
夜の海での儚さが、嘘だったんじゃないかと思えるほどに。
「私から説明しましょうか。再来週の日曜日に、生徒会主催のミュージックフェスティバルがあることは知っていますよね?」
「ああ。それはもちろん」
生徒会が主催する夏休みイベント、ミュージックフェスティバル。
高校に所属する生徒、教師であることが参加条件だ。
グラウンドのステージで、参加者各々が自分なりの音楽にまつわる出し物を行う。
吹奏楽部の演奏や、合唱部の歌唱だけではない。一般生徒のカラオケでも、アマチュアバンドでも構わない。
みんなが楽しめるようなイベントとして、奥霧が峰子に提案したことだった。
文化祭との差別化として、音楽に対象を限定した。
ミュージックフェスティバル、後に控える体育祭や文化祭。峰子はずっと大忙しのようだった。
「そのイベントと紫兎にはなんの関係があるんだ?」
「紫兎さんは、そのイベントに参加するバンドメンバーに追われているそうなんですよ」
貞彦は紫兎の方を見る。
紫兎は音楽の授業でも目立っている様子なかった。気のないように歌うだけだったので、どうして追われているのか貞彦にはわからない。
「紫兎がか?」
「疑っているようだね。人を信じられないんだね」
「俺の問題にするな」
「信じなくても大丈夫だよ。それが貞彦の人間性なんだもんね」
「俺の問題をどんどん大きくするな」
「私もたまたま湊さんの歌声を聞かせてもらったのですが、とても素晴らしいものでしたよ」
澄香は恍惚とした表情をしていた。
澄香がそこまで言うのであればと、貞彦は紫兎の歌声について少し気になってきた。
「ちょっと聞かせてくれよ」
「そう言われると、なんだか素直に歌いたくなくなるな」
貞彦はむっとした。
「いやー紫兎様の歌声が楽しみだなあ。ぜひとも聞いてみたいなあ」
「媚びるような態度が本当に気持ち悪いね」
「貞彦さんの必死なところも、可愛らしいですね」
「澄香先輩の方がどっちかというとひでえから。それトドメだから」
押してダメなら引いてみろという格言を、貞彦は思い出した。
「まあいいや。俺もそこまで興味があるわけじゃないしな」
「そうなんだね。私も貞彦にはほんと興味ないんだ。私たちって気が合うね」
「好意的な拒絶。もうどうしようもないじゃん」
気まぐれというよりはかたくなすぎて、貞彦にはお手上げだった。
「ところで、湊さんはどうして、バンドメンバーに加わりたくないのですか?」
澄香は聞いた。
逃げているということに囚われすぎていたと、貞彦は気付く。
思えば、当然の疑問だった。
紫兎はそもそも、どうしてバンドメンバーに加わりたくないんだろうか。
「あいつら、音楽が大好きなんだ」
紫兎は心底嫌そうな顔で言った。
「音楽が大好きということは、とてもいいことのように思えますが」
「そういうところが気に食わない。音を奏でて、楽器を弾き乱す。それだけが自分たちの全てだと言うように、言い放っているようなんだ」
澄香は考え事をしているようで、親指を絡ませて回している。
澄香が考えている時の癖だった。
「湊さんは、歌が嫌いなんですか?」
「歌が嫌いというのは正確じゃないかな。それだけが全てだという狭量な価値観が嫌いなんだ」
紫兎は吐き捨てるように言った。
先ほど言ったばかりの、紫兎のセリフが貞彦には気になっていた。
楽しいことがいけないわけじゃない。
楽しさを見つけようと、必死になっている奴らが気に食わないと。
なぜなら、人生は苦しみに満ちているというのだから。
「湊さん自身が、歌を歌うということは好きなのですか?」
紫兎は押し黙る。
斜め上の方を見上げている。
貞彦のしらない、思いをまとめているように見える。
「好きでも嫌いでもないかな。歌いたい時に歌って、逆の気持ちの時には歌わない。それだけだ」
澄香は、優し気に笑顔を浮かべる。
「湊さんにとって、歌を歌うということは、とても自然なことなのですね」
「怪しい感じだと思っていたけど、澄香先輩の表現は正しいかもしれないね。そうだね、私にとっての歌とは、自然なもので意味がないものかもしれない」
「ということは、湊さんにとっての自然な行為を、勝手に意味や感情を他人につけられるということが、嫌なのですか?」
澄香は笑みを浮かべつつ、紫兎の方を見つめた。
紫兎は息が詰まったような顔をしている。
「人の心を覗き見ようだなんて、澄香先輩は意地の悪い趣味をしているね」
「お褒め頂き光栄です」
「皮肉で返されているようだね。私も澄香先輩に興味が湧いてきたよ」
紫兎は口角を上げる。澄香の表情はニコニコとして変わらない。
それでも、なぜか龍と虎がにらみ合っているように貞彦には見えた。
「澄香先輩は、人生はむなしいものだと言ったら、反発を覚えるのかな?」
「いえ、そんなことはありません。人生に意味がないというのは、私の中に結論としてあります」
「ふーん。澄香先輩はニヒリストなのかな。私はちょっと違うかな」
「カテゴリに当てはめてしまうことはどうかとも思いますが、湊さんはペシミストであるように感じます」
澄香がそう返すと、紫兎は嬉しそうに笑った。
「『社会というものが出来て以来、そこから逃れる者は迫害され、嘲笑された。≪俺は何もやりたくない≫などと叫ぶ大胆さは、誰一人持ち合わせていない――世間の人は、あらゆる行為から解放された精神に対してより、人殺しに対するほうが寛大である』」
「エミール・シオランですか。何もしないという怠惰について、世間の人々は人殺しよりも罪が重いと考えている、ということですね」
「うん。何もしないことを、まるで世紀の大罪人であるかのように扱う。何もしないことで、他人に対してはほとんど迷惑をかけていないというのに」
二人が通じている話について、貞彦は知らない。
ただ、二人が言っている話の内容については、なんとなく理解をすることができる。
学校にこなかったり、与えられた仕事を放棄したり。
やらないことで、誰かに迷惑がかかっていることは確かではある。
けれど、それがまるで罪のように扱われることに、何かしらの違和感は感じる。
「自分の思っていることが最上だと考えて、それを押し付けようとする輩が、私は嫌いなんだ」
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