相談内容⑤ 楽しさを見つけるためには Falling down to heaven

プロローグ 部室の隅に毒舌少女

 しょわしょわと、セミが合唱を続ける。


 命をかけた一週間限りの演奏会。彼らの中では大盛り上がりのようだ。


 夏休みだった。


 誰が何と言おうと、夏休みだった。


 貞彦には、特に何もなかった。


 UFOにさらわれてひと夏の恋に身を焦がす。


 一球に魂を込めて、一瞬の夏に熱狂する。


 友人たちと共に、夏の侵略者たちを追い払う。


 そんなことは何もなかった。


 ピコンとスマホが鳴る。


 開く。


 素直からだった。


『みんなで海に来たよー。うらやましいでしょー』


 素直、カナミ、カルナ、美香子。


 四人組の写真が添付されていた。


 ビーチパラソルの陰で、ピースサインが咲いている。


 太陽がまぶしい。


 でも本当にまぶしかったのは、一年生組の色とりどりの水着姿。


 貞彦は写真をマイフォルダに移した。


「カルナ。大見。カナミ。素直」


 気がつけば呟いていた。


 何の順番なのかは、絶対に言わないでおこうと思った。


 ピコン。


 またスマホが鳴る。


 貞彦はわくわくしながら開く。


 刃渡からだった。


『水着姿なう』


 貞彦はスマホをぶん投げようと思った。


「はあっ」


 思わずため息が出る。


 青春がしたいと、思わなくもない。


 一般的な幸せが自分にとっての幸せだとは思わない。


 相談を受けて支援を行う。そんな奇妙な部活に所属している自分は、おそらく何かが他の人と違うようにも感じる。


 優れているという意味ではなく、ただ単に違うのだ。


 とはいえ、一般的と考えられる願望が、ないわけではない。


 彼女でも作って、なんでもないことを一緒にやって、青春っぽいことを青春っぽく楽しむ。


 きっと楽しいだろう。バカげているようにも思うけれど。


 澄香先輩。素直。


 少しだけ心が揺れる。


 あの笑顔を。むくれるような顔も。触れた時の体温を。


 自分だけが感じるようになったとしたら。


「暑い」


 貞彦は思考を打ち切った。


 好意は確実に存在する。


 確信を持てないわけじゃない。


 根本的に、信じられないだけだ。


 人気のない廊下を進む。授業のない学校は静寂に満ちている。誰もいない校舎では、寂しさと非現実さに心が冷たくなるようだ。


 寂れた楽園も、貞彦は嫌いではなかった。


 貞彦は部室のドアを開けた。


 部室にはいつでも来ていいと、澄香に言われていた。澄香がいる日には部室を開放している。今日はどうやら来ているようだ。


 カバンを机に置き、パイプ椅子に腰をかける。澄香は見当たらない。開けっ放しなんて不用心だなと、防犯意識の薄さを心配した。


 お茶でも淹れようかと席を立つ。変化のない部室の姿を視界に収める。


 部屋のすみっこに、なんかいた。


「うおっ!?」


 だらっと生足が放り出されている。スカートも微動だにしない。壁に寄りかかっているおり、リラックスしているのかもしれない。


 印象的な冷気を孕んだ瞳。


 そして、クールな雰囲気には不釣り合いな、うさぎ耳のついたファンシーなパーカー。


「ってお前、紫兎しとじゃないか。何でいるんだよ」


 クラスメイトの湊紫兎みなとしとは、緩慢な動作で貞彦に目を向ける。


「やあ貞彦。五年ぶりくらいだね」


「嘘つけ。終業式の日にも会ってるだろ」


「あまりにも君の印象が薄いから、終業式に会ったことも忘れてしまったよ」


「お前、相変わらずひどい物言いだな」


「ひどいかな? そう思うのは、貞彦が勝手に悪口を言われているように感じているだけじゃないの?」


「じゃあお前は、悪口を言っていない気なのか?」


「言っているつもりだよ」


「じゃあ悪口じゃねえか!」


 人を小馬鹿にしたような少女。紫兎はいつもこんな感じだ。


 時に率直に、時に皮肉めいた言葉を相手に浴びせる。


 刃渡瑛理も似たようにひどいことを言うのだが、違いがあるとすれば、瑛理は天然だ。意図しようがしまいが、それが相手にとってはひどい言葉となる。


 対して湊紫兎は意図的にやっている。


 紫兎の容姿や不思議な雰囲気に惹かれ、お近づきになろうとする輩は、すべて冷たくあしらわれる。


 貞彦は紫兎に対して積極的にからもうとはしない。必要な会話ぐらいは行う程度の仲だ。


 必要な会話すらしなくなった人が大半の中、貞彦は淡々と接し続けた。


 それで、会えば話をするくらいの関係となった。


「それでさ、なんでここにいるんだよ」


「君がここにいる理由よりは、意味のあるものだよ」


「ほーう。俺は一応は部活動のために来てるんだ。学生としての本分を果たしていると言える。お前はどうなんだ」


 紫兎は胸を張り、得意気に言う。


「補習だ。君とは違って、私は勉強のために学校に来ているんだ」


「勉強をサボっていた結果じゃん!」


 そういえば、テストが返された際に、紫兎は教師から苦言を呈されていた記憶がある。


 話をしている感じから、頭が悪いとは感じない。たまに小難しい言い回しをしたり、人の気持ちを的確にえぐるような話をしている。


 テストの結果が悪かったことは、単純にサボっていたからなのだろうか。


「というか、それならここにいるのはおかしいじゃないか」


「私がここにいることを否定するなんて、貞彦は差別的だね」


「そうじゃなくてさ、補修だったら教室でやるんじゃないのか?」


 貞彦は当然の疑問を口にした。


 紫兎はふうっと、わざとらしくため息を吐いて、肩をすくめた。


「私は不幸なことに、追われているんだ」


「えっ、何かあったのか?」


 貞彦は深刻そうに聞いた。


 ただのクラスメイトとはいえ、何かのっぴきならない事情があるのかもしれない。


 力になれるかはわからないが、貞彦は心配に思う。


「コバエよりも役に立つと噂の貞彦が、なんとかしてくれるのか?」


「その枕詞をやめろ」


「コバエに失礼だとでも言うの?」


「俺に失礼だと言っているんだ」


「貞彦のツッコミは、叫んでばかりの一辺倒だね」


「やめろ。今までで一番傷ついたわ!」


 貞彦は架空の痛みで胸を押さえた。


 変な奴らが多い学校だとは思っていたが、ここまでアレな奴らばかりなのは勘弁して欲しい。


 各学年にヤバい奴らがいるような気はするが、もしかしたら二年生組が一番ヤバいのではないだろうか。


 あと一年以上も付き合いがある奴らのことを思い、貞彦はぞっとした。


「そろそろ話が進まないから、最低限しかツッコまないぞ」


「君からツッコミをとったら、一体何が残るというの?」


「残るわ! ってツッコんじまった」


「で、何に追われているのかだったよね。補習をサボったおかげで、教師がきっと私を探しているでしょうね」


「自業自得じゃねえか。心配を返せ」


「心配事に見返りを求めるなんて、心狭いね」


「お前は的確に俺の心を責めてくるな!」


 自分の居場所のはずなのに、もうすでに帰りたくなってきた。


 澄香先輩早く来てくれと思う。これほどまでに澄香を待ちわびるのは、案外久しぶりだった。


「ちなみに、私を探しているのが教師だけだと思ったら大間違い。もっと大勢の人に狙われている」


「お前は何かの大物なのかよ」


「ある意味そうなんだよ。うんざりするけどね」


 紫兎はつまらなそうに髪をいじった。


 非協力的で、他人とは関係を結ぼうとしない、どこかひねくれた女子生徒。


 貞彦が知っている湊紫兎は、ただそれだけだった。


 憂いを帯びているようにも、大人びているようにも見える。


 うんざりと瞳を逸らしている表情は、どこかミステリアスな魅力がある。


「みんなみんな、楽しいことを探している。そんなのって、なんだかくだらないよね」


 紫兎は独り言のように言った。


 わかってくれるはずがないと。自分でそう信じながらも、同意を求めるような内容だった。


「楽しいことはいいことなんじゃないか?」


「楽しいことがくだらないんじゃないよ。楽しいことがないかなーって、探している。生きるむなしさを埋めるように必死になっていること。それをくだらないって言っているんだよ」


 相変わらず紫兎の目は冷めている。


 貞彦には、紫兎の言っていることを理解できなかった。


 貞彦自身も、楽しいことはないかなって探している。


 それは澄香だって素直だって、きっとほとんどの人物は、そうやって生きることに楽しみを求めているはずだ。


 楽しみではなく、それを探すことがくだらない。


 何かを蔑んでいる紫兎の感情について、貞彦は知りたいと思った。


「紫兎はどうしてそう思うんだ?」


 紫兎は、円は丸いとでも言うような口調で言い放つ。


「生きていることって苦しみばかりだよ。十七年も生きていて、まだ気づいていないのかな?」

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