第15話 大嫌いな世界に、せいいっぱいのワガママを込めて

 カナミは、校舎の屋上でたたずんでいた。


 おそらく瑛理から忍ばされた手紙には『放課後に屋上で待つ』とだけ書かれていた。まるで果たし状のように思った。


 普段は施錠されていて、立ち入り禁止の場所だと思っていた。


 しかし、どういうわけか施錠が外されていて、すんなりと侵入することができた。


 カナミは欄干に手をかけて、屋上から見える景色を眺めた。


 立ち並ぶ雑居ビル。少し都会を離れれば、田園や森林が連なっている。


 校舎から出て、何人もの生徒たちが帰宅する姿が見える。おしゃべりしながら歩く女子たち。一人スマホを見ながら歩く男子。部活動に興じて、青春の香りを漂わせる人たち。


 人を眺めている時、カナミはより孤独を感じる。世界がもしも自分一人であったのなら、きっと孤独に苛まれるのだと人は言う。


 けれど、実際にそうとは思えない。


 もしも世界に一人きりであったのなら、誰かのぬくもりも知ることはない。


 手に入れたことのないものは、奪われるはずがないのだから。


 かつての栄光の輝きは、失われたからこそ輝きが増している。


「カナミはつまらない奴。瑛理先輩のいう通りですね」


 あてもなく呟いた。


 本当は、自分でもわかっているのだ。


 失敗した恐怖から、体験から、本当の気持ちを隠すようになっている。


 くだらないと思うおべっかのような会話も、大したことをするわけでもない誰かとの遊びも。


 みんなみんな、つまらない。


 つまらないことをつまらないと思いながらも、従うしかない。


 そんな自分が、一番つまらない。


「誰か、たすけてよ」


 バカらしい願いだと思う。


 どうこうできないことを、ただなんとかして欲しいと思うことなんて、無駄なことのようにすら思う。


 それでも、言わずにはいられない。


 誰も聞いてくれる人などいない。今だからこそ、カナミは見せたくもない弱みを吐き出すことができた。


「それは無理だな」


 その声は、上から聞こえた。


 涙を拭いながら見上げる。


 給水塔の上、ふんぞり返ったポーズで刃渡瑛理が立っていた。


「瑛理先輩」


「よくぞここまでたどり着いたな。天美カナミ」


 瑛理はゲームに登場する魔王のような口調で言った。


「カナミのことをこんなところに呼び出して、いったいどうするつもりなんですか?」


「えっ? どうにかしていいのか?」


「そ、それはダメです」


 カナミは身を守るように体を抱きしめた。


「そうじゃなくって、どうしてカナミのことをここに呼び出したんですか?」


 噂になっている、数々のいたずらを仕掛けたのは、間違いなく瑛理だと確信ができる。


 ただ、普段からわけのわからない瑛理が、どうしてそんなことをしたのかは、まるで理解ができない。


 いたずらを仕掛けた理由も、カナミをここに呼び出した理由も。


 きちんと聞かなければ、納得が出来ないと思った。


「なあ天美カナミ。今日の周りの様子はどうだった?」


 瑛理はカナミの質問には答えなかった。


 カナミは、教室の様子を思い返した。


「どこかの変な人が仕掛けたいたずらで、騒然としていましたね」


「誰が変な人だ!」


「それはもう自白じゃないですか」


 カナミは呆れた。予想通りすぎて、何も言えない。


「いたずらをおもしろがる人、明日も続くのかとこわい思いをしている人、ひどいことをする奴だと憤る人、反応は様々でしたね」


「そうかそうか。そうなんだな」


 瑛理はなぜか、満足気に頷いていた。


「ここから眺めているだけで、色んな奴らがいることがわかるな」


「それは、そうですよね。学校なんですから」


「不思議に思うことはないか? なぜこんなに色々な人がいるのに、世の中は同じようなことが起きるのかについて」


「たとえば、どんなことですか?」


「漫然とルールを守っている集団。なぜか分けられて納得をしているクラスの制度。あと、誰もがいけないことだとわかっていながらも起きてしまう、いじめの問題とかな」


 いじめという言葉に、カナミの心に陰が差す。


 そのことは自分自身で、何度も何度も問いかけていたことだった。


「それは……一人では、人は弱いからじゃないですか?」


 集まることで、群れることで力が増していく。


 多数派となった者たちは、少数派を否定する。数だったり力関係だったり、勝っていることで優位に立つ。


 かつて自分がそうだったように、自分の思い通りにならないものは否定する。徒党を組んで防御を固める。


 ちっぽけな個人は、集団になることで大きくなった気でいる。傲慢になる。


「そうだな。一人は弱い。単純に二人には勝てないかもしれない」


「だからカナミは負けたんです。そうした経験で得た生き方は、まちがっているはずはないんです」


「そう言っているくせに、傷ついているんだな」


 カナミの心に楔が刺さる。


 容赦も遠慮もない物言いに、反発心が湧いてくる。


「それの何がいけないっていうんですか」


「いけない、なんて一言も言ってない。ただ、傷つくくらいならやめてもいいって思うだけだ」


「じゃあどうすればいいんですか」


 慟哭染みた言葉に、瑛理は顔色一つ変えない。


 この雰囲気に似つかわしくない表情で、瑛理は笑った。


「わからん。そんなもんは自分で見つけろ」


 カナミは見捨てられたように感じ、その場で膝をついた。


 どうすればいいのかわからなくて、感情が容量を溢れそうになる。


「ただ、お前が怖がっている状況だけはなんとかしてやる――俺のやり方でな!」


 瑛理がそう言ったタイミングで、サヤと貞彦は屋上に到達した。


 二人はまだ事態を飲み込めず、カナミの下へ駆け寄った。


 しかし、瑛理は気が付いていない様子だった。


 瑛理は目一杯空気を吸い込んだ。


「みんなー! 俺に注目しろ!」


 瑛理は全力で叫んだ。


 グラウンドから、校門から、辺り一帯に声が響いた。


 何人かの生徒、教師は振り返り、気づいた者は屋上にいる瑛理を見て、驚愕の表情をしていた。


「今日お騒がせしていた、いたずらの犯人はこの俺だ! お前らが驚いてひっくり返る姿は最高だったぜ!」


 瑛理は煽るような口調で言う。わざと神経を逆なでするような、悪意を誘う口調を演出しているようだ。


 周囲がざわめきだす。突然の天からの声に、誰しもが戸惑っている様子だった。


「俺はお前たちが嫌いだ! 群れるだけしか脳がなくて、自分と違うものを許せない。けれど周りに飲まれながら生きている。中途半端な没個性どもが!」


 瑛理は煽る。否定する。罵倒する。


 自分たちがバカにされていることに気が付いたのか、何人かは苛立ちをもって瑛理を見上げていた。


「もし何か言いたいことがあるなら、直接言いに来いよヘタレども! 俺はここから逃げないからな!」


 何人かの生徒が動き出した。


 数分後に瑛理がどうなるかということが、はっきりと予想できる。


 怒りを抱えた暴徒たちに、きっとボコボコにされる。


「瑛理。君は一体何がしたいんだ」


 サヤが真剣に聞いたが、瑛理はあっけらかんとしていた。


「いや、一軒家と高層ビルで同時に火事が起きたらさ、どっちに消防車が駆け付けると思う?」


「多分だけど、高層ビルの方じゃないか?」


「だよな。カナミに悪意が向けられる可能性があるんだってわかったから、より大きなことがあったら、カナミのことなんて後回しになるんじゃないかと思ってさ」


 問題を、より大きな問題を隠れ蓑にして意識から逸らしてしまう。


 たったそれだけのために、瑛理はおそらくこんな大ごとを起こしたようだった。


「でもそれだと、刃渡に被害が及ぶんじゃないか?」


「まあ、そうだろうな」


 貞彦の問いを、瑛理はすんなりと肯定した。


 まるでそよ風でも浴びているような表情だった。


「そんなことをして、瑛理先輩になにか得はあるんですか? どうして嫌いなカナミのために、そんなことを」


 瑛理は呆れ顔だった。


「別に嫌いだとは言ってないだろ。それに、天美カナミのためにやったと思うんなら、それはお前の勘違いだ」


「じゃあ、どうして?」


「俺は――俺のためにしか動かない!」


 瑛理は言い放つ。


 誰よりも堂々と、憂いなど何もないというように言い放つ。


 群れからはじき出されたライオンを想起させる。


 けれど、一人でも悠々とサバンナを歩き、そこにはなんの虚偽も感じなかった。


 孤独であると同時に、孤高であるように感じた。


 カナミは、瑛理のことが気に食わないと思う理由について、知ることができた。


 人としては全然ダメなくせに、そのことに引け目を感じたり、自分を卑下したりを全くしない。


 そんな瑛理の様子が、とても羨ましく見えたのだ。


「だから君はクズなんだ。相変わらず、自分のことだけしか考えられない。そんなことは間違っている」


 サヤはなおも瑛理を批判する。


 常識的に、普遍的に批判する。


 それでも、瑛理はまるで揺らがなかった。


「なあ天美カナミ。お前は何が間違っていると思う? 浅はかな自分自身か、自分が認められないこんな世界か」


 問いかけられて、カナミは迷った。


 わがままで好き放題の自分自身。


 他人に媚びを売る自分自身。


 その両方が、嫌いだと思っていた。


 だからこそ、ずっと納得がいかないのだと思っていた。


 けれど、瑛理に刺激されて、心を剥がされて、本当の気持ちに、ようやく気付いた。


 本当は、ずっとずっとそう思っていたこと。


「カナミは――カナミがカナミであることを認めてくれない、こんな世界が大っ嫌い!」


 どちらの自分も、自分自身だった。


 どちらの自分も、認めてあげたかった。


 だけど、クラスが、社会が、世界がそれを認めてくれない。


 より適応しなさいと叱られているようで、どんどん形に押し込まれていく。


 そうすることが幸せであると、口八丁に押し込められる在り方が心底嫌いだ。


 瑛理は笑う。


 カナミのことを認めてあげるわけではなく、嘲るように笑った。


「バーカ! 個人が悪いとか、世界が悪いとか、そんなもんじゃないんだよ。ちっぽけな個人のことなんか、この世界にとってはそもそも勘定にも入っていないんだっての」


 二択を迫っておきながら、瑛理はいじわるくそう言った。


 個人個人のことなど、無意味だと瑛理は言っているように感じた。


 世界の在り方に、ちっぽけな一人一人など、大したことは何もないんだと。


「刃渡。もしかしてだが、お前も人生に意味なんてないって思うのか?」


 貞彦が聞くと、瑛理は表情も変えずに口を開く。


「ああ。ないね。俺たちの思いでいいように変わるものなんてない。世界はただ、そこにあるだけだ」


「どこまでも個人的で、救いようのない意見だな。君がそう思っているからといって、社会の在り方も、人の在り方も変わらない」


「だろうな。だけど、それでいいじゃん」


 カナミは不思議と嫌悪感を感じていなかった。


 自分の答えを否定されたというのに。バカにされたというのに。


 ただありのままのことを、ありのままに受け入れている刃渡瑛理に対して、嫌いな思いはどんどん薄くなっていった。


 攻撃性を帯びた喧噪を感じた瞬間、屋上の扉が開かれた。


 十人ほどの生徒が集まっていた。瑛理にバカにされたことで、怒りを燃やしているようだった。


 その中の一人は言う。


「おい! くだらねえことしやがって。謝れよ!」


 便乗してそうだそうだと声が上がる。


 渦巻く怒気を一身に浴びても、瑛理はひるまなかった。


「なんで謝らなければいけないんだ?」


「人を馬鹿にしたようなことをしやがって。悪いことをしたのなら、謝ることは当然だろうが!」


「あーっはっはっはっは」


 瑛理は高笑いを上げる。


 心底くだらないとでも言うように、堂々とした態度で笑う。


 瑛理は給水塔から降り、少数団の前に立った。


「ちなみに、謝らなかったらどうなるんだ?」


「ちょっとは痛い目にあってもらうかもしれないな」


「そうか。じゃあ一言だけ言わせてもらってもいいか?」


 生徒達の笑みがニヤニヤした嫌な感じとなる。


 怖気づいて謝る気だぜと、そうやって瑛理をバカにしていた。


 瑛理は目一杯ふんぞり返り、得意気な顔で言い放つ。


「この世界も俺も、何一つ悪くないぜ! だから謝る気なんてないね!」


 危険も顧みず、他者にも迎合せず、瑛理は真っすぐにそう答えた。


 カナミは呆れてしまった。


 暴力の予感を感じても、怯まずに自分のやりたいことをやり続ける。


 自分のためだと言いながらも、カナミに危険が及ばないように、自ら先頭に立ってくれる。


 正しいのかも、間違っているのかも。


 厳しいのかも、優しいのかもまるでわからない。


 社会不適合者で、人の気持ちがわからなくて、言動も行動もおかしくて、どう見ても生きやすそうには見えない。


 それでも、瑛理はやりたいことをやりたいように生きていた。


 自分には一切の間違いがないと、愚かにも言い放つ。


 そんな風に生きてもいいんだと、カナミは思った。


 次の瞬間、生徒たちは動き出した。


 謝る様子のない瑛理に、正しさという武器で暴力を奮おうとした。


 貞彦とサヤが割って入ったけれど、その努力もむなしく、瑛理への暴動は止まらない。


 カナミは動けない。向けられる悪意に、広がる怒気に、ただ見ているだけしかできなかった。


 そんな自分を情けなく思った。


 出来ることは、力なく祈ることだけ。


 自分のために、人が傷つくことは、自分が傷つくことと同じくらいに嫌だった。


「誰か、瑛理先輩をたすけて!」


「はい。わかりました」


 屋上の扉が開いたと思えば、一気に人が流れ込んでいた。


 暴徒になりかけた生徒たちの前には、まりあ、奥霧、カルナ、素直が立ちはだかった。


 瑛理は甲賀が羽交い絞めにして、あっと言う間に拘束が完了した。


「刃渡さん。あなたは何も悪くない。ですが、やり方が適切ではないですね」


 穏やかで温かさを帯びた声色。浮かべられている柔らかな笑み。


 白須美澄香が屋上に現れた。


「実根畑さん。お願いしますね」


「あなたってほんと、実は人使いが荒いですよね」


 溜息を吐きながら、生徒会長の峰子が瑛理と生徒たちの前に立ちはだかった。


 こういうのは得意じゃないんですけどと、弱気な呟きをカナミは聞いた。


「本日に起きた下駄箱やかばんなどへのテロ事件については、生徒会と風紀委員が預かります! ですので、皆様は安心してくださいね」


 嫌そうな雰囲気はなりを潜め、峰子は生徒会長らしく、威厳を持って言い放ったのだった。

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