第7話 刃渡は今日もおかしい

「何があったんですか? さだひこ先輩っ。かわいい後輩のミミちゃんがなんでも聞いちゃいますよ」


「なあ、そのミミちゃんっていうのはすごく抵抗があるんだけど」


「なんでですか。かわいいじゃないですか」


「そう呼ぶのは恥ずかしくて……妥協案ってことで、せめて名前呼びで許してくれないか?」


 カナミは納得いかなそうに膨れていたが、一転して笑顔に早変わりした。


「しょうがないですね。恥ずかしがりやのさだひこ先輩のために、カナミは許してあげます」


「ああ、ありがとう」


 俺はなんでお礼を言っているんだと、貞彦は納得がいかない気持ちになった。


「ところでさ、カナミはなんで俺の話を聞こうとするんだ?」


 カナミと会ったのはまだ二回目であり、関係性と言えるほどの繋がりは、貞彦には感じられなかった。


 にもかかわらず、まるで旧来からの友達のような距離感で話をしてくる。


 純粋な目線で見るならば、社交的で優しい子なんだという表現をできるかもしれない。


 けれど、貞彦はそうは思わなかった。


 相手からの印象を操作するような演技臭さを、素直な気持ちで信じることはできなかった。


「素直ちゃんがよくお話をしているから、気になっていたんですよ」


 貞彦は恥ずかしさとドキドキを感じていた。


 恋愛としての意味というよりは、一体どんなことを話されているのかといった、不安によるドキドキだった。


「それにぃ、知り合ったことで、カナミのことを好きになってくれるかもしれないじゃないですか?」


「……好きになるって?」


 貞彦は澄香とのことを思い出し、感情に影が差していた。


 貞彦の表情に真剣身が増したことを、カナミは読み取ったようだ。


 友達に向けるような、気安い表情を見せる。


「そういう意味じゃないですよ。あくまで、友達としてです」


「友達、ねえ」


「もちろん、ファンになってくれてもいいですよっ」


 ファンという言い方に奇妙なものを感じた。


 そういえばと、貞彦は思い出す。


 以前クラスメイトが、一年生にやたらと可愛い子が入ったと噂をしていたことがあった。


 所作や話し方がとても可愛らしく、まるでアイドルみたいだと、鼻の下を伸ばしながら話していた。


 男子高校生って、やっぱりそんな話ばっかりなんだなとあほらしく思っていた。


 三年生の天使、紅島まりあ。


 二年生の眠り姫、猫之音ネコ。


 そして、一年生のアイドル。


 貞彦は、噂になっていた人物についてようやく気付いた。


「一年に入ってきたかわいい子っていうのは、カナミのことなんだな」


 かわいいという言葉に反応し、カナミは自信満々の笑みを見せた。


「かわいいだなんてとーぜんですよ。でも、もっとほめてくれてもいいんですよっ。さだひこ先輩」







 あれこれと聞いてくるカナミをいなしながら歩く。


 廊下の先に、匍匐ほふく前進をしている怪しい男を見つけた。


 刃渡だった。


 刃渡は這いながら周囲を見渡していた。


 小刻みに首を動かして、一歩一歩慎重に進んでいる。


 パンツでも覗くつもりかと思ったが、女子生徒には目もくれていない様子である。


 全然意図がわからなかった。


「刃渡。お前なにやってるんだ?」


 刃渡は振り向く。


 戦場の兵士のような顔つきをしていた。


「貞彦くんじゃないか。君も気を付けた方がいいぞ」


「なんでだよ」


「変態が出たらしいんだ!」


「は?」


 初耳だった。


 しかし、刃渡の言うことを全て信用する気にはなれない。


 本当に変態が出たのなら、もっと周囲がざわついたり、教師からの注意喚起があったりしそうだと推測した。


 慌てふためく人も、騒がしく変態について口にする者も見当たらなかった。


「なあカナミ。そんな話聞いてるか?」


 隣にいるカナミに話しかける。


 カナミはさきほどとは打って変わって静かになった。


 満面の笑みを浮かべてはいるが、頬が引きつっていた。


「いいえ」


 そっけない返事だった。


 ハートが見えそうなくらいに、愛想を振りまいている姿は消え去ってしまった。


 いつのまにか、貞彦の隣から背中側に移動していたことも気になった。


 貞彦は不思議に思ったが、まずは刃渡の相手をすることにした。


「変態が出たって、どこで聞いたんだよ?」


「素直ちゃんが顔を両手で覆いながら走っている姿を見てな。『変態ー』って叫んでた。きっと襲われたに違いない。許せん」


 貞彦は頭痛を感じた。


 素直との会話のせいで、新たな問題ごとを生み出してしまっていた。


 ただ変態がいないのであれば、別に刃渡を放っておいてもいいとは思う。


 このまま刃渡を放置した場合の展開を想像する。


 刃渡を放置する。このまま探し続ける。挙動不審が祟って、誰かに通報される。刃渡が本当に不審者扱いされてしまう。


 とても現実的な未来がシミュレートされてしまい、貞彦はきちんと訂正することにした。


 自分で蒔いた種は、自分で刈り取らなければ。


「刃渡、言い辛いんだけど、その変態は俺のことだ」


 刃渡はびっくりして目を見開いていた。


 そして、戦場に子供でも送り出すかのような、悲痛さを滲ませた表情に変わる。


「俺は悲しいぜ貞彦くん……唯一の友達が、変態だなんて」


「いや、だから誤解なんだって」


「五回も変態行為に及んだのか!?」


「日本語って難しいな」


「どんなことをしたんだ? 素直ちゃんの反応はどうだったんだ? 柔らかかったり気持ちよかったりしたのか!?」


「興味を持つな。だから、俺は変態なんかじゃないんだって」


「変態なのに、変態じゃない? 哲学的な問いか。難しいな」


「あーもうめんどくせぇ!」


 水無川の気持ちを痛いほど理解した。


 刃渡との会話が長引けば長引くほど、ストレスが溜まっていくシステムというのは、誰にでも適用されるらしい。


 貞彦は、出来る限り誤解を生まないよう、丁寧に流れを説明した。


「つまり、変態行為に及ぼうとした相手は、素直ちゃんじゃなくて澄香先輩相手だったということか」


「……もうそれでいいよ」


 貞彦はあきらめた。


 変態と言われるのは癪だが、これ以上会話をしていると疲れが溜まる。


「そっか。しまったな。どうせなら物陰から見ておけば……痛って!?」


 クズなことを言ったかと思えば、刃渡は体を曲げて、右足のふくらはぎをさすり始めた。


 貞彦もカナミも、刃渡に触れてはいない。


 何もしていないのに、刃渡は急に痛がり始めたのだ。


「いきなりどうした?」


「いやあ、だってこいつが……痛って!? みぞおち! みぞおちの溝が深まる!」


 貞彦は怖くなってきた。


 腹を抑えたかと思えば、急に何もいない空間に向かってごちゃごちゃと話し始めた。


 刃渡は、幽霊とかそういうものが見えてしまう人種なんだろうか。


「さだひこ先輩。そろそろいきましょ」


「あ、ああ」


 カナミに促されて、貞彦は刃渡から離れる。


 貞彦たちが遠ざかって行っても、刃渡はまだ一人で言い合いを続けていた。

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