第6話 貞彦先輩の変態
「ねえ澄香先輩に貞彦先輩。なんで二人は距離をとってるの?」
無邪気な口調で素直に言われても、貞彦は引きつった笑顔しか返せなった。
澄香は微笑みつつも何も言わない。
普段であれば自然とできる会話も、今となってはがんばっても絞り出せなかった。
澄香と何気なく会話出来ていた自分を、遠い過去の人物のように思う。本当に、俺は澄香先輩と親しくできていたのだろうかと、疑問すら湧いてくる。
いつも通りであれば、手を伸ばせば届く距離に二人は座る。現在では、相談支援部室の対角線上に座っていた。
わかってはいるけれど、お互いに露骨すぎる距離感だった。変なところで鋭い素直ではなくても、違和感に気づくのは当然だった。
「どーして答えてくれないの?」
素直は
澄香は黙して語らない。
雄弁に持論を語る力強い姿は見る影もない。
笑顔を保ってはいる。
けど、その視線は定まっていなかった。
時折小さく溜息を吐いている。
憂いや切なさと言うよりは、後悔が詰め込まれているように聞こえた。
貞彦の胸は締めつけられるようだった。
「もー! 貞彦先輩! ちょっとツラ貸して!」
何も進まない事態に、素直はキレた。
素直は怒りを隠さぬまま、貞彦の首根っこを捕まえた。
貞彦はなすがままにされて、相談支援部室から連れ去られる。
「あっ……」
澄香は小さく声を上げたが、二人はすでに部屋から出て行ってしまった。
澄香は一人、取り残される。
静けさだけが押し寄せる。
誰かがいなくなった部屋は、孤独を感じさせるのには充分だった。
ぬくもりが冷めてしまった後は、冷めた分だけが喪失として残り続ける。
「……ごめんなさい」
その呟きを聞いた者は、誰もいない。
裂けた思いの片割れ以外には、誰もいなかった。
素直は人気のない廊下まで貞彦を引っ張っていった。
「貞彦先輩! どういうことか説明してもらうよ!」
カッターシャツを力強く引っ張られる。
貞彦はまるでかつあげをされている気分だった。
「いや……なんというか……」
「歯切れが悪いよ。男らしくきちんと話しなよ」
「その……ちょっと、気まずくて」
貞彦は澄香とのデートのことを思い出していた。
貞彦を待つ、凛とした姿。
バスから景色を眺める、絵画のように優美な笑み。
ジェットコースターで手を上げる、子供のような仕草。
無言で花火を見つめ続ける、儚げなワンシーン。
人生に意味はないと語る、悲しさと嬉しさの入り混じった混沌。
愛しさ、切なさ、逡巡。
初めてみた、弱さ。
様々な出来事は、澄香という形を粉々にした。
恥ずかしさだけではなく、熱が収まり続けるたびに、戸惑いが貞彦を占め始めた。
澄香の感じているであろう気まずさをモロに感じるから、貞彦の方も臆してしまっている。
「気まずいって……まさか!?」
素直は一転して、申し訳なさそうな顔をした。
「澄香先輩にフラれちゃったとか!?」
「……そうじゃねぇよ」
いつもなら全力でツッコむ貞彦だったが、声の張りもキレも全くなかった。
普段より元気のない貞彦の様子に、素直は更に
「そうじゃないんだったらどうしたのさ? お姉ちゃんに言ってみなさい」
「……なんて言えばいいのか、わからない」
「ツッコみすらも出来ないなんて本当に重症なんだね」
貞彦が本当に参っているらしいことを、素直は悟った。
貞彦はよくわからない疲労を感じ、体がグラリと揺れる。
素直は咄嗟に貞彦の体を支え、ゆっくりとした動きでその場に座らせた。
素直も座る。スカートが汚れることなんてお構いなしの様子だった。
「言いたくないことなら言わなくていいよ。でもこのままじゃわたしは嫌だ。言えることだけでも教えて欲しい」
ふんわりとした口調で言われて、少しだけ安心した。
素直は真っすぐと正面を見つめていた。
先ほどまであった怒りの表情は消え、じっと次の言葉を待ち続けている。
素直の優しさがありがたかった。
少しずつ思考を整理する。
慎重に言葉を積み上げようとする。
ぐちゃぐちゃと押し寄せる言葉はまとまらなかった。
何を言うべきかはわからないが、貞彦はなんとか言葉を組み上げた。
「人生に、意味なんてあるのかな?」
貞彦は、澄香の病的とも思える信念を、呑み込めていなかった。
納得をしてしまうほどにぶつけられた思い。
それでも、信じたくないと貞彦の心は拒否をしている。
澄香のことを肯定する気持ちは変わっていない。
しかし、全てを理解して受け入れることとは、違う。
肯定する思いと、受け入れる思いがせめぎ合って、わけがわからなくなっている。
「はい?」
唐突すぎる問いに、素直は面を喰らっていた。
「貞彦先輩がいきなりテツガクめいたことを言い出した……」
「答えにくい質問だったな、スマン」
「本当にそうだよ」
遠慮なく言い放った素直の正直さに安心した。
嘘を言わずに真っすぐな様子は、羨望と尊敬すら抱いてしまえる。
矢砂素直は、いつだって矢砂素直なんだと思う。
「まあ貞彦先輩が真剣だってことはわかるよ。だからわたしも正直に答えるよ」
素直は架空の敵をぶん殴るような勢いで拳を突き上げた。
「人生の意味なんて――どうでもいい!」
力強く言い放つ姿は、尊さよりも激しさを感じた。
神々しい光ではなく、燃え盛る炎のようだ。
「わたしはいつだって自分に正直に生きていきたいと思ってるし出来る限りそうしているつもりだよ」
「ああ、本当にそうだな」
「何かをあきらめたことなんていっぱいあるし突っ走りすぎちゃうことで後悔することもそりゃあるよ。でもわたしは選んできたこと自体を後悔したりなんてしないよ」
素直はどこまでも真っすぐだ。
様々な価値観で行きかう、スクランブルな世界の難しさを、まるで意に介さない。
人生という途方もない道のりを、たった一つの信念で生きているように感じる。
「人生の意味なんてどうでもいい。自分のやりたいことをやりたいようにやる。それだけだよ」
自分のやりたいことをやる。
唯一の指針。とてもシンプルでわかりやすい。
一筋の直線みたいな素直の生き方を、尊敬することができた。
素直はとても強いな。
貞彦はそう思った。
「……答えてくれて、ありがとな」
「いいよ。その代わりっていうのもなんだけど教えてよ。澄香先輩とのデートで何があったの?」
「実はな……非日常的な雰囲気になって、気持ちが抑えられなくなって……」
「うんうん」
「抱き着かれて……頬に触れて……」
「ま……まさか」
素直は生唾を飲み込んだ。
期待やら緊張やらで、変な表情になっている。
「……結局何もなかった」
「………………は?」
一転して、素直は万引き犯でも見るような目で貞彦を見た。
「なんで?」
「なんでって言われても……」
「詳細はわかんないけどさ。そんな感じになるまで澄香先輩はものすごく勇気を出したんじゃないかって思うんだよ」
「そう言われちまうと、なんも言えない」
「貞彦先輩のいくじなし」
少しだけ心に余裕ができたからか、貞彦の心は多少奮起することができた。
刃渡の介入に感謝をしてはいる。
あのまま流されるように関係をもってしまうことは、貞彦の心情としては不本意に思う。
とはいえ、そういった心情を何もくまない素直の物言いに、意地を張りたい気持ちが顔を出した。
「いくじなしとはなんだよ。不可抗力さえなかったら、そのままいくとこまでいってたさ」
「ん? いくとこまでいくって……」
素直は腕を組んで考え出した。
貞彦の言葉の意味を理解した時、素直の表情があわあわと崩れだした。
しまった。失言だったと、貞彦は気づいた。
「せいぜいほっぺにチューくらいだと思ったのに……貞彦先輩のいくじなしえっちヤリ○ん男らしくない変態――!」
素直は真っ赤になりながら走り去った。
「いや待て! 俺は積極的なのか消極的なのかどっちなんだ!」
ようやく大きな声でツッコめた時には、素直は立ち去っていた。
その場には貞彦だけが取り残された。
ずっと感じていたもやもやよりも、なんだか虚しさの方が勝っていた。
結果的に、少しだけ元気を取り戻せたが、なんだか釈然としなかった。
「……なんか、うまくいかねぇなあ……」
「何がうまくいかないんですかっ?」
弾むようなトーンの可愛らしい声色。
貞彦が振り向くと、つい最近知り合ったばかりの、天美カナミがニヤニヤとしていた。
「……天美か」
貞彦が呼ぶと、天美はわざとらしいくらい、大げさにむっとしていた。
「ミミちゃんでいいって言ったじゃないですか。いくじなしでえっちな、さ・だ・ひ・こ先輩」
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