第4話 私たちだけの特別

 天美は「ふーん。この人がすなおちゃんの言っていたさだひこ先輩なんだ」と怪し気に笑い、お邪魔しちゃ悪いということで素直と一緒に別の所に行ってしまった。


 貞彦はなんとなくではあるが、天美のことをいぶかしく感じていた。


「なんか、天美って子には裏表があるように感じた」


「人間だれしもに、裏表はあるものだと思います。表も裏のどちらも、本当の天美さんなのだと思いますよ」


 澄香は天美のことも悪口は言わずに、まっすぐに受け止めていた。


 こういったことですぐに猜疑心を抱くから、心が狭いと言われてしまうのかもしれないと、貞彦は反省した。


 それにしても、なんだか素直とは正反対のタイプだなと、貞彦は思った。


 なんでも言いたいことを言う素直と、言いたいことや素の性格をおそらくは表に出さないであろう天美。


 凸凹コンビというか、あまりにもタイプが違ったとしても、仲良くできるところは素直の美点だと改めて見直した。


「それでは、デートの続きと行きましょうか」


 澄香に促され、貞彦は他のことばかりに気を取られていたことに気づいた。


 澄香の笑顔は変わらない。


 けれど、どこか不満気に感じるのは、貞彦の考えすぎなのだろうか。


 自分が申し訳ないと思っているから、澄香の笑顔にもどこか陰りを見てしまうんだろうか。


 ただ、そんなことはどちらでもいいような気がした。


 今、貞彦が一緒にいる相手は澄香なのだ。


 他の奴に気を取られているなんて、理由はどうあれ失礼なことだよなと、貞彦は思いなおした。


「ああ。一緒に楽しもう」


「はい」


 今度こそ、澄香の笑顔は本物のように見えた。






 他の奴に気を取られないようにしよう。


 そう思った矢先から、その思いは砕かれた。


 風紀を守る校外活動だと言いつつ、いちゃいちゃしてやがる風紀委員の面々がいた。


 見つかったら自分たちのことを棚に上げて怒られるような気がした。


 見つからないようにその場を離れた。


 メリーゴーランドの側を通りかかると、白馬にまたがりながらも眠る猫之音と、必死に起こそうとする香田の姿を発見した。


 なんとなく見つかることには抵抗を感じた。


 これまた見つからないようにスルーした。


 フードコートで休憩をとっていると、二人組の男子が派手目の女性をナンパしていた。


 スラっとした長身。爽やかな雰囲気を見せながらも、ニヤついた口元は隠せない。


 黒田だった。


「どうしたんですか貞彦さん。おもしろいお顔をして」


「いや、なんでもない」


 貞彦は顔の表情を戻した。


 見なかったことにした。


 澄香との一時は楽しくも甘いものだったが、気持ちに浸ろうにも誰かしら知り合いが視界を横切る。


 そのたびに現実に引き戻されて、貞彦は気が気じゃなかった。


「どうなってんだこの遊園地……」


「休日とはいえ、お知り合いの方がいっぱい集まっていますね」


「ほんとだよ……高校でこの遊園地のタダ券でも配ってるんじゃないのか?」


 もしかしたら、高校ぐるみで貞彦と澄香のデートを監視しているんじゃないだろうか。


 あまりにも知り合いに出くわすものだから、被害妄想めいたことを貞彦は思った。


「もうそろそろ、いい時間かもしれませんね」


 澄香が言ったので時計を見た。五時を回っている。


 色々あったけれど、楽しい時間は過ぎるのが早いというのは、本当のことのように感じた。


「せっかくだから、最後には観覧車に乗らないか?」


 発想力が貧困だなと、貞彦は自嘲した。


 どこにでもありがちな展開だ。


 それでも、観覧車に二人きりで乗るというのは、定番となるだけの魅力がある。


 狭い空間に二人きりとなることで、必然的に距離は近づく。他に誰もいないという安心感。ゆっくりと地上から離れていく。高い景色から見渡す世界は、大層綺麗に見えることだろう。


 まるで異世界に来たかのような幻想的な風景は、気持ちを盛り上げるのには最適だと思った。


 断られないかなと不安に思ったが、返ってきたのは笑顔だった。


「もちろんいいですよ」


 貞彦は密かにガッツポーズをした。






 ガッツポーズは即座に砕けた。


 今までの出来事はネタフリだったと言わんばかりに、知り合いたちが観覧車の列に並んでいた。


「ええ……」


「あらあら。やはり、最後に観覧車に乗るというのは、定番ですもんね」


 澄香の言う通りだった。


 定番とは、誰にとっても普遍的であるからこそ定番である。


 他の人たちが、貞彦と同じことを考えていないわけがなかった。


 別に見つかったところで、何かしらの不都合が生じるわけではない。


 お互いに相手がいるわけじゃない。知り合いに見つかったところで、堂々としていればいいだけの話だ。


 でも、出来る限りは秘密にしておきたい。


 素直はまあいいとしても、澄香と何らかの秘密を共有したい。


 人には知られない、二人だけの特別な何か。


 ワガママなことだとは思う。けれども、貞彦はわがままでも、それが欲しいと願っていた。


「貞彦さん。定番も良いものだとは思います。ですが――私たちだけの、デートをいたしませんか?」


 澄香は貞彦にだけ聞こえる声で言う。


 その言葉が耳に届いた時、貞彦の心は確かに動いた。


「俺たちだけの、デート?」


「はい。実は私、行きたいところがあるのです。おつきあい、いただけますか?」


 澄香はいつも通りの笑みではなかった。


 目元まではごまかせない。感情を表すように揺れている。


 ドキッとする。


「もちろん、つきあうよ」


「よかったです。それでは、行きましょう」


 澄香は急ぐように歩き出した。


 行き先について尋ねないまま、貞彦は後に続いた。


 人でひしめき合う喧噪は、徐々に聞こえなくなっていく。


 姿を隠しつつある夕陽に近づくたび、観覧車は遠のく。


 定番に満たされた日常も、遠のいていく。






 遊園地を出て、数分ほど歩いた。


 ジェットコースターから見えた、深い蒼がさざなむ海岸に出た。


 堤防近くには雑草が生い茂っている。海岸の整備がなされているわけではなかった。泳ぐための海ではないのだろう。


 防波堤の役目を果たすかのように、ゴロゴロと大岩が転がっている。


 人気はなく、髪を揺らす程度の風は寂しさを連れてくるようだ。


 誰も彼もが、遊園地の煌びやかな人工灯に夢中で、ささやかな光には気づかない。


 人の素晴らしさをたたえるように、音響と華やかさに満ちた花火が、空を覆い隠す。


 その光はとても強くて、沈みゆく夕陽の美しさには誰も気づかない。


 ひっそりと存在する、美しくも廃れた楽園。


 そこにいるのは、貞彦と澄香の二人だけだった。


 二人は平らな岩に腰をかけた。


 日が完全に落ち切った時、はっきりとした夜が姿を現した。


 夜の歓喜に震えるような強い風が、澄香の体を凍えさせる。


 貞彦は上着を澄香にかけた。


 かっこつけでもキザったらしくもなく、自然とそうできた。


「ありがとうございます。貞彦さん」


「どういたしまして」


 お互いに言葉がなくなる。


 話をする必要さえないのかもしれない。


 寂れた楽園には、彩りを加えても蘇らない。


 ただただ、雰囲気を身で感じ、眺め続ける。


 遠く響く、花火の音のみが聞こえる。


 空腹すらも気にならないほどに、ただ一緒の時を過ごした。


「今訪れている瞬間は、一種の奇跡なんだと思います」


 熱に浮かされたように、澄香は言った。


 貞彦はなんだかおかしくなった。


 奇跡なんて言うにしては、ありふれたものであるように思ったからだ。


「奇跡なんて言わずに、もしよければ、これからも色んなことをしたいって、思う」


 語尾が弱くなる。なんだか告白のようにも思える言葉に、貞彦自身が恥ずかしくなる。


 自分の気持ちをどうしていいか、持て余している。


 はっきりとした言葉で囲い込んでしまえば、きっとスッキリするのかもしれない。


 そうはわかっていても、自分自身の曖昧さからは逃れられなかった。


「貞彦さんとデートが出来たことで、本当に楽しかったですよ」


 嬉しくなる言葉に、感情が湧きだつ。勢いのままに、つい近づきたい気持ちが顔を出す。


 でも、できなかった。


 澄香は楽しかったと言った。


 過去の出来事について、肯定した。


 けれど、共に受け取るはずのこれからのことについて、何も言わなかった。


 そのことに、貞彦は気づいてしまった。


「俺も楽しかった」


 そう言うだけで、精一杯だった。


 再び沈黙が訪れる。


 激しく響く花火は空を染め上げる。


 散り際こそが美しいと言うように、矢継ぎ早に光と音を残していく。


 どうかどうか、終わらないで欲しいと願った。


 そして。


 花火の音が止まる。

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