第9話 ネコは眠る

 猫之音が学校に来なくなってから、三日が経過していた。


 相談支援部の三人と香田は、部室に集まって話し合いをしていた。


「いくらなんでもおかしくないか。猫之音が学校を四日連続で休むなんて」


 貞彦は言い知れぬ不安に苛まれていた。


 香田が猫之音に対する恐怖を克服して、猫之音も香田に対する警戒心が薄れている。


 それで一件落着だと、貞彦は信じていたのだ。


 けれど、現実では猫之音は学校に来なくなった。


 たまたまの体調不良という線も十分にありえる。けれど、このタイミングで休む日が続くことは、どうにも偶然とは思えなかった。


「香田先輩。今までそんなことあったの?」


 素直が聞くと、香田は記憶を探り出した。


「いや、猫之音が学校を休むことなんて滅多にないんだ。これはおかしい……」


 香田の目の下の隈は、昨日よりも深くなっていた。


 猫之音の恐怖を克服した日は、とても気持ちよく眠れたらしいのだが、今度は別の意味で眠れないようだった。


「これは確かに心配ですね。今の猫之音さんの様子について、香田さんはわかりますか?」


「俺が見る限り、猫之音は出かけている素振りがないんですよ。というか、猫之音の部屋の電気がずっと暗いままなんです」


 香田は、澄香の質問に当たり前のように答えた。


 相変わらずストーキング行為を続けているようだった。


 習慣とは恐ろしいもので、今までに染み付いた行動パターンは簡単に変えられないらしい。


「となると、この問題はまだ解決していないわけですね」


「も、問題ですか。俺はもう猫之音に対する恐怖は大分薄れましたけど」


 澄香は真剣な表情のまま、口元だけ笑みを浮かべる。


「香田さんの問題は解決しました。しかし、猫之音さんの方はまだなのかもしれません」


「香田先輩のトラウマは克服できたけど猫之音先輩にもトラウマがあるのかもしれないって話だね」


 香田は青ざめた。


「や、やっぱりあの時のいたずらが原因で猫之音は……」


 香田は頭を抱えてしゃがみこんだ。


 思い悩む表情からは、あふれ出す後悔の念を感じた。


「なあ香田。お前が小学生の頃にやっちまったいたずらって、一体なんだったんだ?」


 香田から言い出すまで待っていた話題であったが、貞彦は聞いた。


 事態が進展していない以上、鍵となるのはおそらく、香田と猫之音にあった出来事なのだ。


 香田はためらい、葛藤していたが、決意を固めるように拳を握った。


「あのーあくまで小学生の頃にやっていたことなので、そういった前提で聞いていただけると助かるのですが……」


 予防線を張る香田に対して、澄香は安心を促すように笑みを見せた。


「大丈夫です。香田さんが過去に何をしたとしても、私たちは香田さんに幻滅したりはしません。信じていただけませんか?」


「澄香先輩」


 実際に神の奇跡を目撃したら、こんな顔になるんだろうなあといった表情をしていた。


 壺を買って欲しいと澄香に言われたら、香田は泣きながら買ってしまいそうだ。


「じゃあ言います。俺がやってしまったいたずらというのは……」


「香田先輩早く言って」


 素直は急かした。


「――スカートめくりです」


 部屋の空気が途端に低くなった気がした。


 素直はまたジト目をしていた。


 澄香は相変わらず笑顔だった。


 貞彦は、罵るべきかフォローするべきかに迷っていた。


 それにしても、想像以上にくだらないというか、引っ張った割には合わないというべきか。


 なんとなく白けた空気が場を支配する中、澄香は慈悲深い表情をしていた。


「幼い頃の過ちというのは、誰にでもあるものだと思います。よく話してくれましたね」


「澄香先輩~」


 香田は澄香に向かって拝み始めた。


 どんなことでも肯定してくれる澄香は、くだらないような出来事でも、やっぱり肯定してくれたのだった。






 話をしていても解決策は見えないと結論付け、一同はお見舞いという理由で猫之音に会いに行くこととした。


 香田と猫之音は小学生の頃から知り合いであるため、彼女の両親とも顔なじみではある。


 香田を先頭にすれば、そこまで警戒心を抱かれずに猫之音と会うことは可能に思えた。


 猫之音家に赴きチャイムを鳴らすと、母親らしき女性が対応してくれた。


 猫之音の母親なだけあって、彼女はとても美人だった。


 澄香は猫之音の母親に手土産を渡した。手土産代は当然とばかりに澄香が支払った。


 高校生らしからぬ気遣いに、一同は敬服していた。


「わざわざ来てくださってありがとうございますね。前々から寝てばかりだったのだけど、最近は特にすごいのよね。おねむな季節なのかしらね」


 あまり深刻そうな声色ではなく、口調は穏やかでのんきなものだった。


 大事であろう娘が寝てばかりなのに問題なく学校に通えているのは、母親の寛容さも理由の一つかもしれないと貞彦は思った。


「さあさあどうぞ。ぜひとも会ってやってくださいな」


 年頃の女性の部屋に入らせてもらっていいのだろうか。


 疑問には思ったが、事が事なので今はありがたく思うことにした。


 猫之音の部屋には寝具グッズ以外の物がほとんどなかった。


 枕が数種類。硬さや色合いは違っている様子だ。


 淡いブルーの壁紙が全体を覆っており、なんとなく落ち着く。


 ふかふかの大きなダブルベッドに清潔な白のシーツ。


 その中心に猫之音は眠っていた。


 呼吸により胸元は上下しているから、生きてはいるようだ。


 普段と変わらず、穏やかな寝顔だった。


 もしも明日、世界が終わってしまうのだとしても、眠り続けるんじゃないだろうか。


 そう感じるほどに、深く深く、眠っている。


 眠りながら動いている猫之音には、自動的ながらも感情があった。


 けれども、今はその残滓すらも感じ取ることはできなかった。


 猫之音の姿を見て、誰も言葉を発することはできなかった。


 生まれたてのヒナのようで、出来たばかりの傷口のようで、触れてはいけないように感じたからだ。


 眠り姫は今日も、当たり前のように眠ったまま。


「ネコちゃーん。調子はどう?」


 重苦しい空気を払うような、陽気な声が割り込んだ。


 振り向くと、部屋の入口には猫之音に似た女性が立っていた。


 ショートヘアに快活そうな猫目。


「あれー? エロガキの光樹じゃん。久しぶりー」


 突然現れた女性は、香田の頭を脇にかかえて、ぐりぐりといじくりだした。


「や、やめてくださいよナコさん」


「いいじゃん別にー。うりうりー」


 貞彦たちがいるにも関わらず、ナコと呼ばれた女性は香田を羽交い絞めにし始めた。


 もがき苦しむ香田にナコは気を良くしたのか、流れるように絞め技を繰り出した。


「あああああああ。ギブギブ!」


 ついにはロメロ・スペシャルをかけ始め、香田がギブアップして試合終了となった。


「ふう……って光樹以外に人いるじゃん!?」


 ナコはようやく、貞彦たちの存在に気づいたようだった。


 ナコは一瞬で表情を切り替え、繕うためか咳払いを二回。


 花のような笑顔に、おしとやかさをアピールするかのような柔らかな表情。


 両手を下腹部の前あたりで合わせ、しなやかにお辞儀を始めた。


「お見苦しいところを見せてしまってごめんなさい。ネコちゃんの姉の猫之音ナコと申します」


 どこからどう見ても、お上品なお嬢様といった気品だった。


 さきほどの出来事がなかったらのお話。


「いや……もう手遅れだから!」


 ずっと言いたいことを我慢していた貞彦は、全力でツッコんだ。


 貞彦のツッコみが響いても、ネコはまるで起きる様子はなかった。

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