第7話 変人たちのコンチェルト
来る日も来る日も、猫之音に挨拶をする日々が続いた。
雨の日も風の日も、口内炎が痛む日も、根気強く挨拶を続けた。
猫之音も毎回ではないが、何かしら反応を示す時が段々と増えていた。
頷く時もあれば、一瞬顔を香田の方に向ける動作も加わった。
バレッタリボンが青色の日にうっかり近づきすぎてしまい、蹴られそうになった日もあった。
香田は泡を吹いて失神しかけていた。
しかし、近づくことが自然となっていったのか、1.5m以内で挨拶ができるところまで、香田は成長することができた。
もうそろそろ、今回の依頼は無事に済むかもしれない。
貞彦はそう考えていた。
「……ひ、久田く~ん」
昼休みの終わりがけ、一人で廊下を歩いていると、消え入りそうな声に呼ばれた気がした。
振り返ると、狐に狙われた野ウサギのように怯えている渡会がいた。
貞彦は渡会に近づく。
渡会は自分で呼んだにも関わらず、今にも逃げ出しそうに腰が引けていた。緊張しているようだった。
「こんにちは渡会先輩。俺を呼びましたか?」
「う、うん」
生物化学室で気だるげにしている様子とは、一切違っている。
おどおどとしながら顔を伏せている様子は、聡明な博士というよりは、小動物に近い。
これだけ人見知りが強いんだったら、そりゃ自分で調査には行けないよなと、貞彦は納得した。
「つ、伝えなきゃいけないことがあって……」
恥ずかしさと緊張からだろうが、もじもじとしている。
まるで告白でもされるみたいじゃないかと、別の意味で緊張した。
「伝えたいことって、なんですか?」
「ね、猫之音ネコのこと……」
なんだ、というよりは、やっぱりか、という思いが勝った。
「猫之音なら最近は挨拶にも反応するようになって、なんとなくですが前よりもいい感じになっていると思いますよ」
「そう……そのおかげで、少し厄介なことになりそうで……」
「厄介なこと? どう厄介なんですか?」
「ね、『猫之音ネコを愛で隊』のメンバーが動き出したみたい……」
「……なんですかそれ?」
ファンクラブみたいなものだろうかと、貞彦は推測した。
というか、普通の学校にも関わらず、なんか変な奴らが多いように感じた。
澄香だって相当変人なんだろうと思うし、まりあとのフリーハグに並ぶ大勢の男子たち。
他には風紀を乱しがちな風紀委員。
あと黒田とか。
「ね、猫之音に注目する人は多いけど、近づくと迎撃されるから付き合う相手は誰もいない。そ、それをいいことに、勝手に見守って勝手に愛でている人たちがいるんだ……」
「まあ、別に活動するのは自由だと思いますし、猫之音に害がないのならいいんじゃないですかね?」
渡会は否定するように首を振った。
「さ、最近猫之音ネコが挨拶に反応するようになって、ある見解が生まれてる。猫之音ネコが穏やかになった今なら、いけるんじゃないだろうかって……」
猫之音の変化に気づいていたのは、貞彦たちだけじゃなかったようだ。
挨拶に反応を示すことで、一見社交性は向上したように思える。
本当にそうなのかはわからないが、男子生徒を撃墜しているという噂を、最近は聞かなくなった。
だからこそ、仮説を立てたのかもしれない。
猫之音は男子生徒を攻撃しなくなった。
今ならいけるんじゃないだろうかと。
猫之音に危険が迫っているように感じ、早めに何か対策を立てなければと、貞彦は焦った。
「教えてくれてありがとうございます渡会先輩」
「い、いや。構わないよ……」
渡会は、相変わらず視線を合わせてくれない。
慣れない人とはロクに話せないにも関わらず、貞彦たちに情報を伝えに来てくれた。
ぞんざいで面倒くさがりな印象を受けていたが、とても優しい人なのかもしれない。
「そういえば、渡会先輩ってあそこでどんな活動をしているんですか?」
前回訪れた時に、聞き忘れていたことを貞彦は聞いた。
渡会は、自分を鼓舞するように胸を張った。
「よくぞ聞いてくれた。私こそが『猫之音ネコを探り隊』の隊長である」
先ほどの弱々しい様子とは打って変わって、渡会は声高に言い放った。
それもそのはずだった。
貞彦からは背を向け、壁に向けて威を放っているのだから。
「……こっち見ながらそう言ってくださいよ」
「無理だ!」
いい返事だった。
「ちなみに、メンバーは私一人だが、白須美さんとは協力体制をとっている。その代わり、私も相談支援部に名前を貸すといった取引を交わしている」
「渡会先輩もそうだったんですね!?」
幽霊部員の二人目が発覚した。
世の中は協力関係で成り立っているのだなあと、貞彦は達観したように思った。
「じゃあ実質、渡会先輩も俺の直属の先輩になるんですね」
「そうなるな。親しみを込めて、来夢先輩と呼んでも構わないぞ……その方が早く慣れそうだし」
名前で呼ぶことで、親しみが込められて、相手に慣れるのも早くなるかもしれない。
今思えば、澄香が名前を呼ばせているのは、そういった意味合いもあるのかもしれないと思った。
一理あるかもしれない。
そう思い、貞彦はニヤリと笑みを浮かべた。
「わかりました。ライライ先輩って呼んでもいいですか?」
「そ、それはやめて」
来夢は涙目で懇願した。
放課後になる。
来夢から聞いた情報を、澄香、素直、香田の三人に伝えた。
「噂には聞いていましたが、本当に存在していたのですね」
澄香は、とても嬉しそうに笑みを浮かべていた。
あまり芳しい状況ではないのだが、澄香的にはワクワクする出来事らしい。
この余裕さはさすがだと感心している最中、素直は呆れたように瞳を細めていた。
ジト目だった。
「ねえ貞彦先輩」
「なんだ?」
「男子ってみんなそんなにアホなの?」
「俺に聞くなよ……」
まあ、アホでいる方がある意味人生は楽しそうだよなと、少しだけ羨ましく思った。
「放っておくわけには行きませんね。こうしている間にも、猫之音さんには危機が迫っているかもしれません。今日の猫之音さんは、今の時間ですとどちらにいることが多いですか?」
澄香が聞くと、香田は考える素振りもなく答える。
「今日は水曜日ですから……最近は暑くなってきたせいか、校舎裏の焼却炉近くで涼んでいることが多いですね」
気持ち悪いくらいに淀みなかった。
流石ストーカーだと、ドン引きしながら賞賛した。
「それでは、さっそく現場に向かいましょう」
澄香が声をかけて、四人は一斉に動き出した。
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