第10話 幻のハッピーエンドを探して
恋ではなく、独占欲なのではないかと、澄香は言った。
あくまで推測であるし、本当のところはわからないことだ。
けれども、様々な情報を鑑みた結果の結論には、真実よりも説得力を感じた。
貞彦は、とても嫌な気持ちを感じていた。
恋愛というものは、相手のことを思いやる気持ちも不可欠だと思う。
けれども、自分のものにしたいだけという独占欲には、独りよがりなニュアンスを、どうしても感じてしまう。
相手のためではなく、自分の感情を満たす。
そんな身勝手さを感じてしまって、貞彦は依頼自体を拒否してしまいたい気持ちに駆られた。
「そんなのはおかしいよ!」
素直は机に両手を叩きつけた。
髪の毛が逆立ちそうなほど険しい表情で、素直は怒っていた。
「だって恋っていうのはもっとキラキラしててふわふわしてるけど幸せな物だって思う。自分のことしか考えていない身勝手な気持ちなんかじゃないよ」
「そうかもしれませんね」
澄香は、相変わらず否定をしない。
怒っている素直のことも、嫌な気持ちを感じている貞彦のことだって、決してないがしろにしようとはしない。
誰だって嫌うことなく、そのままの熱量を受け止める。
「かといって、黒田さんが感じている気持ちをおかしいと言ってしまうことも、私は違うように思います」
誰のことだって受け止める。
例外なく、貞彦たちが嫌悪している黒田のことも、決して否定することはなかった。
「そうだとしても、俺は……なんか嫌だな」
「貞彦先輩もそう思うでしょ! わたしも嫌だよ。黒田先輩がオオミンとくっつくことを応援するなんて」
素直は腕を組んで、ぷんぷんと怒りを露にしていた。
今回の件に関しては、貞彦も素直と同意見だった。
どんなことでも聞いてくれる。優しく包み込んでくれる。そんな聖人みたいな
けれども、好ましくない相手のことまでかばってしまう様には、納得がいかなかった。
「もし、澄香先輩が黒田と大見の関係を進めようとするんだったら、俺はこの件を降りる」
「わたしだってそうだよ。黒田先輩の思いを応援できない」
勢いで言ってしまった後、少しだけ後悔した。
自分を救ってくれた。優しくしてくれた。大切なことを教えてくれた。
恋などと呼べるかは定かではないけれど、それでも特別に思っている。
そんな相手を、もしかしたら傷つけてしまったんじゃないかと、後悔した。
素直も言ってしまったことを悔やんでいるのか、気まずそうな顔をしている。
けれども、瞳に宿る炎のような感情には、強い決意を感じた。
相手を傷つけてしまおうとも、罪悪感を感じようとも。
それでも自分の意思は曲げないと誓った、力強い瞳だった。
素直の覚悟を感じ取り、貞彦は意を決して澄香の方を見た。
「ふふふ」
澄香は、いつもと変わらずに笑っていた。
後輩の強い態度など、なんともないとでも言うように。
困難な状況に追い込まれてなお、花畑で身をうずめるかのように、笑っていた。
「澄香、先輩?」
いよいよ気でもおかしくなったのかと貞彦はいらぬ心配をした。
なかなかに異様な光景に、さすがの素直も戸惑いで表情を固めていた。
どうしたらいいのかわからなくなった二人に、澄香は花のような笑顔で答えた。
「おかしくなったわけではありませんよ。私はとても嬉しく思っているのです」
「嬉しいって……どうしてそう思えるの?」
「だって、貞彦さんも素直さんも、強い怒りを感じるほどに、太田さんと大見さんのことを思えるのですから。私の仲間たちは、それほどまでに優しい気持ちを持っている。そのことが嬉しくてたまりません」
澄香は貞彦と素直の頭を撫でた。
まるで、母親が子供を褒めるかのように、優しく、愛おしく。
「けれど、思い違いをして欲しくないことがあります。私が少しでも幸せになって欲しいと願っているのは、一体誰だと思いますか?」
澄香の問いかけに、二人は少し考えて、自分なりの答えを口に出した。
「きっとオオミンだよね」
「……太田くんのことも、幸せを感じて欲しいと思う」
「それもまた、正解です」
それもまた、という表現に貞彦は引っ掛かりを覚えた。
答えはまだ、出揃っていないということだ。
「もしかして、黒田のこともなのか?」
貞彦が言うと、澄香は微笑みを浮かべたまま頷いた。
「けれどまだ、完全な正解には足りませんよ」
澄香の言葉に、貞彦はなおも考えた。
考えても考えても、これ以上の登場人物は浮かんでこなかった。
「もうこれ以上は、思いつかないな」
「……わたしも」
二人は、諦めたように言った。
「二人とも、一番大事な人を忘れていますよ」
そう言った瞬間、澄香はゆっくりと腕を伸ばし、二人を正面から抱きしめた。
「私にとって幸せを感じて欲しいのは、他ならないあなたたちもなんですよ」
戸惑いよりも、幸福感がまさった。
抱きしめられる。認めてもらえる。幸せを感じて欲しいと、願いを貰える。
たったそれだけで、心はきっと満たされてしまう。
「澄香先輩は特別かもしれない。でもわたしには無理だよ。誰かが笑っている裏には泣いている人もいる。黒田先輩の思いが満たされた裏で傷つく人がいる。幸せって全員が手に入れられるものじゃないって思う」
素直はいつになく弱気な声で言った。
まるで泣きそうな声だった。
「素直さんの言う通りです。幸せになる権利は誰しもに保障されています。けれど、幸せである権利ではないんです。幸せになることを追求する権利。それはきっと、この世の中が不公平であると、認めているようなものなのです」
誰もが幸せでないから。せめて、幸せになることを追求する権利がある。
平等で絶対的で公民的な幸せなんて、存在しないんだと誰もが知っている。
だからせめて、その為にあがくこと。それが許されていることだ。
能力が違うから。環境が違うから。考え方が違うから。
だから誰しもが、同じように幸せを手に入れることはできない。
そんなことは全てわかっている上で、澄香は理想を語る。
「自分の幸せは、自分自身でつかみ取るものです。私ができること、したいことはあくまでお手伝いです」
「澄香先輩はあいつらだけでなく、関わった全員のハッピーエンドを目指している。そのことはわかった。けど……」
誰かの恋人になる。夫婦になる。社長になる。大臣になる。
一つしかない椅子を取り合うしかない。ゼロサムゲームのような世界。
「そんなものはきっと、夢物語だ」
高すぎる理想は、高すぎる故に届かない。
見上げるだけで、決して達することはない。
そんなものは泡沫と一緒だ。ぼんやりとしていて、掴み取れないままに消えてしまう。夢でしかない。
「みんなで夢を見る。それもいいじゃないですか」
それでも、澄香はなおも肯定した。
「私が最初に、黒田さんの目標をどんなことに設定したか、覚えていますか?」
「思いを伝えること」
貞彦は答えた。
「その通りです。そうすることしかできないと、私は思いました」
別れさせるという願いの成就ではなく、あくまで思いを伝えること。
「そうすることでみんなハッピーな結末になるのかな?」
素直の疑問に対して、澄香は正直な気持ちを吐き出した。
「わかりません。けれども、今のままでいるよりは、きっと良くなっていくだろうと、そう信じています」
「思ったよりも、曖昧なんだな」
「曖昧でいいんです。どうなるかわからないから、人生はとても楽しいのですから」
漠然としていて、定まっているように思えない。
どう転ぶかはわからないと、澄香自身が認めている。
けれども、どうしてかはわからない。
わからないけれど、貞彦は澄香のことを、心底信じてみたくなった。
「わたしは二人がもっと仲良くなって欲しいと思うよ」
素直は自分の願いを口にした。
「俺だってそう思う。いつか見捨てられるんじゃないかって言う太田くんの不安を少しでも軽くしてあげたい。太田くんに安心してもらいたいっていう大見さんの願いを叶えたい」
貞彦も願いを口にした。
「私は、黒田さんのことも諦める気はありません。だからこそ、契約まで交わしたのですから」
澄香は二人から離れ、順番に視線を送った。
「それでは、改めて考えてみましょう。みんなの願いが、どうすれば叶えられるのかについて」
その日の議論は、辺りが暗くなっても続いていった。
心配した妹に怒られたが、貞彦は充実感で満たされていた。
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