第225話 幻影


 ハーミス達の視線などまるで気にも留めずに、サンは静かに紅茶を飲み干した。


「……じゃあ、本題に入ろっか」


 そして、相変わらず笑みを絶やさないまま、とある提案を持ち掛けた。


「本題?」


「うん、こうしてお茶会を開いてるのはね、ハーミスにチャンスをあげる為なの。絶望を希望に変える、最後のチャンスをね」


「チャンス、だと?」


 聞き返したハーミスに、サンは軽く息を吐きながら、慈悲を込めて言った。


「――今までやったことを、許そうと思うの」


「は?」


 思わず、ハーミスは眉間にしわを寄せた。

 今までやってきたこと。詳しく説明されなくても理解できるが、ハーミスが『選ばれし者』を殺して回ってきたのもそうだろうし、聖伐隊の施設を破壊して回ったのもそうだ。つい最近で言うならば、モンテ要塞の件も。

 その全てを、なかったことにしようと言うのだ。


「聖伐隊にやったこと、村の幼馴染にやったこと、全部許してあげる。勿論、お姉ちゃんを殺したことも、全部水に流してあげる。その代わり――」


 ただし、当然ただではない。誰もが怪訝な態度を取っているのに気付いていないかのように、サンは一人語りの如く、交換条件を話し続ける。


「――その代わり、ローラを信じてあげて。聖女の為に力を尽くして、持てる全ての力を以って、彼女を助けてあげて。そうすれば、ハーミスも、貴方の仲間も、皆幸せになれるから。どうかな、とても素晴らしい提案だと思うんだけど……?」


 サンが提示したのは、これまでの全てを覆す条件だった。

 あまりにもおかしな条件。ハーミスはローラに復讐する為に旅を続けてきたのに、そのローラに協力しろなどと、これまで誰も話してこなかった。

 当然だ。根本を覆すような話を、とてもハーミスが呑むわけがないからだ。


「…………」


 ルビーの目の黒点が細くなり、ぎりぎりと歯が鳴る。ざわざわと赤い髪が揺れるのを見たエルが、冷静になれ、という意味合いも込めて、彼女の膝に手を触れた。


「ルビー、落ち着きなさい。やるのはハーミスが話し終わってからよ」


 クレアもまた、正面に座るルビーを宥めるように声をかけた。とはいえ、意味不明且つとんでもない条件を提示され、話の通じない相手を前にして苛立っているのは、クレアも同じだ。

 クレアやルビー、エルでさえ荒唐無稽な話でひりついているのだから、当人であるハーミスの心境は如何なるものか。クレアがちらりと彼を見ると、怒りで顔つきが変わりはしなかったが、内に秘める憤怒は、瞳の端から漏れ出していた。

 その覇気は、ハーミスが開いた口からも隠し切れず、静かに放たれた。


「……許してあげるも何も、お前は何とも思ってないんだろ? 『選ばれし者』が、リオノーレが死んだのも、悲しいとも思ってねえって顔してるぞ」


 ハーミスの怒りは、サンの言葉にもだが、偽善にもぶつけられた。

 彼女の表情から、リオノーレへの――仲間への哀憫は一つも感じられなかった。これならまだ、仲間を足蹴にして、自分だけが良ければよいなどと喚き散らす連中の方が可愛げがある。サンの場合は、憐れむふりをしているだけで、皮を被っているだけ。

 サンは、愛情に溢れた自分に酔っている。狂っていようといまいと、復讐者を許せる自分こそ愛しているのだと、ハーミスは直感していた。

 何より、ハーミスが心変わりするなど有り得ないのに、リオノーレといい、サンといい、この手の交渉を持ち掛けてくるのが、彼にとっては耐えられなかった。腹の奥底から燃え上がり、燻ることのない業の炎を、出来るなら見せつけてやりたいくらいだ。


「もう何回目になるか分からねえが、これで言うのは最後だ。俺の目的は、俺を殺した奴らを全員、思いつく限り最悪のやり方でブチ殺してやることだ」


 ジュエイル村でユーゴーを殺した時から変わらない。何を提示されようとも、誰から言われようとも、世界が滅びようとも、ハーミスの本質は変わらない。


「全員を殺すまで、俺の復讐は終わらねえ。二度も言わせんじゃねえよ」


 ぎろりと睨みつける目線と、決意の炎が、サンのくだらない誘惑を断ち切った。

 クレア達は大まかこの返答を予想していたようだが、サンだけは彼の返事を予想していなかったようだ。少し悲しそうな顔をして、ハーミス達に死刑宣告を下そうと決めた。


「……そう、残念。だったら約束通り、ハーミスには絶望を与えるね」


 絶望。モンテ要塞で会った時から、ずっと言い続けてきた脅し文句。

 誰がどこから、どのような攻撃を仕掛けてくるかとクレア達は身構えたが、ハーミスだけは椅子にもたれかかって、平然とした表情で言い返した。


「絶望だと? 俺達を囲んでる、たかだか二十人ぽっちの兵隊でか?」


「……!」


 サンの眉が、僅かに動いた。

 どうしてばれたのか、とでも言いたげな顔をするサンに対して、ハーミスは両手を大袈裟に広げながら、自分に何が見えているのかを、彼女と、仲間達に教えてやった。


「ここに座って、ただ紅茶を飲んでるだけだと思ってたのか? じっくり見させてもらったぜ、魔力のカーテンを張って、不可視の状態で俺達の後ろに隠れてる奴らをな」


 果たして、ハーミスの目に見えているのは、うすぼんやりとしたヴェールに包まれた、聖伐隊の隊員達だった。二十人ほどの隊員が、息を殺し、自分達の存在がばれないように、ハーミス一行の背後に忍び寄っているのだ。

 サンの使った魔法の効果が強いのか、先程までは見えなかった敵だが、時間をかけて近くまで来れば、ハーミスにも見える。彼がお茶会に参加したのは、交渉の為ではなく、サンがより高い技術の罠を用意していると踏んだからだ。


「あんた、さっきは何も見えないって……」


 クレアが驚くと、やけくそ気味の隊員達が剣を抜くのが見えた。

 恐らく、破れかぶれに攻撃するつもりだろう。そうはいくものかと、ハーミスは黒い義手の手首を軽く捻り、赤い魔力の光を、靡くリボンのように放出した。


「目を凝らせば見えるものもあるってわけだ。そんでもって、ばれたからって闇雲に攻撃しようなんて考えてんじゃねえよ――お前ら、伏せろッ!」


 次の瞬間、立ち上がったハーミスの叫びと共に、勢いよく振り回された赤い光が、周囲の隊員達全員の体を真っ二つに斬り裂いた。

 彼の合図を聞いた仲間達が、椅子から転がってしゃがんだ。その上を横切ったのは、鋭利な赤い刃。血飛沫も出さずに生命活動を停止するのと同時に、隊員の姿が現れる。


「……ばか、な……」


 そのうち一人が断末魔を上げ、どう、と倒れると、全員が血に伏した。

 ただし、サンだけは無傷だった。それもそのはず、ハーミスはサンに攻撃が命中しない程度の範囲で長い刃を振るっていたのだ。


「『多目的武装内蔵型超原子魔導義手』、『斬撃形態』。さてと、おっぱじめるか」


 喜びを秘めた顔から一転、本性を表すかのように暗い顔つきへと変貌しながら立ち上がるサンの前で、白いテーブルを蹴飛ばし、仲間の前に躍り出て、ハーミスは言った。


「絶望するのはてめぇの方だよ、サン」


 黒い義手の、中指を突き立てる彼の顔は、転じて喜びに満ちていた。

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