第215話 弱者


 未知のオーラを放つハーミスの覇気は、最早人のそれではなかった。

 そんなものを目の当たりにするユーゴーの中に芽生えていたのは、怒りよりも優先された不安と、恐怖であった。尤も、彼自身は気づかないよう必死に取り繕っているが。


「よくし……ちょうてい……!? 何を、何を言ってやがる!?」


「知らないなら知らねえままでいい。一撃で終わるからな」


 説明など無駄だとばかりに、ハーミスは一歩、また一歩と近寄ってくる。距離が縮まる度に心臓を握り潰すような感覚が全身を覆い、ユーゴーは気が触れたように喚く。


「ひっ……く、来るな、来るんじゃねえッ!」


 叫びながらも、掌から無数の雷と魔力の銃撃を放つ。

 しかし、ハーミスは手を翳しすらしなかった。彼が睨むだけで、紫色の光は世界そのものから削り取られていくのだ。まるで、最初からなかったかのように。


「ふざけんなよ、何で俺様の攻撃がてめぇに当たらねえんだ! 『変成』ミューテーションスキルは最強のスキルなんだぞ、どうしてだよ、おかしいだろうがァ!」


 顔に畏怖を浮かべ、必死に攻撃を繰り返すユーゴーは、瞬きすらしなかった。


「マジでどうなって――えっ?」


 しなかったはずなのに、ハーミスは彼の目の前にいた。

 瞬間移動か、はたまた空間そのものを歪めてしまったのか。人外の雰囲気を醸し出すハーミスに、鋼色に染まった肌から重ね塗りするように青ざめたユーゴーは、攻撃する手段すら忘れ、ぶらりと両手を下ろしてしまった。

 抵抗の意思を見せなくなったユーゴーだが、ハーミスは構わず、彼の体に左手で触れ、自らが持ち得るたった一つの――そして無二のスキルの、名を告げた。


『抑止』リターン、発動」


 刹那、ユーゴーの体から、銀色が消失した。

 比喩ではない。彼の肉体を覆っていた鋼の、鉄の要素が弾け飛び、空気に紛れていくように消え去ったのだ。残ったのは、隊服を着た金髪のがたいの良い男、ユーゴーだけ。


「……あれ?」


 この異変に、彼は素っ頓狂な声でしか反応できなかった。しかし、自分の肌色の掌を見つめて、彼の呆けた顔は、たちまち混乱へと変わっていった。


「お、俺様の体が? 『変成』で手に入れた体が? 元に、元に戻っていく?」


 魔法を使おうと手に力を込めるが、何の反応もない。

 ドラゴンの拳を発現しようとするが、腕はいつまで経っても人間のそれのまま。そもそも、軟体の鋼が、彼のどこにも残っていないのだ。


「魔力も感じねえ、力も全く感じねえじゃねえか! 分からねえ、分からねえよぉ!」


 涙目で、鼻水を垂らしながら狼狽するユーゴーに、ハーミスが告げた。


「俺のスキル、『抑止』の力だ。暴走した概念を抑止する存在として、俺の左手で触れたものは全て元ある形に戻っていくんだよ。生まれ持ったスキルや天啓、お前自身が手にしたものは失われねえが、全部外付け、後付けなら……」


 彼の能力は、全てをもとの形に戻す。

 生前のユーゴーに使ったところで、何の効果もなかっただろう。スキルや天啓は本人のものなのだから、何も消えない。だが、今のユーゴー・プライムの能力はルビーやエルを模写し、根本はカルロの修復によって得た力だ。決して、彼のものではない。


「……残るのは、ただのユーゴーだけだな。お前にはもう、何も残ってない」


 つまり、彼の下に残っているのは、その肉体だけ。

 いや、肉体すらも、ゆっくりと崩れ始めていた。カルロが作ったのであれば、ユーゴーの肉体も元に戻る。つまり、死んでいた時の状態に。

 自分が消える。死ぬ。逃れられない事実を悟ったユーゴーは、後ずさりし、首を振る。


「……嘘、だ。嘘だ、そんなの、ありえねえ」


「ずっと怯えて、ビビってるだけの奴が、何もかも必死に取り繕ってきた結果だ。自分に何もないから奪い続けてきたお前は、最初から、誰よりも弱かったんだよ」


 弱い。必死に逃げ続けてきた言葉から、もう逃れられない。


「…………あ……やだ、嫌だ……俺様は……」


 頭が崩れ、腕が抜け落ちる。足が潰れ、砂のようにさらさらと風に乗ってなくなってゆく。どうにか立ち上がろうとするが、彼にできるのはただ、這いずるのみ。

 下半身、上半身、手足。何もかもが消え、何も残らない臆病者の末路は、一つ。


「……俺様は……ユー……ゴ……プラ……」


 どこまでも惨めな遺言を残し、頭の先まで粉となり、消え去るだけだった。

 涙腺が壊れたように涙を流し、無様な顔を晒したユーゴーの最期の言葉は、それでも尚、プライムという他人の強さに縋った、惨めにもほどがあるものだった。

 自分よりも弱い者を嗤い、強い者にそうと悟られないように生き続ける。悲惨とすら言える男があまりにもあっさりと逝き、遺すのは、風に散った粉だけ。

 瞳を青色に戻したハーミスは、彼の足元に残った四次元ポーチを拾い、小さく呟いた。


「……プライムなんて、最期までそんなもんに縋ってんじゃねえよ」


 欲しいと言われても、名をくれてやるつもりはなかった。

 だが、ここまで自分よりも強い存在に執着しているのだとすれば、ハーミスにとっては彼が哀れで仕方なかった。復讐を果たす相手とすら、見られなかった。

 どうしようもない、弱き者。そんな敗北者が牛耳る要塞の末路も、決まっている。


「モンテ要塞が陥落したぞーっ!」「私達の勝ちよーっ!」


 遠くから、ゾンビや亜人達の声が聞こえてきた。魔物の雄叫びも響いてくるこの地は、もう人間至上主義が敷かれる恐るべきモンテ要塞などではなかった。

 その跡地、亡骸と形容すべきだろうか。ハーミスが見回しただけでも、生き残った人などおらず、壊れていないところなどない。『明星』とゾンビ軍団の苛烈な攻撃は、当初の目的であった要塞の玉砕を、見事に成し遂げたのだ。

 そして、もう一つの目的。クレア達の救出も達成していた。

 いずれもボロボロで、特にアルミリアは右腕がまだ千切れたまま。城塞の隅で、瓦礫にもたれかかる一同は、紫の雷の消失と、ハーミスの勝利を確信していた。


「……ハーミスも、この調子だと……勝ったみたい、ね……」


「さっきの電撃も……収まりましたし……」「アウゥー……」


「流石はハーミスじゃ。わらわは信じておったぞ」


 そんな彼女達を叱りつけるように腕を組んで立つのは、黒い矢筒を背負うシャスティだ。彼女もまた怪我をしているが、剛の者だけあり、毅然と構えている。


「お前達、人よりも自分を心配しろ! 医療班、急げ!」


 彼女の命令に従い、緑色のマスクを着用した複数のエルフとホビットが、クレア達を担ぎ、副木をあて、特殊な軟膏を塗る。そんな様でも安心した表情の四人を眺め、シャスティは呆れた調子でため息をついた。


「生命力の強い奴らだ……さて、ベルフィ総隊長。いつもの勝利宣言を」


 いつまでも構っていられないと、シャスティは廃墟となったモンテ要塞を眺めるベルフィに、自らの緑のマントを脱ぎ、槍の先端に突き刺して渡す。

 彼女が今から行うのは、儀式だ。


「ええ、そうね……皆さん、良く戦ってくれました! 魔物に、亜人に圧制を敷いてきた聖伐隊の力の象徴が、今ここに一つ墜ちました――」


 全ての者の視線が集まる中、ベルフィは空高くマントの刺さった槍を掲げる。

 ここが誰の者か、何をしたのか。遠く、遠くにふんぞり返る圧制者に理解させるべく、我らの力を知ろ示すべく。


「――モンテ要塞は、我らの手によって!」


 ベルフィは、叫んだ。


「「おおぉ――ッ!」」


 全ての魔物が、亜人が、ゾンビが続いた。

 『明星』の証――三つの星と剣の紋章。

 それは今、雲の切れ間から差す、一筋の光を浴びて輝いていた。

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