第203話 抱擁


 レギンリオル北部の国境外、バルデンデ山林地帯。

 夜闇に包まれた、モンテ要塞に最も近いこの森には、今は人間はいない。人間達もまた、悠然たる樹木と大地しか残っていないと思っているが、それは大きな間違いだ。

 この森には、緑のマントを羽織った亜人達――『明星』の面々が潜んでいた。

 十人、二十人どころではない。一人ではとても数え切れないほどの数の亜人が、一つの組織として集まっていたのだ。木に登る者もいれば、辺りを忙しなく見回す者もいる中で、遠くを見つめる小さな影に、後ろから藍色の髪の獣人が声をかけた。


「……地鳴りが止みましたね、総隊長。何だったのでしょうか」


 彼の後ろから、更に今度はエルフの女性が心配そうに呟く。


「それに、シャスティ一番隊隊長の帰還も予定より遅れています。まさか……」


 恐ろしい事態を想像してしまうエルフに、フードを被った小さな影は、歳こそ幼そうだが、しっかりと威厳を保った少女の声で答えた。


「……先程の報告も心配ですが、今は彼女を信じます。待ちましょう」


 二人にとって、彼女の発言は絶対だ。ならば、不安でも信じるほかない。

 そう思い、エルフと獣人が背を向けた時だった。


「分かりました、もうじき陽が昇りますが……総隊長、あれを!」


 一人が森の奥を指差し、声を上げた。

 沢山の亜人が、一斉に指差す方向を見ると、緑のマントを羽織る一団が、こちらに向かって走って来ていた。しかも、その先頭にいるのは、背の高いエルフ――黒い弓矢を担いだ名手、一番隊隊長のシャスティだ。


「お待たせしました、ベルフィ様!」


 つまり、彼女が連れてきたのは、巨人達でもある。一同の顔がぱっと明るくなる。

 特にフードを脱いだ総隊長――エルフの里の姫にして、『明星』を統率する指導者でもあるベルフィは、心から安堵したようだった。彼女にとって、シャスティはかけがえのない右腕で、内心安堵していたのだろう。


「心配しましたよ、シャスティ――」


 ベルフィも顔を綻ばせたが、表情が急に険しくなった。

 なぜなら、シャスティの背後から、マントを羽織っていない連中が追いかけてきていたからだ。しかも顔色は一様に土気色で、中には魔物もいる。

 『明星』は魔物や亜人の味方だが、不鮮明な立場の相手、おまけにどう見てもシャスティを追いかけてきた不気味な顔色の者達を迂闊に信用するわけにはいかない。


「総員、弓、構え!」


「「構えっ!」」


 彼女の号令で、隊員達全員が一斉に、背負っていた弓を手に取り、矢を番える。一方でゾンビ軍団も、シャスティ達も驚いて足を止め、事情を話し始める。


「待ってくれ、彼らは敵ではない! 現地での協力員だ、武器を下ろせ!」


 まさかシャスティが謎の相手を庇うと思っていなかったのか、ベルフィはやや口を尖らせる。彼女が、そんな突飛なトラブルを持ち込んできたことなどなかったからだ。


「協力員とは? 知らない話です、詳しく説明してください」


「彼らはゾンビです、五番隊と待ち合わせた場所で、彼らが協力を申し出てくれました。レギンリオルの地下墓地に潜んでいた反聖伐隊組織……相当な戦力です。一団が走れば地鳴りが起きるほど、道中の駐屯所や巡回兵を瞬く間に殲滅できるほどの!」


 ゾンビ。軍団。シャスティの言う通りであれば、確かに強力極まりない協力者には違いないのだが、どこまで信じていいものやら。


「さっきの地鳴りは、まさか彼らの一団が?」


「おほめにあずかり光栄でございます。私はオットー、貴方がた『明星』の味方であり、彼らゾンビ軍団を指揮する者です。何卒宜しくお願い致します」


 オットーがゾンビ獅子から降り、深く一礼する。仲間も彼に続いて頭を下げる。

 走るだけで地鳴りを起こすくらいの大軍団にこう言われれば、どうにも邪険にしづらい。ふむ、とベルフィは大きく息を吐き、総隊長としての結論を告げた。


「……シャスティ、貴女がそう言うのであれば信じますが……」


「勿論、私もそれだけでは信じがたかったでしょう。しかし、ゾンビ達の隣には彼がいました。ベルフィ様にとっても、懐かしい相手ですよ」


 シャスティの後ろから、ゾンビ軍団と『明星』の仲を取り持つ者が姿を見せた。

 オットー達の後ろにいたせいで、ベルフィははじめ、彼が誰かにちっとも気づかなかった。だが、銀色の髪と青い瞳、そして服の隙間から見え隠れする継ぎ接ぎを目の当たりにした途端、ぱっと目が輝き、弓を背負い、思わずだっと駆け出していた。


「――久しぶりだな、ベルフィ。背ェ、伸びたか?」


 白い獅子から下りて、にっと笑ってみせたのは、ハーミスだった。


「――ハーミス様!」


 この場にいる全員の視線など一切構わず、ベルフィはハーミスを抱きしめた。

 彼の懐かしい感触、温かさをいっぱいに受け止めたベルフィだったが、彼の冷たい右腕にも気づいてしまった。人間の腕ではない黒い腕を見て、彼女は悲しい表情を見せる。


「……この手は、まさか聖伐隊に……」


「色々あってな。ま、大した怪我じゃねえさ」


 顔を上げ、ハーミスの笑顔を瞳に映した彼女はもう一度彼の胸に顔を埋める。


「ああ、でも、まさかまた会えるなんて! わたくしはずっと貴方を……あっ」


 そこまでしてからようやく、ベルフィ総隊長もとい指導者は、仲間達のちょっぴり冷たい目線と、生温かい表情に気付いたようだった。彼女は大慌てでハーミスから離れると、真っ赤な頬を軽く叩き、わざとらしいせきをした。


「こほん……ハーミス様の馴染みであるなら、ええ、彼らを疑う余地はありません」


 甘い優しさが辺りを包む中、他のエルフが話に割って入った。


「ゾンビ軍団に、あのハーミスが味方に加わるのは嬉しいですね、ベルフィ姫」


 姫、と呼んでいる辺り、同じ里の出身者であるようだ。しかし、彼女が続けた話はハーミスやゾンビ達についてではなく、モンテ要塞の話――おまけに、よくない話だ。


「だけど、偵察部隊からモンテ要塞についての良くない情報が入って来てるわよ。シャスティ、要塞は魔力を用いた攻撃を放つ未知の兵器を搭載していることが判明したわ」


「魔力を使った……強力な兵器か?」


「詳細は不明だけど、魔物の群れを瞬時に焼き払えるらしいわ。正面突破は……」


 『明星』のメンバーが顔を見合わせるが、不安な空気をハーミスの一声が掻き消した。


「いや、正面から行くぞ。敵の兵器は全部俺が潰す」


 義手を唸らせるハーミス。彼の瞳は、障害など存在しないと言っている。


「……総隊長、シャスティ。ゾンビのお爺様も、彼を信じていいのかしら?」


 エルフの問いかけに、二人は首を縦に振った。


「彼ならやれるだろう」「このオットーが保証しましょう」


 ゾンビ達も一様に同意した。ベルフィもまた、同じ意見であった。


「では予定通り、明朝に攻撃を開始します――モンテ要塞の、正面から」


 予定は変わらない。要塞の陥落記念日は、明日となる。

 人間がぬるま湯に浸かっている間に、我々は鍛え上げ続けていたのだと証明するべく、『明星』とゾンビ軍団の意志は一つになっていた。

 陽が山から登り、夜明けを迎えるまで、そう長くはなかった。

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