第190話 燃焼
大広間を離れたエミーは、ゆっくりと歩みを進めていた。
彼女の後ろには、八つの頭を持つ植物が、ずるずると根っこを引きずりながらついてきている。いずれも蛇のような頭で、小さな尖った歯を揺らし、鎌首をもたげ、ハーミスを探している。
灯りで照らされた通路は、そう狭くなく、エミーの配下である植物を多く連れ回せる。静かに歩く彼女の足跡になるかのように、暗い土色の壁が、緑に染まってゆく。
「…………」
エミーは思う。あの男は、どこに行ったのだろうかと。
蛇蔓の反応は、彼女自身も把握している。血を追う性質を持った植物だというのも理解しているので、ハーミスが出血しているのも気づいていた。だが、蔓は彼の痕跡を見失い、エミーの元へと戻ってきたのだ。
とはいえ、大きな問題ではない。こちらから出向いた方が体力の植物による攻撃ができるし、隠れたとしても創作能力はこちらの方が上だ。植物を用いた防御力も攻撃力も、どちらも自分の方が上なのだ。
だからこそ、確実に仕留めねば。それが命令であり、自分は従うべきなのだ。
ロボットのような思考回路しかないエミーが通路を抜けた時、つんと蛇蔓のセンサーがハーミスの存在を感じ取った。即ち、血の臭いだ。
「……!」
蛇が優先して飛び出していくと、エミーがそれを追いかけるように歩みを早める。遠くに逃げたのかと思い込んでいたが、蛇蔓が這い寄るのを止めたのは、近くであった。
通路を抜けた広間の、もう少し奥の、別の通路。武器庫に続いているそこは少しだけ狭く、エミーの植物全てを成長させることは出来なさそうだ。蛇蔓だけを連れて、洞穴状の通路に入り込むと、ハーミスは直ぐに見つかった。
目の前で、血を流してうつぶせに倒れ込んでいるようだ。コートが被さっていて、辺りが赤色に染まっている姿からして、蛇に噛まれた傷が深く、力尽きたのだろう。周囲の灯りが破壊されて辺りは暗いが、この程度で誤魔化せはしない。
「……ッ!」
間抜けめ。包帯の中でほくそ笑み、エミーは蛇蔓を飛びつかせた。
がぶり、がぶりと蛇がコートの上から噛み付く。腕を引き千切るように蔓を捻らせると、コートは翻り、宙に舞った。恐らく、たまらずハーミスが脱いだのだろう。
――違った。
コートの中には、最初から誰もいなかったのだ。
「ッ!?」
包帯の中の目を見開くエミー。ならばハーミスはどこにいるのかと見回す。
彼女がハーミスを見つけるよりも先、蛇蔓がコートから口を離すよりも先に。
「――ッ!?」
ハーミスが、自分の真正面から現れた。
通路の奥からばっと姿を現した彼の手には、拳銃が握られていた。しかしその銃口は、エミーにではなく、蛇蔓が噛んでいるコートに向けられていた。
僅かな間だが、彼女は気づく。ここにあるのは、土と血の臭いだけではない。
嗅いだことのない臭い。それが何の臭いであるかに気付く前に、シャツ一枚となったハーミスは拳銃の引き金を引き、自分のコートを撃ち抜いた。撃ち間違えたのかとエミーは推測したが、そうではなかった。
というより、そんな暇があるのであれば、彼女は逃げるべきだった。
「――ギャアアアアアアッ!?」
紫の弾丸がコートに触れた途端、炎が炸裂し、蛇蔓とエミーに引火した。
彼が纏っていたコートは、エミーこそ気付かなかったが、紫色のどろどろした液体に濡れていた。それを察するより先に、血を優先して彼女は攻撃したのだ。
とんでもない判断ミスだった。蛇蔓が一瞬で燃え尽きるほどの炎は、エミーと周囲の植物どころか、彼女の体に埋められた種すらも燃やし始めた。焼け焦げる体の臭いに耐え切れず、彼女は絶叫した。
その様子を見ていたハーミスは、静かに種明かしを始める。
「血の臭いを追いかけてきてくれてよかったぜ。辺りを暗くしといたのは正解だったな」
彼が突き出した拳銃を持つ手は、べっとりと赤く濡れていた。彼は傷口をあえて大きく開き、コートに塗りたくっていた。灯りを破壊したのは隠れる為ではなく、コートの中身を誤魔化す為だ。
「それの正体、教えといてやろうか? 『魔力燃料』っつってな、俺が使う爆弾やアイテムの燃料だ。油みたいなもんだよ、そいつは火が掠めると燃える――こんな風にな!」
もう一発拳銃を撃ち込むと、悶え苦しむエミーの体が一層燃え上がる。
彼は同じく
そんなものが燃え続ければ、燃焼では済まなくなる。
「ああ、爆発って言った方がいいか? お前の体を種ごと燃やし尽くす爆発だ!」
エミーの右腕が破裂した。植物の防御が燃え尽き、体が耐え切れなくなっていた。
「ウオ、グウ、ウギャアアアアアアッ!」
「意外にしぶてえな、この、燃え尽きやがれッ!」
弾丸を撃ち込み、延焼を狙うハーミスだが、不意にエミーが口を開き、叫んだ。
「ギイ、ギ、ロ、ローラ、ローラ!」
ローラ。彼女が従う聖女の名前だ。こんな姿にされてまで彼女の名前を叫ぶとは、ローラにとってはさぞかし使いやすかった道具に違いない。
これに同情する気はさらさらないが、惨めだとだけは、ハーミスは思った。
「……今わの際に叫ぶのがあいつの名前か。忠誠心も結構だが――」
しかし、そうではなかった。彼女の真意は、叫びの後に続いた。
「――よくも私を騙したな、ローラアアァァッ!」
「ッ!?」
まともな言葉を放てるわけがないと思っていたエミーだったが、急に目をぎょろぎょろと動かしながら、燃え往く体など構わない様子で、恨み言を吐き出し始めた。
「『あいつら』との対話なんてできるわけがない、『あれ』は人間が理解していい存在じゃない! お前は知ってたな、知ってて私と対話させたな、不可能だと知っていてエェ!」
思わずハーミスは拳銃の引き金から指を離し、下した。
もう、エミーが延命する気がないと分かったのもそうだが、彼自身が唖然としてしまっていたのだ。ユーゴーですらきっと、彼女が話せるとは知らなかっただろう。これはまさしく、命の叫びなのだ。
命の最期の力を用いて、彼女は『あれ』について喚き散らしていたのだ。
「聖女も! 天啓も! スキルも! 全部奴らがアァ――……」
そんな絶叫にも、最期はあっという間に訪れた。
喉が締まるような声と共に、エミーの体は崩れ落ちた。まるで植物が燃え尽きた炭、その一部となってしまったかのように、彼女は人間としての形を保っていなかった。
植物ももう、一つも残っていなかった。ハーミスはつかつかと近寄り、土と一体化したようにすら見える遺骸を蹴った。彼女の死体は、ぼろぼろと崩れ落ちた。
あまりにもあっさりと決着がついたはずなのに、ハーミスの心は晴れなかった。
「何と話したんだよ、お前は、エミー……」
とはいえ、もやもやした感情に身を委ねている場合でもない。
「……って、とぼけてる場合じゃねえだろ! アルミリア達を探さねえと!」
アルミリアや仲間達が、ユーゴーに追われているかもしれない。
未知の敵に嫌な予感を覚えていたハーミスは、下の階層に向かって走り出した。
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