第155話 処刑


 数秒ほどの沈黙を経て、ルビーは心臓が破けたかのような、掠れた声を出した。


「……なんで?」


 意志ある者の中で、ルビーと同じ問いかけをする者はいなかった。カルロも、トパーズも、どちらも最悪の――片方にとっては最高の末路を知っていた。


「王よ、落ち着いてください。この男は先に落とすと言った、だが時間の制限を設けていない。ごねれば問題のない状況であれば、どちらも落とす算段だったのだろう?」


「さて、どうかな」


 睨むトパーズに対して、カルロは素知らぬ顔でとぼけてみせた。

 しかし、事実はトパーズの予想通りだっただろう。どちらも落ちないと黙ったままなら、カルロは双方を落としたはずだ。それを避ける為には、どちらかが先に落ちると言う必要があったのだ。


「だが、私が先に落ちると言えば、だ。お前はどちらかを落とすと言った。ならば、ドラゴンは落とせないはずだ。お前が約束を守るのなら、ではあるがな」


 尤も、カルロとしては、落とすのはどちらでもよかったのだろう。


「勿論、約束は守ろう! お前達、ワイバーンを落とす準備をしてくれ!」


 嬉々として機械兵に彼が命令すると、装置の横のレバーが引かれて、ゆっくりとトパーズを吊るした鎖が動き出す。即座に落とされはしないが、鎖は揺らいでいる。

 そこまでされて、ようやくルビーは、自分が取り返しのつかない事態を引き起こしてしまったのだと気づき、鎖を鳴らしながら、カルロに叫んだ。


「――ま、待って、待って! ルビーが落ちるから、だからトパーズを落とさないで!」


 そんな理屈が通用するなら、彼は最初からこんな提案などしない。


「それは受け入れられない提案だな。俺は言ったはずだよ、先に落ちると言った方と落とすって。だったらどうして、先に自分が名乗り出なかったんだ?」


「……それは……」


 押し黙ってしまったルビーの代わりに、トパーズが憂いを秘めた声で言った。


「自らの感情に、選択に後悔するな、ドラゴンよ。死を罪と、重荷と感じるな」


 これから死ぬというのに、ぐつぐつと揺らぐ金色の液体を肌で感じ取っているはずなのに、トパーズの表情に恐れはなかった。寧ろルビーの方が、自分のせいで死んでゆく命を目の当たりにして、今にも泣き出しそうだった。


「私がワイバーンである以上、竜という名の運命に従い、竜と共に往くのは運命だった。誰が悪いわけでもない、そして選んだ道に未練もない。ただ一つ――」


 彼にとって、残るのは後悔ではない。竜に従えと地に刻み付けられているからこそ従っただけであり、この末路もまた、単なる運命の結果、その一つに過ぎないのだ。

 ただ、ルビーに関しては、彼は放ってはおけなかった。強い願いがへし折れた時、呪いになると言ったあの日の夜。彼女には、知っておいてほしかったのだ。


「――過ちから目を逸らすな、受け入れろ。年長者からの、最期の忠告だ」


 呆けたような顔で、ただ絶望を目の当たりにするルビーに、トパーズはそう遺した。

 ルビーが意味を咀嚼する間もなく、カルロが彼の眼前で嗤った。


「それが、最期の言葉でいいのかな?」


「……己を全能だと思い込むなよ、人間」


「ああ、気を付けるよ――落とせ」


 そして、命令と共に訪れた死は、あまりにも呆気なかった。

 機械兵がレバーを勢いよく引くと、トパーズは鎖諸共、釜の中に落とされた。

 何一つ声を上げられず、悲鳴の一つも残せず、きわめて合理的にトパーズは死んだ。カルロは死を眺めたり、嘲笑ったりはせず、必要以上の関心を見せなかった。彼が小さく頷くと、機械兵が隣のレバーを動かし、ルビーの下に開いた口を閉じた。

 鎖は下ろされ、拘束されたままではあるが、ルビーは鉄橋に足を付けられた。


「……トパーズ……」


 炎を吐き、暴れる気力すら失ったルビーの顔を覗き込むように、カルロが話す。彼にとっては、ここからが正しく本番なのだ。


「残念だねえ、ルビー。君が俺に悪口をぶつけている間に、あのワイバーンは間抜けな君をどうやって生かすかを考えてくれてたんだよ」


 トパーズの死など、ルビーの心を壊す第一段階でしかない。赤い瞳を震わせる彼女が生き延びることも、怒りに身を任せることも、全て予想の範囲内なのだから。


「というより、彼の言い分には一理あるね。暴言をぶつける相手が自分よりもずっと強くて、有利で――大切な命を自由にできる相手だと、一瞬でも考えたかい?」


 カルロの猫なで声に、ようやくルビーがまともな反応を示した。


「どういう、意味……?」


「君と一緒に捕まった仲間がいるだろう? 覚えてる、あの銀髪の?」


 自分と一緒に来た仲間。銀髪の青年。覚えていないはずがない。


「……ハーミス……!」


 ハーミスだ。自分を守って怪我を負い、一緒に捕まってしまったハーミスだ。

 その彼がどうしたというのか。これ以上、一体何が起きるのかと体を強張らせ、それでも心の中にある支えだけは折られてなるものかと、ルビーは身構えた。


「実はね、部下に命令しておいたんだ。ドラゴンが少しでも僕の機嫌を損ねたら、そいつを見せしめに殺してやれって。で、さっきの言葉、覚えてる?」


 果たして、彼女の脆い覚悟など、何の意味もなかった。

 彼の機嫌を損ねれば、ハーミスが死ぬ。カルロは確かにそう告げた。

 カルロが説明するよりも先に、ルビーはわなわなと震え出した。自分が何を言ったか、カルロがそれを聞いてどう判断したか。そして、何を行ったか。


「俺さ、見ず知らずのドラゴンにあんなこと言われて、ショックだったんだよね。だからもう命令しちゃったんだ。ほら、証拠の品も持ってきてくれたよ」


 そう言う彼の後ろから、機械兵が現れた。

 その手に握られていたのは、ハーミスのコート。茶色の、紛れもなく彼のコートだが、元の色が分からなくなるくらい、血で赤く染まっている。


「機械兵十人にめった刺しにさせたから、血ですっかり染まっちゃったけど」


 いつの間に、どうやったかなど、もうルビーの頭の中にはなかった。ただただ、絶望の結果を認めたくないが為だけに、目を潤ませ、カルロに向かって喚きたてるだけだ。


「……言ってない、そんな約束言ってない! ルビーに言ってないよ!」


「言わなきゃいけない理由があるのかなぁ? 君が立場を理解して、俺を怒らせないようにすればいいだけだろう? というか、普通はそうするんだよ。どうしてそんなに傲慢になったのか知らないけどさ、君さ、状況を理解してる?」


 にやにや笑いを絶やさないカルロの目的は、凡そ達成していた。

 赤子の手を捻るよりも簡単で、効果的な計画。純朴な心を壊すには、うってつけの策。


「――仲間を二人も殺したんだよ。君よりもずっと優しくて、君を最期まで心配していた相手をね。自分の、身勝手な、横暴な、思慮の浅さでね」


 お前のせいだと、責め立てる。失敗をねめつけ、詰れば、どうなるか。


「ねえ、可愛い可愛いドラゴンちゃん? 味方殺しの感想を、聞かせておくれよ?」


 答えは簡単だった。がくん、と俯いたルビーの声は、抑揚がなく、単調だった。


「……ルビーのせいで、ルビーのせいで、ルビーの――……」


 既に、彼女の心は折れていた。

 ぶつぶつと、虚ろな目で仲間の死を否定し、己の罪だけを肯定するルビーの成れの果てを見て、カルロは満足げににやついた。何もかもが計画通りに進む嬉しさでもあった。


「……あらら、簡単に壊れたね。予定通り、『ハック・リング』を装着しておいてくれ」


『了解シマシタ』


 カルロがルビーに背を向け、鉄橋を歩いて去ってゆく。

 主の命令に従う兵隊によって囲まれたルビーの首に、七色に光る宝石が埋め込まれた、鈍色の首輪が巻かれる。彼女の体が大きく震え、力なく倒れ込む。

 心を壊され、上書きされた彼女は尚、抵抗しなかった。

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