第135話 不死
「クラリッサ、大丈夫か、おい! クラリッサ!」
ハーミス達の前に投げ捨てられたクラリッサは、酷い有様だった。
体中に鞭で打たれた蚯蚓腫れと焼き鏝の痕があり、惨い拷問を受けた後のようだった。おまけに右肩の肉が抉れ、よく見れば左の小指が欠けてしまっている。これが尋問でも拷問でもないのは確かだったが、衰弱しているのには変わりない。
「酷え……クレア、治療を頼む!」
「頼まれたわ……ハーミス、あれ!」
治療を頼まれたクレアがリュックを下し、医療キットを取り出した時、開いた扉の中から何かが出てきたのに最も早く気付いたのも、彼女だった。
のそり、と扉の内側から出てきたて手は、青く染まっていた。
鱗に覆われた、人のものとは思えない手。しかし、中から出てきた浮浪児のような黒い髪と、避けた口の持ち主は、かつて人だった存在だ。元々は肌色だった肌が一切合切青くなり、鱗が至る所に生えている点を除けば、だが。
部屋から出てきたのっぽの捕食者、シャロンは、一同を歓迎するように手を開いた。
「ようこそじゃん、ハーミス。うちの船、アルゴーに。ここまで追いかけてきたこと、褒めてやるじゃん……というか、この船もあんまり役に立たないじゃん」
来訪を嘲笑う彼女の口から、半透明の肉がはみ出ているのに、ハーミスは気づいた。
「てめぇ、その肉……!」
「お、気づいたじゃん? そこの人魚はもう、うちが喰っちまったじゃん。もうちょっと苦しめて喰うつもりだったけど、美味しそうでもう我慢できなかったじゃん!」
やはり、彼女は人魚を食べていた。ハーミス達が襲撃を仕掛けていた間も食べていたのだろう肉の効果は、既にシャロン自身が取り込んでいた。
「だけど、効果はあったじゃん。うちはもう――不老不死の肉体を手に入れたじゃん。こんな程度の攻撃、
揺れる船の上、ぶつかる波の音を掻き消すように、シャロンは叫ぶ。
「勿論、
シャロンがぐるりと白目を剥いた途端、変化は起きた。
『霧の島』でハーミスと戦った時の変化だと、彼は思った。しかし、背はぐんぐん高くなり、横幅も広くなっていく。デッキの板がみしり、と音を立てるほど大きくなる体の背部から青白い烏賊の足が十本。口に収まりきらない巨大な牙が無数。
水かきと棘の付いた腕。全身を守るように腰から生えた四本の翼。足の鉤爪。
斯くして、怪物は顕現した。ハーミス達の倍ほどもある巨大な体躯を誇る、鮫肌の魔人。クラリッサの治療を済ませたクレアは、ただ茫然と呟いた。
「……バケモンじゃないの、こいつ」
「化け物とは言いすぎじゃん。うちは捕食者、頂点捕食者じゃん!」
元のシャロンとは程遠い、体の内側を掻き出すような声が、船中に響く。セイレーン達は本能的な恐怖を感じたのか、ばさばさと飛び立ち、船の周囲に浮き上がる。
ハーミスもまた、恐れからか、グレネードランチャーを握る力が弱まった。だが、彼は自分を鼓舞した。相手は復讐するべき相手だと、不老不死にも弱点はあると、自分を信じ込ませた彼の雄叫びが、戦いの合図となった。
「――ビビるな、必ず弱点はある! 行くぞ!」
彼の声は、仲間達を覚醒させた。恐れを取り除き、勇気を与えた。
セイレーンと負傷したクラリッサ以外の全員が、シャロンに攻撃を仕掛けた。裂けた口をにやつかせ、シャロンは体に力を込めす仕草を見せる。
「ハーミス、無謀ってもんじゃん! うちに弱点なんて――あるわけねえだろうがァ!」
そして一気に、背中の触手を解き放った。かなりの質量を誇る触手が、鞭使いがしならせる鞭のように暴れ出し、船を破壊し始める。
そんな一撃が命中すればどうなるか。ハーミスが引き金を引こうとしたグレネードランチャーは弾き飛ばされ、彼もまた、船の先端に叩きつけられる。近くにいたクレアとクラリッサも、暴走したかのように触手に激突する。
「ぐおおぁッ!?」
武器を落とし、内臓がはち切れそうな痛みが体を支配する。
触手の間を縫うようにかわしながら、エルはデッキの板をオーラで大量に剥がし、削り、槍のような武器を創り上げる。その隣で、ルビーは炎を口に溜め込む。
「この、面が駄目なら、点での攻撃を……!」
「グルアアアアアァァ!」
二人の攻撃は、同時に発射された。炎は舐めるようにシャロンを焼き尽くし、暴れていた触手が何本か落ちて、ぐずぐずに溶けた。エルが放った即席の槍は、鱗に覆われた体に無数の風穴を開け、心臓も、両手足も貫いた。
死なずとも、せめて致命傷を負わせたと思った。
「へえ、なかなかやるじゃん。でも言ったじゃん、この程度は再生するって!」
正しく、無駄としか言いようがなかった。
フォーバーの『再生』よりもずっと強化されたスキルは、心臓が破壊されても、両手足を吹き飛ばされても、人の形に治ってから、またも怪物の姿を取り戻した。
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