第94話 仲裁


 朝日が昇りつつあった。

 普段なら朝から畑仕事や店を開く準備に勤しむ獣人達がいるこの街も、今日だけは誰一人、家の外から出なかった。厳重に封鎖された家屋の窓から、外を時折覗いては、まだ嵐がやって来ていないかを不安そうに見つめるばかり。

 嵐と言っても、自然現象ではない。しかし、街を破壊し尽くしかねない混沌の権化だ。

 鳥一匹、鼠一匹存在を見せない静かな獣人街の広場に、それはやってきた。


 片や、リヴィオが率いるギャング、ティターン。

 頭と同じく虎柄の着物を羽織った構成員は、ぞろぞろと街の上部に繋がる階段から降りてくる。いずれも剣やナイフ、棍棒に槌と、危険な武器ばかりを握り締めている。リヴィオの武器は、腰に提げた東洋のナイフ『ドス』と、珍しい剣『カタナ』だ。

 片や、ニコが率いるギャング、オリンポス。

 ボスと同じく白いシャツと黒いズボンを着て、青いネクタイを締めた構成員達が街の下から歩いてくる。武器はいずれも仕込み杖だが、ニコだけは身の丈よりずっと大きな、髪の色と同じ灰色の槍を背負っている。

 雌雄を決する抗争を前に、互いの目は殺気に満ちている。

 そして双方共に、広場には誰もいないと思っていた。こんな喧嘩を見に来る命知らずはいないのは常識だし、いても困るものだ。

 しかし、どこにでも例外はいる。


「……あれは!」


「……!」


 リヴィオとニコ、それぞれの構成員が同時に広場にやってきた時、誰もが彼らを見た。


「――待ってたぜ、お前ら」


 ハーミスと、その仲間達だ。

 この面子なら昨日までも目にしていたが、彼らの後ろには、縄でぐるぐる巻きにされた全裸の男が倒れている。顔は真っ赤に腫れ上がり、体中傷と青痣だらけで、まるで一晩中拷問されたかのような有様だ。

 ただ、ギャング達にとって、その者が誰かはさして重要ではない。ハーミスがここにいることも同様で、その点に関してはまず、ニコが口を開いた。


「……昨日の夜には街を出ろと警告したはずだぞ、ハーミス」


「そうしたかったんだがな、興味深いもんが手に入ったんだよ。俺達の話を聞いてからでも、喧嘩するのは遅くないと思うぜ」


「わしゃお前らの話を聞かんとも言ったぞ! クレア、そうじゃろう!」


「冷静になりなさいよ。悪いようにはしないわ」


「悪いようじゃと!? 喧しい、命が惜しかったらさっさと……」


 話が通じないと思ったハーミスが、ルビーを見て頷いた。


「――ギイイイオオオオォォォッ!」


 瞬間、ルビーの、ドラゴンの雄叫びが轟いた。

 あまりに凄まじい叫びを前に、思わずギャング達は耳を覆った。ハーミス達は慣れているのか、平常の態度を保っていたが、エルだけは顔を顰めていた。

 彼女が叫び終えると、双方は敵意を一時的にではあるが抑えたようだった。いくら四人と、言っても彼らを叩きのめすだけで互いに疲弊すると思ったからだ。


「……話を聞くだけでいい。それで納得できなきゃ、好きにしろ」


 こう言われれば、二組のリーダーはそうせざるを得なかった。

 どちらがでもなく、どちらもが、ハーミス達に近寄っていった。ニコとリヴィオが一歩前に出て、ハーミスの正面に立つと、彼はポーチから録画装置を取り出した。


「……大頭の死の真相が分かった。これまでの襲撃も、事件も、全部こいつらが仕組んでたんだ。お前らは、踊らされてたんだよ」


 二人の顔が歪む。

 ハーミスも、自分の言葉だけで信じてもらえるとは思っていなかった。だからこそと、録画装置のボタンを押し、クレアとエルが広げた白地の布に、映像を『投影』した。


『聖伐隊特殊隊です……はい、全て計画通りです。明日には、獣人共が抗争を始めます』


 そこに映し出されたのは、聖伐隊を名乗る男達が、誰かと話している光景。昨日の晩、ハーミスとクレアが地下通路で目撃した光景だ。


『襲撃は何度か行いましたが、今回から指示通り公衆の面前で仕留めました……その通りです。ギャングの大頭や叔父叔母も、最初から派手に殺しておくべきでしたね』


「なんじゃと!?」


 リヴィオが思わず叫んだ。ニコもまた、口を開きかけた。

 自分達が心から愛した大頭。面倒を見てくれた叔父、叔母。まさかこの三人が、それどころか可愛い子分や部下が、聖伐隊によって殺められていたとは。


『……では、予定通り、三日後の正午に、リオノーレ様と本隊が攻撃を仕掛けられるように門を開くよう仕向けます。今度こそ、薄汚い獣人共を皆殺しにしましょう』


 今度こそ、トップの二人どころか、ギャング達全員がざわついた。この聖伐隊の目的が、疲弊の末に弱った獣人街を滅ぼすことだと知ったからだ。

 これだけ証拠を見せれば十分だと思い、ハーミスは映像を停止した。そして、ギャング達に向き直って、静かに告げた。


「……これが真実だ。しかも、ここで言ってないことも教えてくれたよ」


 ハーミスが男を睨むと、彼は体を大きく震わせた。


「大頭は確かに持病があったが、薬物を投与して悪化させたのはこいつらだ。追いかけたギャングをワームで丸呑みにしたのもこいつらだ。街の外にある通路の出口を掘り出し、ずっと地下に潜んでいたのも――こいつらだ」


 真相を伝え、沈黙を齎した死人は、リヴィオとニコに問うた。


「さて、まだ戦いを続けるか?」


 答えなど、分かり切っていた。


「……わしらの大頭を、仲間を、こいつがか。こいつが、殺したちゅうんか」


「そうよ、聖伐隊が殺したのよ。あんた達の不仲を見越して、トラブルが起きたって互いに話し合おうとすらしない関係だって知っててね」


「……僕達が招いたも同然、か」


 ニコの言葉に、誰も同意はしなかった。事実だとしても、同意など出来るはずがない。


「――そうだよ」


 縄で縛られた、聖伐隊の工作員を除いて。

 ぎろりと一同を睨んだ彼の目は、半ば諦めているようにも、狂っているようにも見えた。だからこそ、涎を撒き散らしながら叫べたのだろう。


「お前達はもう終わりだ、三日後には聖伐隊の本隊が来る! 戦力は前回の十倍、しかも『選ばれし者』も来るんだ! 協力関係も築けないお前らに勝てるはずがないだろう!」


 男は気づかない。リヴィオがドスを懐から抜き、握り締めたのに。


「いいか、住民は皆殺しだ! 女子供関係ない、人間だけの世界の為にお前らギャング諸共、この街を一切合切滅ぼしてやんびゅ」


 だから、気づかなかった。リヴィオのドスが、男の頭に振り下ろされたのに。

 彼は一瞬だけ白目を剥くと、血も流さず、ドスごとどうと斃れ、動かなくなった。ギャングを混乱に陥れた相手を殺したというのに、リヴィオは心底悔しそうだった。


「……わしは、わしは何ちゅうことを……! こんな、こんな事態になるまで、悪党共の存在すら気づかずに、踊らされ続けて……わしは……!」


 間抜けな道化と成り下がり、街を滅ぼす手伝いをしかけていた自分への怒りが、リヴィオの中で沸々と燃え上がっていた。ニコもまた、同様だった。


「……情けないな。街の平和を望んでいたはずが、利己的な怒りに駆られていたとは。僕はリーダー失格だ、まさかこんな……!」


 二人の後悔は、ギャング達にも伝わっていく。

 気持ちは分かるが、優先するべきことがあると、ハーミスは二人に言った。


「後悔なら後だ、反省も後だ。今は――来るべき敵に向けて、協力してくれ」

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