第87話 暗躍


 昨日の喫茶店は、一部に破損跡があるものの、営業を再開していた。

 砕けた床板をありあわせの木材で補修したからか、カウンターの隣辺りの床だけが色が違う。真上まで昇った太陽の光が、木漏れ日のように、ガラスに透かされて中を照らす。

 そんな、昨日以上に静かな喫茶店――トラブルを恐れて人が寄り付かない喫茶店に、ハーミスはまたもやって来ていた。


「……もうじき、来るかな」


 冷たいフンコーヒーの注がれたグラスをマドラーで回し、ハーミスは今朝の打ち合わせを思い返す。今日は四人でこちらに来ず、残りの三人は別の仕事をしている。


『――じゃあ、昨日の夜に話した通り、俺は話してくるよ』


『気を付けなさいよね。あたしは旅で必要な物の買い忘れがないか確認して、不足分があれば調達。エルは向かいのおばさんの仕事の手伝い。ルビーは……』


『びゅーん、がおーっ!』


『すごーい! ドラゴンのお姉ちゃん、もっかいやってー!』


『……ルビーは子供のお守り。そんじゃ、昼を回ったらもう一度宿に集合ね』


『分かった、行ってくる――』


 これが、今朝のハイライト。

 クレアは街市場に向かい、エルは住民のお手伝い。ルビーは子供を乗せて低空飛行をして、思い思いの、恐らく今日が最後になる獣人街での一日を過ごしている。

 そしてハーミスは、彼が三人に頼み込んだ、確かめたいことを確かめに来たのだ。

 正直なところ、話したい相手が来る保証はない。それでも彼の部下を伝い、この日のこの時間に来てくれとだけは告げた。後は、相手が来るか否か。

 訪れてくれればありがたいと思うハーミスの耳に、冷たい声が聞こえてきた。


「……部下を通じて君の方から僕を呼ぶとは、驚きだね。仲間になってくれると言ってくれれば嬉しいんだが、そんな様子じゃあないか……フンコーヒーを一つ」


 振り返るまでもなく、少年はハーミスの隣に座り、マスターにコーヒーを注文した。冷たいコーヒーが注がれるのを眺める彼は、オリンポスのボス、ニコだ。


「済まねえな、ギャングのボスは忙しいってのに、わざわざ呼び出して」


「まさか。僕も君の誘いを無下にするほど、忙しいわけじゃない。用件を聞こうか」


 コーヒーが置かれ、ミルクが注がれる。

 ニコがそう言ったのを皮切りに、ハーミスは話し始めた。


「……いくつか質問したい。あんたとリヴィオは、決裂する前から仲が悪かったのか?」


「良くはなかったね。彼女と僕は水と油だったさ」


「聖伐隊との戦いの時も、あんた達は喧嘩してたか?」


「敵を前にして喧嘩をするほど、馬鹿ではないよ。ただ、会話をする必要や、共に立ち並んで戦う必要はなかったね」


 コーヒーの入ったグラスを掴み、ニコは一口、小さな口で飲む。


「大頭が死んだのは、聖伐隊が侵攻に失敗してからだったな。持病の悪化ってのは――」


「回りくどいのは嫌いだ、はっきり言え」


 そして、グラスを音が出るくらい乱暴に置くと、ハーミスを睨んだ。

 彼は間違いなく、苛立っていた。ハーミスとしてはもう少し詳しく話を聞きたかったのだが、これ以上怒りを掻き立てれば、後ろに立っている彼の部下に何をされるか。

 だからこそ、ハーミスは努めて冷静にコーヒーを飲み干すと、正直に話した。


「――ゼウスが離散してから今に至るまで、誰かが裏で糸を引いてるんじゃねえか?」


 ニコが目を丸くしたのも構わず、ハーミスは話し続ける。


「だってそうだろ、連中が攻撃に失敗して直ぐに、大頭が亡くなった。元よりあんた達の仲が悪くて、しかも跡を継ぐと知ったなら、身内を双方が殺したように見せかけて、内輪揉めさせて抗争を起こし、疲弊させればいい。俺が聖伐隊ならそうするぜ」


 これが、ハーミスがここに残りたいといった理由。

 彼にはどうしても、一連の事件が偶然には思えなかったのだ。聖伐隊が来てからのトラブル、意図するかのように双方の大事な人が亡くなった事件が発生し、いまやこの獣人街は一枚岩ではない。聖伐隊が再度ここを狙うなら、うってつけの状況になっている。

 ハーミスはいたって真面目に、陰謀論を提唱した。しかし、ニコが彼の話を聞いて驚いたのは一瞬だけで、直ぐに冷静さを取り戻し、ハーミスを試すように言った。


「……君は、随分と聖伐隊が憎いようだね」


「どうしてそう思う?」


「目がそう言っているよ、憎いと、皆殺しにしたくてたまらないと。それと、君の話は面白いが、私怨の塊の仮説を鵜呑みにはできないね」


 そして、ハーミス同様にコーヒーを飲み干すと、席を立った。


「俺は真面目に言ってんだ、あいつらならやりかねねえぞ」


「だったら、証拠の一つでも持ってきてから話してくれ。有意義な話なら歓迎だが、君の妄想に付き合っている暇は――」


 彼はきっと、こんな妄言の為に呼ばれたと思い、苛立っていたのだろう。

 平静な様子ではなかったし、うんざりしている調子でもあった。長く続くリヴィオとのいざこざのストレスが、暫く溜まっていたのかもしれない。

 だから、ハーミスが気づいたことに、ニコも、彼の部下も気づいていなかった。

 開いた喫茶店の扉から、誰かが入ってきたのに。素肌の上に真っ黒なマントを羽織り、フードを被って顔を隠したその三人組が、手にクロスボウとナイフを構えているのに。

 咄嗟に動けたのは、ハーミスだけだった。


「――ニコ!」


 彼はほぼ無意識に、ニコを抱え、カウンターの中に飛び込んだ。

 ハーミスとニコが店の内側に転がっていくのと、クロスボウから放たれた矢が空を切り裂く音と、ナイフが奔る音と、ニコの部下が呻き声と共に倒れる音が聞こえた。


「何だ、あいつらは!」


「分からねえが、今は外に出るな! アイツら、どう考えてもお前を狙ってる!」


「ひ、ひいいいっ!」


 マスターの悲鳴が響く中、カウンターの外では誰の声も聞こえなくなった。ハーミスがカウンターから顔を覗かせると、敵の姿はまだそこにあった。

 彼らは死体を蹴り飛ばしながら、騒音と叫び声が犇めく喫茶店の外に出て行った。

 その時、ハーミスも、遅れて顔を出したニコも、確かに見た。


「――あの刺青は!」


 マントの下の素肌には、これでもかと刺青が彫ってあった。尾や尻尾はマントの下で見えないが、刺青だけは確かに――見せつけるように視界に入った。

 彼らはニコの声に驚いたのか、そのまま走り去ってしまった。

 ハーミスは彼らを追おうと喫茶店を出たが、左右を見回しても、既にマントを被った襲撃者の姿はなかった。あるのは、慄く住民達の姿だけだ。

 自分にルビーのような空を飛ぶ力や、エルのような魔法があるなら別だが、いまはそんなものがない。ハーミスが振り返ると、ニコが斃れた部下の、かっと見開いた目を優しく閉じているところだった。


「……あの刺青、間違いない。ティターンの連中だ」


 瞳は爛々と、怒りに燃えていた。正しい判断など出来ないくらいに。


「落ち着け、ニコ。冷静になれ」


「冷静だとも、ああ、冷静さ」


 ニコはゆっくりと立ち上がると、彼の部下が喫茶店の外から入ってくる。恐らく、ここの騒動を聞いてやって来たのだろう。


「おい、僕とこいつらを襲った連中を逃がすな……彼らを弔う準備をしておけ」


「「はい、ボス」」


 ハーミスの言葉も届かず、ただ復讐心に燃えるニコ。

 だが、怒りに駆られ、目に殺意を灯すのは、彼だけではない。


「――ニコオオオオォォッ!」


 街市場の方角から、虎の雄叫びのような怒声が轟いた。

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