第39話 隷属


 突き飛ばされたハーミスとシャスティは、たちまち上から押しつけられ、動きを封じられてしまった。うつぶせになりながら、彼はそれでもどうにか、顔を上げた。

 部屋は赤いカーペットと格調高い箪笥、テーブル、椅子といった家具一式、シンプルな明かり、大きな窓から差し込む陽の光で、穏やかな空間となっていた。高級な宿でも、これだけ落ち着く部屋はそうそう作れないだろう。

 青髪の青年と、鎖で部屋の隅に繋がれた無惨な様の少女がいなければ。


「……何事だい?」


 振り向いた青年は、目を長い前髪で隠していた。

 髪は青のセミロングヘア。聖伐隊の白い制服ではなく、足元まで覆われた白いローブを纏い、首元に宝石をちりばめた金のネックレスをかけ、耳には耳より大きな、聖伐隊のマークである十字架を模したピアスをしている。

 髪をかき上げなくても、隙間の多い前髪から、時折黒い瞳が見えた。常に笑っているように見えるのが、一層彼の存在と、繋がれた奴隷を不気味なものへと昇華させている。

 あまりにも不自然な光景にも慣れた様子で、ハーミスを捕らえた隊員が言った。


「バント様、こいつらは例の逆賊と、森のエルフです。バント様の命と、奴隷を狙って駐屯所に忍び込んだものと思われます」


 青年は口元の笑顔を絶やさぬまま、ゆっくりと歩み寄り、ハーミスの顔を覗き込んだ。


「そうか、つまり……ハーミスだね。三年ぶりだ」


「バント……!」


 彼が、『選ばれし者達』の一人にして、ハーミスを殺した一員、バント。

 視線だけで呪い殺してしまいそうなハーミスの眼力をじっと見つめた後、彼は少しだけ離れた。そして手で扉を閉めるよう命令すると、数名の隊員を残して、残りは外に出て行き、扉は静かに閉められた。


「ロアンナの街に来るかもしれないとローラからは聞いていたが、まさかこんなに早いとは。君も、隣のエルフのように、このお姫様を助けに来たのかな?」


 そう言って、バントは奴隷に繋がれた鎖を乱暴に引っ張った。相当な力で引っ張られ、転びそうになっているのに、奴隷は悲鳴どころか、声の一つも上げなかった。

 あどけなくも美しい容姿と、腰まで伸ばしたウェーブのかかった金髪。前髪につけた七色の髪飾り、ここまでは高貴。しかし、痣と蚯蚓腫れだらけの肌と顔、服とも呼べない泥色の布切れを纏わされた様は、紛れもなく奴隷そのもの。

 ハーミスはもしや、と思ったが、その前にシャスティが叫んだ。


「ベルフィ姫! 貴様、姫によくもこんな格好を!」


 やはり、彼女はエルフの里の姫、ベルフィだった。

 姫とはいえ、完全に高貴さは失われ、目は虚ろ。どれだけの暴力を受け続けてきたのかと思うと、ハーミスの中で、バントへの怒りが沸き上がってくる。


「……布切れ一枚被せて虐待とは、随分と滅茶苦茶をするじゃねえか。ユーゴーの影に隠れてたが、てめぇの方がずっと性悪だとはな」


「虐待? 言い方が悪いな、僕にとってこの亜人の姫は玩具だ。おもちゃを乱暴に扱って咎められるなんてことがあるのかい?」


「玩具だと!? ふざけるのも大概に……ぐッ!」


 バントが指を鳴らすと、隊員が声を荒げたシャスティを、より一層強く抑えつけた。

 じゃらじゃらと、これ見よがしに姫を拘束する鎖を鳴らしながら、バントは前髪の隙間から二人を見つめる。まるで、自分の強い立ち位置を確かめるかのように。


「それにしても、ハーミスに焚きつけられたかは知らないけど、随分と馬鹿なことをしたものだね。この姫が僕のものである限り、里に手出ししないし、子供達も保護すると約束したのに。ユーゴーと違って、僕は約束を守るつもりだったんだけどなあ」


「嘘つけよ、お前は約束を守るような人間じゃないだろ」


 だが、ハーミスの一言で、彼の目から余裕は失われた。代わりに現れたのは、自分への反逆を決して許さないという、正しさとは真逆の陰湿な意志だ。


「……何だって?」


 それでも、ハーミスは言い放った。ユーゴー以上の嗜虐性を持ち、人を見下すことに全てを捧げるような男が、約束を守るなどとは思えなかったのだ。


「抵抗できない相手にしか暴力が振るえない臆病者が力と権力を手に入れて、約束なんざ守るわけねえだろ。お前とユーゴーの違いなんて人にゴマするかどうかってだけで、本質は変わらねえさ。どうせエルフの里も、追々滅ぼすつもりだったんだろ?」


「もっと端的に話しておくれよ。『選ばれし者』の僕が、何だって?」


「俺に向けた目は忘れてねえぞ。てめぇは陰湿で陰気な、金魚の糞だ」


 ハーミスにとって、バントはそれ以上でも、以下でもなかった。

 自分は手を下さず、ただ人の暴力を遠くから眺めて嘲笑う。自分の安全性を優越と勘違いし、己が優れていると錯覚し、受け入れる。今は『選ばれし者達』として、世間から見ればまさしく素晴らしい人間なのだから、猶更感覚は歪んでいく。

 バントの目が、ハーミスの目と合った。怒りを内包するハーミスと違い、醜悪な憎悪を溜め込んだバントは、耳元まで口の端を吊り上げて、笑った。


「……君は一つだけ勘違いしているね。僕はユーゴーが死んで、正直せいせいしているんだ。彼は口が悪くて乱暴なだけで、僕達のリーダーぶっている面倒な奴だったさ」


「そのリーダーの影でにやにや笑ってるだけだった奴が、何言ってんだか」


 ユーゴーより劣っていると言われたのが、癪だったのだろうか。


「立場が分かっていないようだね、ハーミス。僕は君に暴力を振るわないよ、ユーゴーみたいにね……こうやって玩具で、憂さ晴らしするだけさッ!」


 いきなり、バントはベルフィを近くまで引き寄せると、彼女の顔を思い切り蹴り上げた。呆気にとられた二人の前で、彼はさらに、呻く彼女の頭を踏みつける。


「……っ!」


 ベルフィの顔が苦悶に歪むのに、彼女は悲鳴を一つも上げない。頭を何度も踏みつけられてもなお、口を真一文字に結ぶベルフィに、舌なめずりしながらバントが言う。


「声を出すなよ、喚いたら里を滅ぼしてやるからな。お前はいつも通り、黙って僕に殴られて、蹴られていればいいんだ。僕に暴言を吐いた、あの無能の分までな!」


 そうして、鎖ごと彼女の体を起こすと顔を殴りつけた。血で拳が汚れない程度に殴り、髪と鎖を引っ張り、無言の姫を殴打で染め上げる。


「やめろ、やめろおぉっ!」


 シャスティが叫ぶ。動けず、ただ叫ぶ。


「てめぇ……!」


 ハーミスは思い違いをしていた。彼が暴力を振るうのは、弱者にではない。

 抵抗もできない、自分に絶対に逆らえない――無抵抗の弱者だけだ。

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