地獄から来た男

ひさまた

プロローグ 地獄に落ちた男

 たわいもない話をしよう。

 取るに足らない男の話をしよう。

 何度生き、何度死のうともその残虐性を失うことの出来なかった愚かな男の一生を。

 時代を変え、名前や顔、性を変え、だが決して変わることのなかったソレは、

別の視点から鑑みるに、己を貫きその全てを生き抜いたという観点に於いて、見事な性質なのではないかとさえ、思える。

 だがしかし、愚かかな。

 六度目の生を受けたその男は、またしても死に追いやられている。

 その全ての生涯で老いる事無く、人としての一生を全うすることなどただの一度もなく。

 ただその男が満足しているのならば、他者が揶揄する理由も必要もないが――。


 宵闇に包まれ、森から少し離れた農場跡地で乾いた銃声が響き渡る。

 唐突な破裂音に驚いた鳥たちが、バサバサと羽音を立てて森から飛び立つ音が聞こえてくる。

 ジャンが撃たれた。

 全員がこのピリついた緊張感を肌で感じていた。

 ジャンは鉛弾を額に受けて頭蓋骨を割り、反対側から脳みそをぶちまけて死んでいた。

 撃ったのはダニーだった。

 このギャングのリーダーだ。

「お前も、俺に歯向かうのか」

 ダニーが言った。今度は己――チャールズの額を照準しながら、そう呟くように言った。

 ギャングは今不安定な状態にある。すでにダニーについていけないと言った仲間たちは、何人か離れて行ってしまった。

 銃声に反応して――だがチャールズに加勢する者は、誰一人としていなかった。誰もがゆっくりとダニーの近くに歩み寄って、ゆっくりと銃を抜いてチャールズへ向け始めている。

 女たちは少しおびえたような顔をしながら、たき火の側から離れられずにいる。

 それも当然だ。俺はダニーとは違って根っからの極悪人で、こんな僻地に追いやられたのも己が派手に列車を襲ったせいだ。

 唯一弟分のようについてきてくれていたジャンも、いない。たった今殺された。

 チャールズは最初から抜いていた拳銃を変わらずダニーに向けながら、唾を吐いた。

「言っただろ、俺はギャングのために」

 言葉は最後まで紡がれず、途中で銃声がかき消した。

 左肩が馬に蹴られたかのような衝撃を受けて大きく弾む。

 思わず後ろに倒れこんで、それから肩に走る焼けるような痛みを覚える。

 チャールズは必死に喘ぐような声を噛みしめて押し殺した。

 その間にもダニーはゆっくりと近づいてくる。やがてチャールズを覗き込むように見下しながら、銃口は額に向けられていた。

 俺は善人ではない。だが少なくとも、このダニーよりはマシな生き方をしてきたつもりだ。

 不要になれば殺すのか。俺がどれほどこのギャングに貢献してきたと思っていやがる。

 確かにやり方は悪かったかもしれないが――。

 思いがこみ上げてきて、その全てがどす黒く染まる。

「ダニー……てめえ――」

 まだ動く右手は、まだ拳銃を握っていた。腕を振り上げダニーへ照準した、その瞬間。

 目の前で発砲音がした。

 チャールズがそれを認識するよりも先に、彼の意識は途絶えていた。


                 ❖❖❖


 次にチャールズが気が付いた時、まず初めに肌を焼くような熱気が肌を焼くような感覚に顔をしかめた。

 そこはまるで火山の中のようだった。

 己が立つのは頼りない細く切り立った崖。足場は、前後とも数歩あるけばもうその先は存在していない。

 周りはどくどくと上の方から溶岩が流れ出していて、空を見上げてもその天井はごつごつとした岩肌しか見えない。

 下には流れた溶岩がたまって、たまに弾けて岩肌を焼いている。

 そして目の前には、

「貴様は執念深いな」

 巨大な、とにかく巨大な男が、腕を組んで立っていた。

 どれほど大きいというと、見上げれば首が痛くなるほど高い天井すれすれにその頭頂部があり、下半身はすでに溶岩に浸かっていて影すら見えない。

 それは紫色の肌をしていて、白目まで黒く染め、頭部には左右にうねるような角を生やした悪魔のような見た目の男だった。

 そしてチャールズは、彼を何度か見た覚えがあった。

 初めて見た時はかなり狼狽してみせたものだが、今となっては何の感慨もない。

 ただいつもと違うのは、いつもなら壁を覆うように立っていた他の悪魔たちの姿がまるっきりないことくらいだ。

「よお、久しぶりだな」

 だからそう気安く返事をしてみた。

 悪魔はそんな言葉に、フン、と鼻を鳴らして答える。

 チャールズは死んだその時のままの恰好でそこに立っていたが、やがてあまりの暑さに耐えかねて、縦縞のシャツを脱ぎ上半身を露出する。

 腰のガンホルダーには拳銃が収まっていなかったが、まあ当然といえば当然だろう。

 ここは地獄なのだから。

「普通の人間ならば、新たな生を受けた時には記憶など無くしている筈なのだが、貴様は」

「もうその話はいいだろ、聞き飽きたぜ」

 確かに己は、”何度か死んだ事がある”。だが、その全ての記憶があり、そして変わらない生き方をしてきた。

 天国になんぞ行きたかねえとは思っていたが、まさかその全てが地獄ここだとはさすがに思わなかったが。

 そして目の前の悪魔はそのたびに、地獄に落とす前に己をここに立たせる。つまらない小言を聞かせて、やがてこの足場を壊して溶岩に落とすのだ。

 その先に地獄はある。何千年、何万年にも及ぶ苦行を繰り返して、そして新たな生を受ける。

 その全ての記憶がある。

 悪魔はそれに驚いたり、感心したりしているのだ。

「さっさと地獄に落とせよ。お前の顔ももう見飽きたぜ」

「それは別に構わないのだが」

 悪魔はおそらく、この地獄の番人か何かなのだろう。結局のところ、チャールズは彼の素性をまったく知らなかった。

「貴様は次で七度目の生を受けることになる」

「ああ」

「次死ねば、貴様とはもう会えぬのでな」

「あ?」

「七度目の死は、消滅だ。どれほど貴様の執念が強かろうが、その魂は完全に消滅し何かに生まれ変わることなどない」

 しれっと言ってのける悪魔に、おいおいとチャールズは食い下がる。

「そんなこと、誰が決めたんだ」

「単純な話、魂の限界だ。七度の転生を繰り返せば摩耗した貴様はその魂を保てなくなり、自然と消滅する。これは私にも止められることではないし、まあ、つまるところ」

 悪魔は少し思案するように顎を指先で撫でた。

 考えるというよりは、決めかねているようだった。言うか言わないか迷っている様子で少しの間、黙り込んでいた。

 ややあってから、口を開いた。

「私に魂を売ってみないか」

「……へえ、俺の魂にまだ値があるとは思わなかったが」

「冗談ではない」

 なんのつもりだ、と思う。

 チャールズ自身、二度も三度も人生こんなことを繰り返せば慣れてしまっていた。

 もはや一つの生涯に執着はないし、ついさっき己を殺したダニーは未だに憎いが、あの時代にまた生きて戻れる訳でもないので気にもならない。

 次の人生でさっきより長く生きたいとも思わない。

 ただ気が狂ってしまわない自分はすでに、もう気が狂っているんじゃないかとさえ思う。

 つまるところ、どうでもいいのだ。

 もはや、己の人生など。

 この輪廻にも飽き飽きしている。なぜ動物や虫なんかじゃなく、人に生まれ変わってしまうのかも、わからない。現世もある意味、地獄ということなのかもしれない。

「貴様の事は評価している。面白いではないか、六度の人生、五度の地獄をすべて体験し記憶しているなど」

「あんたがしてることなんじゃねえのか?」

「それは不可能だな。我々は貴様らの、いわば水先案内人だ。地獄や現世に送れるが、それほど手の込んだ事は出来るわけがない」

「へえ、そうかい」

 聞いてはみたが、興味はない。

 自暴自棄というのが、一番正しいのかもしれない。

 人生は短い。今までで、この地獄より長かった人生などないし、あるはずもない。

 地獄も楽ではない。獄門にはされるし、煮るし焼かれるし切られるし刺されるし、だけれど死なないし。

 ほかの奴らは獄門にされた時点ですでに意識などない。なぜ己だけが、なんて思う好奇心ももう、ない。

「無気力だな」

 悪魔が言った。

「ああ」

 そりゃそうだろ。

「自分本位の人生だ。結局、どれほど生きようとも貴様は今まで以上の快楽を覚えられる筈がない」

 そういわれて、チャールズは失笑するように肩を揺らした。

 くつくつと少しの間笑った後、

「手前の人生、どう生きようが悪魔なんぞに講釈垂れられる程腐っちゃいねえと思ってたがよ」

 冷めた目つきで悪魔を一瞥すると、彼はまた「ふむ」なんて言って口を開いた。

 だからだ、と言って、

「私に魂を売ってみないか」

 繰り返されたその言葉の意図はわからなかったが、

「ああ、いいぜ」

 だがその提案を蹴る理由というものも何も思いつかなかったし、なにより、

「おもしれえんだろうな」

 今までになかった――好奇心。どうなるかわからないが故の興味。

 ふつふつと、心が生き返る気がした。

「ならば条件を提示しよう」

 悪魔は言って、指を鳴らした。小気味良い音が空間に響く。

 それと同時に、チャールズの目の前に一枚の羊皮紙が現れた。

 契約書、と書かれているそれにはひどく堅苦しい文面で、チャールズが悪魔へと魂を売る事が書かれている。

 その中で、初めて悪魔の名前を知った。

「カオス……ってのか、あんたの名前は」

「ああ。だが些末な事だ。今はな」

 悪魔カオスはにやりと笑った。

「貴様の地獄は免除してやる。というより、今より貴様の魂の所有権は私にあるから、その必要がなくなったというのが正しい」

「そいつはどうも」

 悪魔に魂を売れば地獄に落ちる。

 チャールズの人生で幼少期に祖母から聞いた話だが、どうやら正しい話ではなかったようだ。

 その祖母とて、これまでのチャールズを鑑みれば乳飲み子に等しい。知識や人生経験で言えば容易く凌駕しているのだから。

「貴様には別の男の人生を生きてもらう」

 悪魔はそう言って、

「力はくれてやる。特別な力だ」

 無表情で感慨もなく、羊皮紙に添えられていた羽ペンで契約書に名前を書きながら話を聞いていたチャールズは、

「まったく違う世界で、まったく違う男の人生を救え」

 ふとそんな事を言われて、チャールズ・A・ブロンソンと書ききった所で手を止め、顔を上げた。

「……なんだと?」

「次に貴様が生まれるのは赤子ではなく、たった今死にかけている少年だ」

「ああ!?」

 そこでようやく、チャールズの瞳に光が入る。感情が芽生え、苛立ち、語気を荒げた。

「それじゃてめえの玩具じゃねえか!」

 吐き捨てて、はっとする。

「ああ、そうか」

 そうだ。

 俺は玩具だ。

 彼に魂を売ったのだ。俺をどう扱おうが、彼に非はない。

「ああ、そうだ」

 慮外な事ではない。とチャールズが認識したのを、悪魔は知ったように頷いた。

 じゃあ、と続けるチャールズにその意図を知っている悪魔は声を遮る。

「悪魔の力だ」

 そう、対価の話。

 チャールズは眉間に皺を寄せながら、その曖昧でなまくらそうな言葉に疑問符を浮かべる。

「具体的に教えてくれよ。ビギナーなんだからよ」

「実際に使ってみればわかることだ。そのイメージが、貴様の体に具象化してしまうが」

「学がねえんだ、わかりやすく言ってくれ」

「悪魔の力、と言われて貴様が想像するものはなんだ? それが貴様の体に体現される――ともかく」

 ごごご、と唸るような地響きと共に空間が揺れ動く。天井からパラパラと小石がこぼれ始めて、やがて大きな岩が落ちて溶岩がしぶきを上げた。

 それと共に伸びた悪魔の腕が、抵抗もしないチャールズを容易く握り、

「時間がないのだ。貴様が思っていより、ずっとな」

 それはまるで卵を握りつぶすかのように、簡単だった。

 またチャールズは意識を失った。握りつぶされたその肉体が光の粒となって霧散し、そして天井を突き抜けて、どこかへ消えていった。

 悪魔はただそれを静かに見守り、そうしてゆっくりと、元の姿勢に戻っていく。

 まるでこれまで、何事もなかったかのように。

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