第19話 学校の彼と相合傘

 あれから彼が私の家に来て本を借りていくようになったけれど、特に変わったことはなかった。当然といえば当然だと思う。別に一緒に移動はしていないので、これといった関わり合いが増えるわけではない。……まあ、多少、メッセージアプリによるやり取りはするようになったけれど。


 他にあったとすれば、人目を気にする必要がなくなったので、家の前で多少長く話すようになった程度。互いに本好き同士。感想の言い合いをしていると自然と時間は過ぎた。何気ない会話だったけれど、それが凄く安らいで暖かくて最近の楽しみになりつつある。


 今日もまた本を受け取りに来る予定の彼に先に帰ることをメッセージで送って学校から帰ろうと玄関扉を開いた。


「……雨」


 校舎の下駄箱を過ぎて建物を出ようとすると、外は土砂降りの大雨だった。ザァザァと雨が土を打つ音が響いてくる。


 朝は晴れていたのにいつから降り始めたのだろうか。特に晴れが好きというわけではないけれど、雨だというだけで少しテンションが下がる。せっかくこの後彼と話すというのに雨では気分良く話せないではないか。


 落ち込んて肩を落としつつ、いつも入れている折り畳み傘をリュックから探す。


「あれ?」


 手を入れてゴソゴソと探すけど、傘が見つからない。リュックを開いて目でも探してみるけれど、折り畳み傘は入っていなかった。

 

(あっ)


 そういえば昨日荷物の整理をしたことを思い出す。その時に取り出して戻すのを忘れたのだろう。なんて間の悪い。どうしようか?


 空を見上げて見るけれど、止みそうにない。暗く濁った雲が厚く空を覆い、激しい雨を降らせているだけ。最悪走って帰るしかない、そう思ってため息を吐いていると声をかけられた。振り向くとそこには本友達の彼がいた。


「傘忘れたのか?」


「……はい」


 私の返事を聞くと、心配そうに眉を下げたまま少しだけ迷うように瞳を揺らす。そのまま言いにくそうにどこか優しげな声で口を開いた。


「……一緒に入るか?」


「遠慮します。平気ですので」


 なんとなく、優しい彼ならそう言ってくるのは予想がついていた。その優しさはとてもありがたいけれど、誘いにのるわけにはいかなかった。


「じゃあ、どうやって帰るつもりなんだよ」


「それは……」


 傘がない以上、どうしようもない。迎えを呼ぶ親もいないし、走って帰ると言ったところで彼が納得するとは思えない。何も言い返す言葉が思いつかず、言葉に詰まる。


 彼は私が強がっているのを見透かしたように、傘を差し出してきた。


「ほら、入れよ」


「ですが……」


 傘を差し出して入るよう促してくるけれど、入るのは躊躇われた。この前一緒に帰るのを誘った時にもかなり気にしていたのに、今回に限って気にしていないはずがない。


 彼の優しさに甘えて迷惑をかけたくはなかった。もしかしたら今回のことで噂になり、それを嫌った彼が今後私を避けてしまうかもしれない。この先の関係にひびが入ってしまうかもしれない。それは絶対嫌だった。


「いいから。お前のために傘に入れてやろうとしてるんじゃない。俺のためだ。お前がいないと今日の分の本を借りれないだろ。」


 ぶっきらぼうな冷たい物言い。言葉をそのままの意味で取れば自己中である発言。でも、それが彼らしい優しさであることはすぐに分かった。


(まったく、もう……)


 ほんとうにずるい。そんなこと言われたら受け入れるしかないじゃないか。何度も何度も助けてくれて……。彼の不器用な優しさに心が温かくなった。


「……じゃあ、お願いします」


 結局彼の優しさに提案を受け入れ、少し緊張しながら傘に入る。


 わ、わぁ。想像以上に距離が近い。すぐ横に彼の体があり、少し動かせばぶつかってしまいそう。こんな近くに彼がいることなんて滅多にないので、少し居心地が悪い。なんとなく恥ずかしくて顔が見れず、俯いたままわたしの家まで歩いて行く。


 家に向かう途中、黙ったままで彼がどんな様子なのかつい気になり、ちらっと彼の方を見る。彼はいつも通り、少し難しそうに顔を顰めながら歩いていた。

 なんだ、いつも通りか。自分は彼のことを意識して恥ずかしい思いをしているのに平然している彼が少しだけ面白くない。少しくらい意識してくれてもいいのに……。


 ちょっとだけ恨めしく、ついムッとしてしまう。私ばっかり意識して馬鹿みたい。ほんの少しでもいいから照れてくれても……。理不尽だとは思いつつもそう思ってしまう。


 彼の様子を窺おうともう一度見ると、今度は私と逆側の彼の肩が濡れていることに気がついた。


(えっ?)


 一瞬、その意味が分からず固まる。けれど、すぐにその意味を理解した。


 よくよく見ると彼は傘を私の方に傾けていた。彼は私が濡れないようにしてくれていたのだ。優しくされて嬉しいような、でも、私のせいで彼の服を濡らしてしまってやっぱり申し訳ないような、なんともいえない複雑な気分のまま家へと向かった。


「じゃあ、本を頼む」


「……少し待っててください」


 自分の家に着き、改めて彼と正面から向き合うと、彼の服が肩から下にかけて濡れていた。その濡れた姿に申し訳なくなる。慌てて本と、そして服を取りに部屋へと向かった。


 服と本を回収して、玄関にいる彼の元へと戻る。本に服を添えて彼に渡した。


「はい、どうぞ」


「……この服はなんだ」


 受け取った彼は思い当たることがないようで、不思議そうに服を見つめる。


「私のせいで肩が濡れているんでしょう?着替えて下さい」


「いや、あと帰るだけだし別に……」


「ダメです。風邪でも引いたらどうするんですか?別にあなたのために言っているんじゃありません。あなたに風邪を引かれたら私の気分が悪くなるから言っているんです」


 遠慮しようとしてくるので、さっき彼が言ったように私も自己中な発言で丸め込む。


「……分かった」


 わたしの言い分に複雑な表情を浮かべながらも頷いてくれた。了承してくれたことにほっとしたのも束の間、目の前で上着を脱ぎ始めたので慌てて顔を逸らす。


「私があっちの部屋に行ってからにしてください!」


 それだけ言い残して、急いで部屋へと戻りドアを閉めた。


 はぁ、びっくりした。まさか目の前で脱ぐなんて。私のことを異性として見ていないからそんなことが出来るんだろうけれど、こっちは男性の身体なんて見慣れていないんだから、やめてほしい。


 そっと頰に触れてみると指先から熱くなっているのが伝わってくる。意外と筋肉質だった。腹筋とかもしっかりとあったし、細いながらもがっしりとしていた気もする。頭から彼の裸が離れず、思い出してはまた恥ずかしくなってしまった。


 やっと落ち着いてきて、時間も経ったので扉の向こうにいる彼に声をかける。


「……終わりましたか?」


「ああ、終わったぞ」


 扉から覗き込むように見ると、たしかに渡した服を着ていた。間違って買った大きいサイズの服だけれど、自分の服を彼が着ているというのは妙な感じ。


「じゃあ、これ、借りるな。ありがとう」


「いえ、気をつけて」


「お邪魔しました」


 そう言って彼は家を出ていった。

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