彼が無自覚に私のことを口説いてきてて困る

午前の緑茶

第1話 バイト先の彼はただの人

「斎藤さん、聞いてください!」


「なんですか?」


 バイトが終わり帰ろうとすると、田中くんが話しかけてきた。

 最近、よく彼に話しかけられる。というより、もはやバイト終わりに彼と話すのが日課になりつつある。

 彼が私に話しかけてくる理由は一つ、恋愛相談だ。時々アドバイスをしていたら、いつのまにか彼とは相談関係になっていた。

 別に相談関係自体に不満はない。コイバナというのは聞くだけで楽しいし、人の役に立てるなら力を貸すのもやぶさかではない。


 ただ、一つだけ問題がある。それは彼の好きな人というのが私なのだ。何を言っているんだ?と思うかもしれないが、私なのだ。正確には学校生活で一緒に過ごしている私だ。

 理由があってバイト先で変装しているので、相談相手の私が好きな人だと気づいていないのだろう。


「実は、昨日一緒にケーキを食べに行きまして」


「へぇ、そうなんですか」


 出来るだけ平静を装って相槌を打つが、もちろんケーキを食べに行ったことは知っている。本人だから。


「それでケーキを食べた時の彼女がとても可愛かったんです。もう、こう……ザ、幸せって感じで、あの柔らかい笑顔に惹きつけられっぱなしでした」


「か、可愛い……」


 とても幸せそうに笑いながら話す田中くん。もう、なんていうか色々勘弁して欲しい……。

 可愛いなんて言葉を連呼されれば、さすがに私でもドキドキしてくるし、そんなに嬉しそうな顔をされれば、嫌な気なんてしない。


 それにしても、そんなに笑顔だったなんて、自覚がなかった……。満面の笑みを見られていたなんて、なんだか少し恥ずかしい。顔が熱くなってくるのを感じる。何度か深呼吸をして、顔の熱を逃していく。


 それにしてもほんと、どうしてこうなったんだろう……。彼の相談は嫌ではないが、本当に心臓に悪い。内心でため息を吐きつつ、彼との出会いを思い起こした。


♦︎♦︎♦︎


----私にはお金が必要だった。


 家が貧乏というわけではない。むしろかなり裕福な部類だと思う。毎月必要なお金はもらえるし、頼めば多分それ以上にお金を貰えるだろう。

 ただ、あの人から貰ったお金に手を付けたくなかった。あの親として、そして人としての最低なあの人に頼っているという状況が嫌だった。

 もちろん、これがただの子供の意地だと言われれば、そうかもしれない。それでも、私はあの人に頼りたくなかった。あの人を許すことは出来なかった。


 あの人から貰うお金に頼らないとするならば、お金は自分で稼がなければならない。

 しかし、学校ではバイトが禁止されている。家庭の事情によっては許可されるらしいけれど、そのためには親の承諾が必要になる。それを頼むことすら嫌だった私は、バレないよう変装してこっそりバイトをすることにした。


 幸い、お母さんから教えてもらったこともあって化粧の腕には自信があった。普段の自分とは明らかに異なるよう、地味に、影が薄い印象を与えるような、そんな風に整えるのは容易かった。

 ここまで目立たないようにすれば、もし学校の私を知ってる人とバイト先で会っても、気づかれることはないだろう。


 こうして万全の対策をとって私はバイトを始めたわけだが、幸いにも1年経った今でも誰にもバレることなく続けている。

 店長さんもいい人で他のキャストの人も優しく、とても働きやすい場所だ。お金の方も生きていく分にはなんとかなる程度には稼ぐことが出来ていた。


 こんな感じでこのまま高校卒業まで、ひっそり誰にもバレないようにしながらバイトをしていくんだろうな、と思って過ごしていたある日のことだった。


 自分のバイト先に新しい人が入ってきた。


「今日から入る田中湊くんです。これから一緒に頑張っていきましょう」


「えっと、よろしくお願いします」


 店長に紹介され、少し緊張したように声を上擦らせながら彼は頭を下げた。

 

 きっちりと髪を整えて清潔感が漂う爽やかな人だ。話しやすそうな柔らかい雰囲気で、いかにもモテそうな、そんなイメージを受けた。


「田中くんの指導は誰に任せようかなー。あ、じゃあ、斎藤さんお願いできる?年も近いし、話しやすいと思うんだよね」


「……分かりました」


 周りを見回すようにして私の方を見たかと思うと、店長は私を指名してきた。

 あまり同年代とは関わりたくなかったが、店長に指名されては拒否することは出来ない。


「初めまして、斎藤玲奈です。よろしくお願いします」


 関わりたくない、その思いが声に乗ってしまい、つい声が冷たくなる。もともとバイトはお金を稼ぐためにやっているのだ。あまり仲良くするつもりもないし問題はないだろう。


「え、斎藤玲奈さん……?」


 そんな冷たい私の自己紹介にどこか戸惑ったように固まった。


「……どうかしましたか?」


「い、いえ、よろしくお願いします」


 固まる理由が分からず、つい尋ね返すと彼は慌てたように返事を返してきた。

 初めての仕事で緊張しているのだろう。自分も最初の方はそんな時もあったので、少しだけ内心で共感する。


「……じゃあまずは、接客のやり方から……」


 出来るだけ分かりやすいように心がけながら、仕事の説明をしていった。

 

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