失恋中、レズ風俗に出会った話。

慰めの一線

- 慰めの一線 -

その日は随分と晴天で今日も当たり障りのない一日を過ごすんだろうと考えていた。昨晩はFPSゲームに没頭しちゃって気がついたら雀の鳴き声で外が明るいことに気づいた。起きていた時間に比例するように爆睡してしまい起きたのは夕方近くになっていたのだがスマホの画面に表示されている通知を見て一気に頭が冴える。


『別れて欲しい』


…ん?あー、はいはい。…え?


「ちょ、なっ、なに!?」


一年付き合っていた彼女からの唐突な悲報にスマホを落としそうになる。指から色々なものがこぼれ落ちそうになった。


「待ってよ…冗談…とか?」


まさかと思いおそるおそる画面をタップする。緑色のアイコンが出てきて焦る気持ちがなお一層震えだすかのようだ。トークの1番上に固定していた彼女の名前。通知数は先程のメッセージ一つだけだった。重罪を犯した時の裁判判決のように言い渡された別れの言葉。冗談だと思いたい。救いようのないほどに分かっている。あの子がこんな冗談を言うはずなんてない事は。


「と、とりあえず通話せんと…」


受話器のマークを指でタッチして何コール目だろうか。想像とは裏腹にあっさりとすぐに相手からの声は耳に届いてきた。


「あー、はい…」

「も、もしもしぃ!?」


あまりの緊張に声がうわずる。相手の最初の一言で明らかにテンションが低いことは聞いて取れた。ああ、本気なんだなって分かってはいたのに。どこか間違いでは、なんて傲慢な考えが頭をチラつく。


「あ…あの、その…」

「ごめんね、叶、重いんだもん。好きか分からずに付き合ってたのに私には抱えきれんし…ごめん。叶が良かったらまた友達に戻ろ。今までありがとう」


一方的に切られた。通話画面はもうこれから会話が増えていくことのないであろうトーク画面に戻ってしまっている。何も言えなかったし、一年も一緒にいたのに何だこの仕打ちは。もっとお互いに本震をぶつけあったりするのが別れる時のお約束では無いのか。こんなにあっさりと一方的に。ベッドにへたり混んだ私は頭を抱えて叫ぶことしか出来なかった。


「好きかわからんってなんよっ!!」


もうその後のことはよく覚えていない。ただ自分の部屋に一人でいることが辛くて仕方なかった。それでもショックは大きかったのだろう、ベッドの上で3時間くらいボーッとスマホ画面を眺めていた。まっくらな部屋に閉じこもる私はきっと悲劇のヒロインだ、なんて場違いな思考回路が暴れまくる。


十月下旬、とっくに半袖から長袖へと衣替えが済んで、それでもまだ少し蒸し暑いそんな季節。私は家から飛び出した。こんな時でも空には満天の星空が輝いている。私の心境とはまるで正反対じゃないか。


「くそ!…ばか!!重いってなん!隠し事はせんでっていったのあっちやんか!」


夜道を走りながらそう叫ぶ私の姿はとても滑稽に見えただろう。左手首に巻きついている銀のブレスレットを引きちぎってそこら辺に投げ捨てる。お揃いで買ったものだ。私には少しサイズが大きくてまるで安い手錠のようなものだった。


ああ、嫌だ気持ち悪い。息を切らしながら薄暗い繁華街へと迷い込む。気分が最低な時はあえて空気の悪い場所へと自然に足が向く。大学に入って始めてできた恋人。その恋人は同性だったけれど随分とぞっこんしていたように思う。そんな相手から告げられた突然の別れ。わたしには耐えられるものではなかった。

日が沈み、暗くジメッとのびた影が私を襲っては離さない。暗い中伸ばされる無数の手は一体私をどこに沈める気なのだろう。


「てか、ここどこ…」


走り回って流石に疲れた私がやっと足を止めた場所は名も知らない、所謂ホテル街だった。

ホストや風俗、ラブホテル。どれも私は行ったことのない未知の世界。行く予定だってなかったのに。


「もう別に気にする相手もおらんし、いいよね」


何でも良かった。他のことに気が向けるのなら。手軽に近くの風俗にでも入っちゃおうと無駄に明るい小さな店に足を入れる。他の店よりも目立とうとする戦略だろうか、目がチカチカするほどの大量の照明に当てられて受付の人に声をかける。


希望のコースはありますか。


どのようなプランをお望みですか。


「なんでもいいんで…おすすめで」


別れを告げられた悲しさと悔しさで力強く握る拳からは骨のきしむ音が聞こえるようだった。確実に私の頭は冷静ではない。分かっている。何をしたってこの寂しさは埋められないことなんて。生ぬるい夜風が私の無防備な首筋をかっさらっていく。


通された部屋はこじんまりとした普通のラブホテルのような一室だった。いや、ラブホテルになど行ったこともないからただの偏見なのだけれど。そういえばどういう店なのだろう。風俗なのは頭で理解したが、もしSMだとかそんな特殊な店だったらどうしよう。そんな不安がピンクの壁紙を見つめながら今更ながらに襲いかかってくる。


「や、やっぱりキャンセルせんと…」


トントン


さっき入ってきたドアから優しくノックの音が響く。


「失礼しまーす」


そう言って女の子の声が聞こえたかと思うと一気にドアを開けて入ってきた。…ん?女の子の声?


「あ、お客さん私とは初めましてですね!おすすめで選択ってことはもしかしてこのお店もお初ですか?」

「えっ!?あ、いや、えと…そうです…」


息を吸うのも忘れて相手の女の子に目を奪われる。こういう仕事をしているのもあってか、随分と整った顔立ちをしている。素直に顔がタイプだ、なんて。


「そうですかー!いやいや緊張なさらないでくださいね?そうだ、緊張を解すためにもとりあえずお話からしてみます?いきなりプレイでもいいですけど…」

「そ、そそそうやね!お話…えっと、ここはどういったお店なのでしょうか…」


自分で入った店なのになぜ分からないのか、そんな変な目でこちらを見られてしまう。まあそうなりますよね…


「…は、はい?えっと…レズ風俗になりますけど。もしかしてお客さん間違って入ってきちゃいました?」

「あ、いやそういう訳じゃないんです!そうですよね、レズ風俗!いや、あはは…」


待て待て待て。レズ風俗。そんなものあったんか、なんて動揺が頭を占める。


「お客さんの名前はなんて言うんですか?」

「末原…叶です」


名前も知らない相手に自分の素性を明かすのは結構抵抗がいるのだなとその時初めて知った。


「叶さんですか!よろしくお願いします。今日はなんでここに来てくれたかとか教えてくれたりします?」


レズ風俗に来るような理由なんて普通は一つしかないだろう。我が身の欲求を満たすため、以外に風俗を使う人がいるのだろうか。まあ、私は私で寂しさを埋めるためだけに来たのだから人のこと言えないが。


「いまさっき恋人に振られちゃって…」

「あ…失恋ですか…それはまた。よし、今日は私で忘れちゃいましょ!ほら、ベッドに寝転んでください?私がリードしてもいいですか?」


第一印象はよく喋る子だなと思った。仕事だからだろうか。言われるままにベッドに寝転ぶ。こういう行為は元カノとした事位はある。しかしこの行為に意味なんてないと思っていた。別段気持ちいいなんて感じたこともないし、ただただ元カノが求めてくれたからそれに応じただけだ。その行為が特別なものだと分かってはいたからそれらしい声を上げ、それらしい反応を彼女に示してあげたら喜んだ。私にとってこれは気持ちいいなんてそんな欲求ではなくただ、求められているという安心感を得るためのそんな愛情表現にくらいしか考えていなかった。

実際ここに来たのだって寂しさを埋めるためだし。


「痛かったりしたら言ってくださいね」


順序よく手を胸に伸ばされる。白くて華奢な細い腕がちらりと覗く姿に何故だろう、どきりと胸が高まった。服を捲られあらわになった私の胸は特にいつもと変わらない。なんの反応もないし、何も面白みもない。私の人生みたいだ。


「やっぱり緊張してます?」


あまりにも反応がないためだろうか、心配そうにこちらを覗くその顔に罪悪感が押寄せる。緊張はしている。だけどそれが理由ではない。


「あ、いや…はい、まあそうですね」


距離が近い。こんなに見つめあっているのに彼女の中に私はいないのだろう。当たり前だ、仕事なのだから。そんな距離は今の私たちには必要ない。世界にお互いしか映らない距離感なんて。


いくら何も感じないからといってこの雰囲気に脳は痺れていくのは確かだった。甘く、ふわっとした普段の日常では感じられない雰囲気に心とは反対に身体は火照っていく。体温は上がり、しかしその一方で理解はしている。きっと結果は元カノと同じだ。


「嫌だったら…言ってくださいね」


自分から来といて嫌だという客なんているのだろうか。それともそんなにも私は嫌がっているように見えるのか。心と体の温度差に耐えきれないように、冷たい汗が背中を流れる。


下半身に伸びた細い指先をじっと見つめながらその先をボーッと考える。女性が一番弱い秘部にそっと指が這う感触が伝わってくる。それはただ、伝わってくるだけだった。異物が中へ入るのを防ぐようにカラッと乾ききった私のぽんこつな下半身はちょっと用心深すぎるのではないか。何も感じない。私に三大欲求である性欲はほんとに存在するのだろうか。気持ちいいだなんて、都市伝説じゃないのか。ほら、この子も困ってるやん。


ただの現実を頭で理解して、理解した分冷静が頬を伝わり身体の火照りを覚ましてしまった。


「もう、大丈夫…です」


かすれた声は彼女の耳に入っただろうか。しゅんとした顔の、名前も知らないこの子は今プライドがズタズタに割かれてしまったのではないか。罪悪感は拭いきる様子もないようだった。


「で、でも」

「すみません、やっぱり色々と引きずったままだと他のことには集中出来んみたいで」


嘘だ。目の前の彼女だけじゃない。あんなに大好きだったはずの元カノとさえも気持ちいいという感情は生まれてこなかったのだから。


「もう、帰ります」


そう言って鞄を抱き上げ帰宅を宣言する。気を紛らわすために来たのに何故だか存在しない考え事が増えたみたいだった。


彼女に背を向けドアに向かう。


「あの!すみません!」

「いやもう、ほんとに帰らんと…」

「いえ、違います。その…代金を…」


そのセリフに頭が真っ白になる。そうだ、お金。財布、どこにやったんやっけ…って家やん!何も考えずに家を飛び出した私は鞄を持っては来ていたが中に財布を入れていなかった。あまり働かない頭で考える。もしかして、警察呼ばれたりするんかなぁ…


「もしかしてお姉さんお金もって…なかったり?」

「その、なかったりです…」


なんとも頼りないお姉さんだ。ほんとに格好の悪い姿しかこの人には見せていない気がする。まあもう二度と会うこともないだろうが。


「…分かりました。ここは私がなんとかするんでそのまま帰っても大丈夫ですよ」

「え、でも!」

「今のお姉さん見てたらもういっかって。それに何もしてないから、私」


ここは素直に言葉に甘えるべきだろう。一旦家に帰って財布を取りに帰っても良いがもう一度顔を合わせるのにはお互いなんとも言えない気まずさがあった。


「本当にすみません、ありがとうございます!」


ああ、と額を手で抑えたくなる。逃げるようにしてその場を駆け足で去った私は気がついた時には家の前にへたりこんでいた。どうも私は動揺すると周りが見えなくなって、思考力も落ちるらしい。


「明日も学校やけんなぁ、今日はもう寝らんと」


生憎ご飯も喉を通りそうにない。二度と会いたくないと思った元カノはこうして今も尚、私の胸の中で苦しめるのだ。同じ大学の元カノとこれからどうやって顔を合わせないようにするか、その事だけが頭をグルグル占めている。


その日の番は普段は意識にすらしない重力の重さに苦しまされながらも深い眠りについた。それは地球の中心に引っ張られるからこその重みなのか、元カノへの感情の重みなのか。もう全てが夢であって欲しい。そう願いながらも時間は残酷な程に私に牙を向ける。



「…へ?」

「あっ」


次の日の午後から講義だった私は元カノと鉢合わせにならないようにと早めに家を出、図書館で時間を潰そうと考えていた。きっと元カノは今の授業で終わりだから今日は会うことがない。大丈夫だ、なんて余裕をぶっこいていたら思いがけない人に会ってしまった。


「えっと…昨日はすみません…でした…」


目の前でミステリー小説を片手に、眼鏡をかけた黒髪ロングの女の子は見た目こそ違うものの確かに昨日の風俗で出会った女の子だった。もう二度と会うことなどないと豪語していたのはさて、誰だろう。固まるように重くなり始めている思考の奥で、警告と悲鳴は鳴り止まない。今私が考えていることはただ一つ。


この場から逃げ出したい。

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