bloody God.

クソザコナメクジ

bloody God.

 私の血は、血族者と呼ばれる能力者にとって必要不可欠だった。

 生まれつき霊力の高い私の体液は、霊力の低い能力者の力を引き出すのに必要だったらしい。大きな戦艦の中で専用のプールや娯楽施設まで用意されて、私はそこで暮らしていた。月に一度の、大量の輸血と、性行為を引き換えに。

 血族者は優しかった。血族者も、施設の人間も、全てが私に優しく、大事に育ててくれた。伸びた髪を整える美容師も、私の体をメンテナンスする医者も、全てが優しく、血に塗れた戦場の世界など忘れてしまうぐらいに愛しかった。

 伸びた髪は式神を作るのに使える。血族者のほとんどは男女問わず、長く髪を伸ばしていた。戦場に向かう際、その時だけは、髪を結いて。己の用意した式神と私の力を使って、戦っていた。


「ごめんな、ごめんな、本当はこんなことしたくないんだ。ごめんな」


 血族者達は皆そう言った。否、そう言わなかった者もいたかもしれない。殆どの者は優しく私に触れたが、ごくたまに、趣味なのか、欲望のままに私を扱う者もいた。興味本位で式神を飛ばしてみたら、私を道具だ、オモチャだと言って笑っていた。次の輸血の時、その人は手違いで死んだ。それからはもう、私を乱暴に扱う者はいなくなった。


「辛いの? 悲しいの? 私が慰めてあげる」


 私はいつも、罪悪感に苛まれる血族者にそう言った。少しでも私の存在が癒しになれば良い、そう思った。霊力を纏った髪がふわふわと漂っている。くるくる、くるくると、螺旋を描くように踊っている。髪を操れるようになったのは生まれて5年くらいしてからだった。それからはずっと、この船の中で暮らしている。

 震える血族者に優しくキスをする。軍服を脱がし、胸を確かめる。今日の相手は男。だから声が低かったんだ。口調が荒かったんだ。自分と違う暖かな体温にそっと触れる。私の血で満たされた身体は、悲しいほどに暖かかった。

 別に、したくてしてるわけじゃない。私の存在価値がそこにあるからしているだけだ。相談出来る者なんて誰もいなかった。私は一人だった。すぐ傍にずっと付き従う幻だけが、私の全てを構築していた。


 ーー貴方が死んだら、迎えに来ます。


 ーー不義なる世界に鉄槌を。


 幻はいつもそう言っていた。私が一人の時も、性行為をしている時も、血を奪われている時も。ふわふわ、ふわふわと漂って、私を見守っていた。それは親に近いのかもしれないし、神に近いのかもしれない。どちらにせよ私にとっては、日常の中のノイズに過ぎなかった。


「気持ち良かった? 楽しかった?」

「ああ。いつもと同じだよ。ありがとう」

「どういたしまして。また来てね」

「……また来るよ」


 今日もそれは終わった。まだ相手は残っている。その人は私の頭をくしゃりと撫でて、暖かい体温で抱きしめた。私はそれに応える。笑って応える。またね。二度と来ない人間もいるこの世界では、その言葉はとても大切なものだった。けれどもう、この人は来ないだろう。そんな気がしていた。

 優しい人間ほど早く死ぬ。必要なことに罪悪感を抱いている人間なんて、例えば、戦場にいる子供兵には勝てない。情が先に来て瞬く間に殺される。それは少し悲しかったけれど、仕方の無いことだと思った。こういうのをなんて言うんだっけ。弱肉強食。そう、弱肉強食だ。


「よう、お嬢。またよろしくな」


 次にやってきたのは赤髪の男だった。名前は、なんだっけ。ええと。


「……リナリア」

「今度は覚えてたな。前は覚えられてなかったもんな」


 ぐしゃ、と頭を撫でられる。女の人みたいな名前だというのが最初の印象だった。赤い髪に、青い瞳。海のある街で育ったのだと、前に話してくれた。リナリアが私にキスをする。そのまま胸に手を置き、私を押し倒す。この男はいつもそうだった。線の細そうな顔をしている癖に、体は大柄で、力が強い。けれど私には優しく触れるものだから、そのギャップが印象的だった。

 他の血族者と違うのは、いつも彼から攻めてくること。彼なりの優しさなのだと気がついた時には、もうその名前を忘れられなくなっていた。これが恋慕だと気がついたのは、彼の鼓動をこの身体が覚えてからだ。好きな人に抱かれている。それが例え仕事でも。それはとても、嬉しい事だった。


「リナリアはやさしい」

「っ……そうか? 雑な方だと思うけどな」

「ううん。優しい。好き。」

「簡単に言うもんじゃないぞ、そんなセリフ。虐めたくなっちまう」

「……うん、」


 思わず笑顔が零れた。リナリアの動きに余裕がなくなる。幻が見ている。ーー不義なる世界に鉄槌を。 そんな事、思わなくたっていいのに。

 どうして性行為をするのかについては、輸血とほぼ同等の役目がある。体液を交わらせる事で、霊力を移す。嫌がる者も多かったが、最終的には合理的なその行為に同意していた。中には泣きながら私を抱く者もいた。その度に私は、大丈夫だよと言って笑いかけた。


「お前はさ、家族とか恋しくないの?」

「家族?」

「02。それがお前の名前だろ。そんなの、嫌じゃないのか。俺達みたいな名前が欲しいとは思わないのか」

「……わかんない、生まれた時からこうだったから。でもリナリア。貴方の名前は綺麗だと思う」

「違うよ。偽名なんだよ、これ」


 リナリアがタバコの煙を吐いた。後もつっかえてると言うのに、この男はいつものんびりしている。偽名。聞きなれないその響きに、顔を上げた。


「ホントの名前は、カンダタって言うんだ。」

「カンダタ?」

「……リナリアってのは花の名前。故郷に咲いてた花の名前だよ」


 男が私を抱き寄せた。私は長い髪をさらさらと揺らす。花。切り花でしか見た事がないけれど、それが通常、大地に根を張るものだということは、本の知識で知っていた。そうか、彼の故郷には大地があるのか。海のある街と言っていたから、勝手に海を想像していた。知らないというのは恐ろしいことだ。


「お前を一目見た瞬間から、この名前にしようって決めてたんだ。ロマンチストだろ」

「……? カンダタ、私、わからない」

「なんだお前。花言葉も知らないのか。施設の教育はどうなってるんだよ」

「ハナコトバ? ……必要のないことは教えられないから」


 しゅん、と踊っていた髪の毛が元の位置に戻る。カンダタが髪を撫でた。心地好い。そうしてタバコの寿命はどんどん失われていく。それを見ながら、私は何か不吉なものを感じた。顔を逸らして見るのを止めた。


「お嬢。また来るよ」

「うん。……また来てね。待ってるから」


 タバコを灰皿に押しやって、彼は軍服を羽織る。大きな身体をすっぽりと包む軍服。やがて部屋の中に、入れ替わりで次の相手がやってくる。


(リナリア……カンダタ)


(どういう意味なんだろう)


 後で、本で調べてみよう。花言葉の本といえば、施設の人間が取り寄せてくれるかもしれない。次のご褒美はそれにしよう。

 私は全ての血族者の相手が終わるまで、ずっとそのことについて考えていた。リナリアの花言葉。明かしてくれた名前。不吉な予感。ぐるぐると思考が回る。ぎこちなく、きしきしと軋みながら。錆びた車輪が動くように、それは回り続ける。


 ーー戦況が大きく変わったのは、本が届くよりも前。その二日後の事だった。


 がん、ともばん、ともつかないような喧しい音が、船内に響く。その度に電気がチカチカと揺れ、点滅を繰り返した。緊急だと言われて輸血の管に繋がれた私は、血液の喪失とともに薄くなる意識の中、式神を飛ばしていた。

 血まみれの船内。銃声。慌てる医者達。戦うリナリアーー否、カンダタ。その大きな胸が光に貫かれた時、私の意識は目の前の現実へと引き戻された。


「これ以上は危険です。休んでいてください。」

「カンダタ。カンダタは? ねえ、カンダタはどうなったの!?」

「02。休んでいて。今できることはもうないから」

「私はまだ戦えるわ、だからカンダタを、カンダタを助けて……!!」


 抜かれた管を再び血管に押し込み、私は懇願する。戦艦への衝撃はより強くなっていった。


「私は負傷兵の手当に行ってきます。いいですか、決してここを動かないで。休んでいて。」


 見知った医者の姿が遠ざかっていく。戦況が悪化したのだということは、何も知らない私にもよくわかっていた。動かない機械に涙が溢れてくる。これは、わたしにもよくわからないものだった。たまに出てくるけれど、どうして出てくるのかわからない。カンダタに聞けばわかったのだろうか。嗚呼、あの時に聞いていれば。後悔とともに部屋を出る。無数の血族者たちの死体が、そこには転がっていた。


 ーー探せ。02がどこかにいるはずだ。


 ーー元を絶て。そうすれば力が供給されることもない。


 ーーまるで女王蜂だな。


 船への衝撃がまた強くなる。白い電灯だけが、変わらず道を照らしていた。ふらふらと覚束無い足取りで、私は彼を探す。まだ戦える。まだ助けられる。そう信じて。

 彼を探すのに、そう時間はかからなかった。既に式神で場所を把握していたのだ、船内に潜入した敵にさえ見つからなければ、それで良かった。

 私の楽園が壊れていく。私の世界が壊れていく。たった一つの、世界だったのに。


 ーー彼らは貴方を利用していたのですよ。


 幻が言った。私は首を振る。視界が点滅する。致死量ギリギリまで血が抜かれていたらしい、今にも意識が飛びそうだった。


「……カンダタ!」


 見つけた愛しい姿に縋り付く。彼の懐から、ナイフを取り出す。それは彼の血で真っ赤に染っていたが、使う分には問題なかった。手首を切り、自分の血を口に含む。息のしていないかれの口に、それを流し込んだ。


「お願い、目を覚まして。貴方が全てなの。まだ花言葉も教えて貰ってないの。カンダタ、カンダタ……!」


 溢れかえった盃は、もう元には戻らない。私の願いも虚しく、彼は事切れ、ただただ、貫かれた胸から血を垂れ流していた。それを補うように、私は血を彼に与える。もう息もしていないのに。ーー死んでしまっているのに。


「……っ」


 私はそれを、知っていたのかもしれない。気づけば意識は途切れ、私の生命も止まっていた。そのことに気付いたのは、私が見知らぬ屋敷の前に立っていた時だ。

 戦争がどうなったのかはわからない。私が見つかって殺されたのか、それとも血液が足りなくて死んだのか。それでも唯一の救いは、カンダタのいない世界を知らずに済んだと言う事だ。


「やあ。待っていましたよ」

「……誰?」

「貴方に付き従っていた者です」


 気がつけば私の前には、緑色の髪の青年が立っていた。その声は、私に付き纏っていた幻によく似ていた。

 花が咲いている。毛虫が群がっている。私はその毛虫を、気持ち悪いと感じた。青年に訴える。


「私、毛虫が嫌いなの。うごけないわ。」


 毛虫なんて、本当は知らないくせに。本の中の知識でしか見たことがないくせに。私はそれを目の前にして、青年に助けを求める。


「大丈夫。それは貴方には触れられませんから。」

「貴方は誰? 私は何処へ行くの。」

「……全ては屋敷の主が。次の世界に行くのです」

「……つぎのせかい?」

「あの世界は酷かった。貴方を利用していた。だから滅んでもらいました、ずっと見てきましたから」


 滅んだ。あの世界が。

 それは冷たく私の胸に残った。幸せだったのに。楽園だったのに。理想郷だったのに。ぐるぐると思考が回る。ぎこちなく、おぼつかず、まるで錆びた車輪のように。


「本当にそうですか?」


 青年が私の思考を見透かしたみたいに聞いてきた。びく、と身体が震える。本当に、本当に? カンダタがいなかったら、あの世界はーー?


「あの世界は、貴方が死んだ時点で滅びました」

「わたし、が?」

「貴方の力は大きすぎる。けれど、やむを得なかった。貴方の罰には仕方の無いことだった。貴方が死ねば、貴方の力は暴走する。破壊は決まっていた」

「何……? 何を、言っているの?」

「次はもっといい世界を。その次はもっと優しい世界を。最後には静かな世界を。貴方に付き従う者として、貴方を導きます」


 青年が深々と頭を下げた。そして私に手を伸ばしてくる。

 私は震える手でその手をとった。あの世界に戻りたいとも思った。けれど青年の姿がどこか懐かしくて、恋しくて、悲しくて。カンダタの安寧を祈りながら、私はその手をとった。


「この世界はこれにて閉幕。……貴方に安らかな罰を。ーー✱✱✱✱✱✱。」


 どう呼ばれたのか、どんな名前だったのか。それは光とともに消える。花も、毛虫も、全てが光となって霧散する。

 私の意識ははっきりと、そこで、途切れた。私が私として目覚めることは、もうなかった。ただ滅んだ世界の残骸だけが、魂の記憶の中に刻みつけられていた。

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