第百五十七話〈最終心理〉

「ごめッ、ごめんなっさいッ」

「わ、私、私のせい、でッ!」


永犬丸士織は八峡義弥の胸で泣き出した。

八峡義弥は彼女の髪を優しく何故ながら。


「わかってる」

「俺が死んだのはお前のせいじゃねぇ」

「誰のせいでも、無いんだ」

「逆に言えばよ」

「俺ァ死んで良かったと思ってんだ」


八峡義弥は相変わらずの憎たらしい笑みを浮かべていた。


「俺が死ぬ寸前」

「未練があった」

「士織を残して死ぬ」

「それだけの未練」

「その未練は俺の生気を転じて」

「お前を守る為の呪いに変わったんだ」

「もしも、呪いになって無かったら……」

「お前は死んでたんだ」

「だから」

「俺が死んで良かったと言えるよ」


「そ、それでも」

「私は、よしさんを……」


「良いんだよ」

「俺が許すから」

「もう、気負う必要は無いんだ」


永犬丸士織を強く抱き締めて、彼女を激しい感情を鎮める。

永犬丸士織は、八峡義弥の腕の中で涙を流しながら聞いた。


「………よしさん」

「これからは、ずっと、一緒ですか?」

「呪いとして……私に、ずっと憑いてくれますか?」


そのお願いに、八峡義弥は首を振る。


「一緒に居たいさ」

「けど……無理だ」

「俺はこれが最後」

「お前と会うのは、これで終わりなんだ」


その言葉に、永犬丸士織は否定する。

このまま永遠に一緒に居たい、その気持ちが溢れて溜まらない。


「嫌ですっ」

「よしさん、消えないで下さい」

「ずっと、ずっと、私の傍に居てください……」


彼女の願いに、八峡義弥は断固として首を振る。


「出来ねぇよ」

「もう、俺は」

「大切な後輩を」

「大事な女を」

「……お前を」

「呪いたくねぇんだ」


だから、これっきりだと八峡義弥は言う。

誰かを呪うと言う行為がこれ程辛いものであるなど、八峡義弥は知らなかった。

愛する者を呪い続けるなど、耐え難い拷問でしかない。

となれば、呪い、もとい八峡義弥は。

彼女の傍から離れる、そして、その存在を消滅しなければならない。

ある種、八峡義弥は二度目の死を受け入れなければならないのだ。


「こんなの、あんまりですよ」

「せっかく、会えたのに」

「ずっと、傍に居てくれると思ったのに……」


泣きじゃくる永犬丸士織。

八峡義弥が居てくれると思ったのに。

再び居なくなってしまうだなんて、彼女は再び辛い思いをしなければならない。

そんな彼女を見て、八峡義弥は眼を細めた。


「………士織」

「心配すんなよ」

「俺が消えても」

「俺が残したモノは消えない」


そう言って、八峡義弥は永犬丸士織の傍に近づき。

その胸元に、指をつん、と添える様に置くと。


「禍憑との付き合い方」

「数え切れない程の思い出」

「消える事の無い蜜月」

「それらはお前が覚えている限り」

「心に刻み続ける限り」

「絶対に消えない宝物だ」

「俺も」

「お前が、俺に沢山の贈り物をしてくれたから」

「俺をそれを受け取って」

「今の俺があるんだ」

「お前と過ごした時間」

「笑った瞬間や」

「愛した時」

「中華料理店や」

「喫茶店」

「夏祭りにも行った」

「ろくでもない俺の人生は」

「お前が居てくれたから華やかになったんだ」

「それは、幸せなんだ」

「死んでも忘れる事の出来ない幸せを」

「俺はお前から与えられたんだ」

「死んだ今でも」

「俺はお前の為に死ねたんだと」

「そう思うだけで後悔は無い」

「死の恐怖も、無に変わる刹那も」

「過ごした時間」

「与えられたモノがあるから」

「この先、どうなろうと」

「それを噛み締めて過ごしていけるから」


八峡義弥は幸せに包まれている。

人生が最悪だと思っていた八峡義弥は。

彼女のお陰で、幸せになれたから。


「だから士織」

「これはお願いだ」

「どうか」

「俺がお前に与えたモノを」

「これから先も」

「守り続けてくれ」


それが、最後の八峡義弥の願いだった。

その純粋な願いは、簡単に呑めるものじゃない。

それでも、永犬丸士織の中に、一つ、暖かいものを感じた。

八峡義弥が守って欲しいと言う言葉の意味を、永犬丸士織は何となく感じる。


「……そっか、そう、なんですね」


自らの腹部を優しくさすりながら、永犬丸士織は涙を浮かべて笑みを浮かべた。


「………流石です先輩」

「私に生きろと命じるのは、守って欲しいと願うのは、つまりは私の命はもう一つじゃない、そういう事なんですね?だから先輩は守ってくれたんですね?ずっとずっと、私と………守る為に」


ようやく、永犬丸士織は合点が行った。

永犬丸士織が自殺をする度に頭痛が訪れたのは、

川作嗣宗の攻撃が所々弾かれる様な感覚があったのは、

全ては、八峡義弥が守っていてくれたからだ。


「俺がした事は」

「すべてお前に任せちまう事だ」

「……けど」

「もしもそれが」

「お前の生きる希望になってくれるのなら……」


八峡義弥は、それを託しても良いかと聞く。

永犬丸士織は涙を拭った。


「……こんなの」

「もう、死にたいなんて」

「憑いて欲しい、なんて」

「言えないじゃないですか……」


そうして、永犬丸士織は頷いた。

八峡義弥のお願いを聞く為に。


「……よしさん」

「名残惜しいです」

「それでも」

「進まなきゃ、ダメなんですよね?」

「どんな苦しみも」

「どんな痛みも」

「それを背負い続けて生きていく……」

「前へと、進んでいく」

「それは、与えられたものも同じ」

「それを背負って未来へ進めと」

「そういう事、なんですね?」


永犬丸士織の言葉を八峡義弥は頷く。

きちんと、永犬丸士織は八峡義弥の願いを聞いていた。

そして、それを守ろうとしている。


「よしさん」

「私、生きます」

「よしさんの言われた通りに……」

「守ってみせます」

「だから安心して下さい」

「頑張りますから」


「あぁ」

「お前の人生、その先に」

「俺は居ない」

「だが」

「イヌ丸が居る」

「今は居ないが」

「帰って来るからよ」

「現世で待っててやれ」


晴れ渡る空が見えた。

雨だった道路には雲が消えていく。

そして、自然と光が永犬丸士織を包み込んだ。


「……これで、最後ですね」

「………うん」


納得して、永犬丸士織は、八峡義弥の眼を見た。

ちゃんと、面と向かって、その言葉を口にする為に。


「さよならです、よしさん」


「あぁ」

「さよならだ」


そうして、八峡義弥は軽く手を振った。

永犬丸士織は、その姿を一度目に焼き付けて光の方へと歩き出す。


「士織」


そして、八峡義弥は最後に。

光へと進もうとする彼女を呼び止めて本心を伝えた。


「愛してる」


その言葉は、八峡義弥には似合わない言葉だった。

それでも、その言葉を彼女に伝えるのは。

もう迂回する様な言葉を放つ時間も無かったから。

彼女に対する本心を言葉に変えて、真摯に言った。


「――――最低です」

「最後の最後に、そんな言葉を吐くだなんて」


そんな八峡義弥の言葉を、彼女は振り返ると同時に言った。

彼の言葉は反則だった、彼女は八峡に未練すら覚えてしまう。

それでも永犬丸士織は涙を拭いて笑みを浮かべた。

死に逝く者に、せめて笑みで向かってほしいと言う彼女の願いを込めて。


(本当に、最後なんですね)

(だから、言ったんですよね、……よしさん)

「………私も」

「愛してます」

「ずっと、ずっと」

「忘れませんから」


そう永犬丸士織は言い放つ。

八峡義弥との思い出、悲しみを背負い、歩き出した。

光の粒子となって消えていく八峡義弥は。

彼女の背中を見ながら安堵の声を漏らした。


「―――あぁ」

「俺もさ」


そうして二人は別れた。

八峡義弥は二度目の死を受け入れて。

永犬丸士織は、二度目の生を受け入れた。

光から先は、真っ白な病室だった。

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