禍憑姫/異訃奇譚

第一話 起床



「っかいさーんっ!」

「起きてくださーい!!」


「……んあ?」


 幼い声が聞こえて来た事で、八峡義弥は微睡の中から微妙な覚醒を果たした。

 目を開き、瞼の裏側辺りに残る眠気を感じながらも、八峡義弥は体を起こして叩かれる扉の方を見つめる。


「あー……」


 壊れかけたラジオを叩く様に自分の頭を叩き、八峡義弥はゆっくりと立ち上がりながら部屋の外へ向けて歩き出す。


 脱ぎ散らかした衣服の上を歩き、扉の前に立つと八峡義弥はドアノブを開いた。


「あっ!」

「八峡さんっ!」

「おはようございますっ!」


 元気よくそんな声が響く。

 背の低い女性、と言うよりも単純に幼い少女が洗濯物を持って立っていた。

 着物姿に割烹着、黒い髪の毛を二つ結びにして太腿まで垂れている。

 八峡義弥はシャツの裏側に向けて手を突っ込む、そして横腹に感じる痒さを解消するべくがりがりと爪で腹部を引っ掻いた。


「あぁ……」

「ぉ、ざま……ふぁ」


 挨拶をしようと口を開けてみれば、出てくるのは欠伸だった。

 そんな八峡義弥のだらしなさを確認しながらも、彼女、祝子川夜々はぴょんぴょんと八峡義弥の部屋の中を見る。


「洗濯物はありますかっ!?」

「あ、ありますねっ!」

「あそこに落ちてるの取りますねっ!」


 祝子川夜々は身を縮めると、八峡義弥の股を通って部屋の中に入っていく。

 八峡義弥は彼女が部屋の床に落ちている洗濯物を拾っている姿を呆然と見つめていると、祝子川はあっと言う間に洗濯物を回収し終えた。


「あっ」

「八峡さんっ!」


「んあ?」


 だらしなく声を上げる八峡義弥。

 祝子川夜々は洗濯物を抱えながら八峡義弥に質問した。


「朝ごはんですけどっ」

「今日はどうしましょうか!?」


 そう聞かれた八峡義弥は暫く考える素振りをする。

 久々に彼女の作る味噌汁が恋しい、なんて思った八峡義弥は。


「おなしゃっす」


 また、だらしない言葉で彼女にお願いをする。

 そんな八峡義弥に対して祝子川夜々は満面の笑みを浮かべて。


「了解しましたっ!」

「それでは下で待ってますっ!」

「そそさーっ!」


 口から効果音を出しながら廊下を早歩きで走り出す。

 八峡義弥は彼女の後ろ姿を眺めながら再び欠伸をした。

 まったくもって大変な事だ。あれを毎日、他の寮生にも行っているらしい。


 祝子川夜々はこの〈あさがお寮〉の寮母である。

 見た目は幼く、その精神年齢もやや幼い。

 しかし彼女は誰よりも長く生きている。

 凡そ五百年は軽く生きている不老不死だった。


「顔……」

「洗うか……」


 しかし、八峡義弥にとってはどうでもいい事だった。

 何百年生きていようが、人の良い幼女な寮母である事に変わりなかった。


 寮生に用意される部屋にはトイレと風呂と洗面台がセットとなったユニットバスが付属されている。


 八峡義弥は風呂場へと向かい、洗面台に置かれたコップから歯ブラシを掴む。


 チューブから歯磨き粉を出して毛先に白いペーストを乗せる。


 奥歯へと突っ込んで両手を左右に動かしながら、口の中に広がるミントと刺激に耐えつつ歯を磨き出した。


 八十枉津学園へ入学して一年が経過した。


 既に八峡義弥は二年生であり、祓ヰ師としての活動も板についてきた様子だった。


 しゃこしゃこと歯を磨きながら八峡義弥は自分の顔を鏡越しに見つめる。


 自他共に認める整った容姿だが、安物の染髪剤によって髪を金に染めている為か良い印象は得られない。


 見た感じの第一印象を言わせてもらうのならば、ファッションチンピラ・顔の良いヒモ・ホスト崩れのろくでなし。などの言葉が八峡義弥に似合うだろう。


 少なくとも学園内の同期では一、二位を争う程の容姿端麗さだった。


 水道からの流水を口の中に含んで吐き出す。ついでに顔を洗うと、八峡義弥は濡れたまま部屋から出て、床に水滴を零しながらタンスを開け、タオルを取り出してそれで顔を拭いた。


「うっし」

「飯食いに行くか」


 若干の眠気が残るものの、八峡義弥はそう呟いて部屋から出て行く。


 ラフな格好をした八峡義弥は、三階から一階へと降りていき、玄関を通る廊下を横に曲がる。


 其処は食堂だった、しかし、広々とした大衆食堂ではない。


 こじんまりとした部屋には金属製のテーブルとイスがあり、その上には様々な料理が置かれている。


 すぐ横を見ると台所があり、其処で先程の祝子川夜々が懸命に小さな体を動かしながら料理を作っていた。


 其処はまるで、自宅の食卓の様な懐かしい感覚があった。


(いやねぇよ)

(俺ァ親に料理なんざ)

(作って貰った事ねぇし)


 しかし、そう感じてしまうのは、最早この食卓、及びこの寮生活が彼にとっての故郷の様に感じるからだろう。


 八峡義弥が何も言わずにテーブルに座る。椅子を引いた際にぎぃ、と床を擦る音がして、その音で祝子川夜々が振り向いた。


 其処に八峡義弥が居る事を知ると、嬉しそうな笑みを浮かべだす。


「八峡さんっ!」

「おはようございますっ!」


 改めて祝子川夜々がそう挨拶をした。

 彼女が洗濯物を取りに来た際に挨拶は終えている。


「おはようっす」

「夜々さん」


 それでも八峡義弥は再び挨拶をし返す。

 明朝は寝起きが悪く真面に挨拶が出来なかった。

 だから八峡義弥は、ここで再び、彼女の為に再び挨拶をしたのだった。

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