人魚の家
すでおに
第1話
僕が人魚と出会ったのは中学生の頃でした。海のある街に住んでいたので、日曜日にはよく一人で釣りに行きました。
その日は朝からよく晴れていて、浜辺を歩いていると人が倒れていたんです。近寄ってみたら熱中症にかかったおじさんでした。僕は119番をして救急車を呼んであげました。電話が終わるとすぐにその場を離れてしまったので確認はできませんでしたが、おそらく助かったでしょう。ほっぺたに砂をつけたおじさんの横顔が今も忘れられません。
人助けをして、日課の一日一善を早々にクリアできたと満足しながら歩いていると、足元にビーチボールが転がってきました。拾って投げ返してあげたところお礼を言われました。午前中に明日の分の日課まで片づけることが出来ました。
いい一日になる予感がして、気分よく歩いていた僕の目に入ったのが人魚でした。人魚は打ち揚げられたクジラのように、海岸に横たわっていました。下半身がうろこで覆われていたのですぐに人魚だと分かりました。「大丈夫ですか」と声をかけると、デーブ・スペクターよりアグネス・チャン寄りの訛りがあるものの流暢な日本語で「お水をください」と言いました。とっさに海岸線に目をやったのですが「海水じゃなくて」と僕が手にしていた500mlのコーラのペットボトルに視線を注いでいました。すでに口を付けていたのですが、「大丈夫です」と人魚はもらう気満々で言ったので仕方なく差し出すと、人魚は間接キスを気にもせず一気に飲み干しました。飲み残しを返されても困るので、それはそれで助かりましたが、人魚は元気を取り戻し、空いたペットボトルを当たり前のように僕に返し、「もう行かなくて」とセリフっぽく言って海に帰っていきました。海中でゲップをしたのでしょう。僕は自販機で新しいコーラを買って釣りに興じました。150円の出費でした。
次の日は振替休日だったのでまた海へ行くと、人魚が昨日とおなじところに座っていました。「昨日のお礼がしたくて待っていました」と酸素ボンベと海水パンツを差し出しました。海の中に連れて行かれるようです。「今日はちょっと釣りをしたいので」とやんわりと断ったのですが「是非」というので、仕方なく応じることにしました。酸素ボンベも海パンも使用した形跡があったのですが、我慢するしかありませんでした。草陰に行って海パンに履き替えていると視線を感じ、振り返ると人魚と一瞬目が合いましたが、人魚はすぐに逸らしました。
僕はスポーツバッグを持っていたのに、人魚はジップロックを手渡して、財布と携帯電話をそこに入れ、あとはこの場に置いて行くように言いました。自分本位な性格のようです。この人魚だけか人魚はそういう生き物なのかは分かりません。
酸素ボンベを装着すると、人魚に手を引かれて一緒に海に入りました。沖縄みたいな澄んだ海ではないのでドラマチックのかけらもなく、沖の方へ潜っていくと、海底に家が見えてきました。普通に人間が住むようなどこにでもある民家のような造りでした。表札は英語表記でしたが、ちょうど習いたてだったので「ヒューマンフィッシュ」と書かれているのが分かりました。「マーメイド」ではない理由はのちに分かりました。
玄関に入るとおばさんの人魚が迎えてくれました。人魚の母親の様です。人魚の母は家の中に招き入れてくれました。アメリカのように靴を脱ぐ必要はありません。そもそも履いていません。リビングでは人魚の父親が椅子に座ってワカメを読んでいました。僕に気づくとワカメを畳んでテーブルに置き、座ったまま会釈しました。中年のプライドが感じられました。男もいるからマーメイドではなくヒューマンフィッシュなのだと分かりました。ヒューマンフィッシュはマーメイドを含む概念の様です。
酸素ボンベをつけたままなので、会話をすることも食べ物を口にすることもできない僕は、人魚の一家とトランプをしました。ババ抜きや七並べですが、人魚の一家はわざと負けているようでした。それが人魚流のもてなしのようです。一度人魚の娘が勝ってしまった時には人魚の母親が咳ばらいをしました。娘もそれに気づいて気まずそうな顔をしていました。人魚も過ちを犯すのです。
ボンベの残りが少なくなってきたので、上の方を指さして帰る意思表示をすると、人魚の母親がお土産に四角い箱をくれました。それを脇に抱え、人魚の娘に連れられて浜辺まで帰りました。「ありがとう。それじゃあ」と言ったのに人魚の娘が中々帰ろうとしません。どうやら海パンを返して欲しいようです。やはり使い回しのものでした。草陰で脱いで渡すと、指先でつまみ、財布と携帯電話が入っていたジップロックに入れ、ようやく帰っていきました。
姿が見えなくなった後、貰った箱を開けて見ると、中身はハムの詰め合わせでした。お中元の使い回しです。
人魚の家 すでおに @sudeoni
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