トロイの回転木馬

阿井上夫

第一話 お・み・や・げ・♡

 令和二年六月中旬、とある都内のメイド喫茶での出来事である。


 感染症の蔓延まんえんに伴う緊急事態宣言により、しばらく閉店を余儀なくされていた同店は、宣言解除を受けて久しぶりに開店し、その際にメニューを一新することにした。

 そして、こちらも久しぶりに来店した常連の男性客の一人が、メニューに見慣れない文字があることに気づく。


「お・み・や・げ・♡」


 これは、単なる店舗再開記念の特別サービスメニューであったが、

「うっ」

 くだんの男性客はあらぬ妄想をき立てられつつ、ちょうど近くを通りかかった店員に、

「これ、お願いします!」

 と、震える指で示しつつ、鼻息を荒げながら注文した。

 ところが、忙しい開店準備のさなかに急な出勤依頼を受けて、シフト開始間際に飛び込むようにして出勤したその店員は、メニューの変更に関して店長から詳しい説明を受けていなかった。


 彼女は小首をかしげ、形の良いあごに右手をあてて、しばし考え込む。


 そして、テーブルの上に置かれていたカラトリー類からやおらナイフを取り出すと、男性客のだらしのない腹部に躊躇ちゅうちょなく刺した。

「……くっ、な、なにすんだよ……」

 意識の薄れゆく中、男性客がそううめくと、その店員はにやりと笑いながら耳元に唇を寄せて、こう言った。

「何をって――これから良いことをお教えしようとしているのではありませんか? だって、これが本当の――」


 冥途めいど土産みやげにございます。


( 終わり )

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