第13話 ジネブラの得意料理

 イーサンさんの推定汚部屋はまったくもって綺麗なお部屋だった。どちらかというと、飲み屋の上階にあるとは思えないくらいに、お洒落で居心地の良さそうな空間だった。さすが、十日近く待ってあげただけはあると思う。

 イーサンさんがガタガタと大掃除をしていた期間、わたしは事務仕事の合間にちょこちょこと事務室やら、休憩エリアやらの掃除をしていたので、事務室の棚の埃は根絶されている。


「ただいま」

「ただいまです」


 その日は夕方から、弱い雨がパラついていた。そんな中をわたしとジネブラは雨用のマントを羽織り、いつも通りにエルレウムさんの付き添いで帰宅した。

 こちらの世界にも傘はあるらしいけれど、利用者を見たことはない。きっとそういう国民性なのだろう。でなければものすごい高級品なのかもしれない。


 ところが帰った家の中は真っ暗だった。エマさんはどうしたのだろう、とわたしたちは顔を見合わせる。


「あら………帰ったのね、おかえりなさい」


 エマさんの部屋に明かりがついた。寝ていたのだろうか、向こうから聞こえてくるエマさんの声にはちょっと、元気がないような気がする。


「母さん見に行ってくる」


 すぐにジネブラは荷物を椅子に置いて家の奥に向かっていく。


 ジネブラのお母さんのエマさんは、ちょっとだけ体が弱い。

 特に何か病名らしい名前のあるようなものではないらしい、たまに、どうしてもだるいとかめまいがするだとかで、そういう日は寝室から一歩も出られないで一日を過ごしている。


 最近は前と比べて寝込む日が少なくなってきたらしいけれど、今日がそういう日だったのだろう。


 明かりをつければ、リビングにはエマさんが生業としている、やりかけの刺繍道具がそのままになっていて、台所に料理の痕跡はない。もしかしたら昼食も取っていない可能性がある。今朝、わたしが水差しの水を交換したので、脱水まではないと思いたい。


 今日はエマさんに何か作りたい料理があるとか言われていたので、『大鷲亭』からわたしたちが持ち帰った料理は副菜のようなものばかりだった。たぶん、昨日お裾分けで何か貰っていたから、それを主菜にするつもりだったのだと思う。


 わたしたちが買ってきた料理では主菜にも主食にもならない。ざっと食品棚を探したけれど、昨日いただいたお裾分けがどこにしまってあるのかはわからなかった。


 大通りの飲食店だとか、いつもの串焼き肉屋で主菜を購入することはできる。けれど、いくらこの近所の治安がいいからといって、日本の感覚で今から一人で外に買い物に行くのは、なんとなく怖いような気がした。

 いっそ、主菜になるものはなくてもいい。短時間で何か食べられるものを………とわたしは手を洗い、エプロンを身につけた。


 そういえば、異世界だからといって、この世界の料理が日本よりも劣っているとか、そんなことをわたしは思ったことがない。

 確かに、日本にいた頃のように、ありとあらゆる世界の民族料理が口にできるわけではないけれど、当然のようにソースのような食材は複数あり、香辛料だってちょっと奮発すれば買うことができる。


 露店では蒸し料理が買えるし、食事処には揚げ物がある。味噌や醤油、米に似た食材も当然あれば、カレーのようなスパイシーな料理に、ミートパイや生クリームたっぷりのふわふわケーキに相当するものだってある。ただ、さすがに異世界だけあって色や味、見た目が違う不思議食材があったりする。しかしそれらだって、慣れてしまばなんてことない。


 ………そんなことを考えながら、籠から五つ、木の実を取る。わたしは中華包丁というか、ナタに似た刃物でそれを叩き割った。


 ソフトボール大の木の実の中にはお米に似た、白い粒々としたものがたくさん詰まっていて、わたしはそれを鍋にあける。皮のほうは薪の代わりに使えるので、捨てたりはせずに専用の置き場に置いておく。これは主に、寒いときの暖房用に使われる。


 水をひたひたよりも少し多めに入れて、調味料をいくつか加えて弱火にかける。コンロはガス火のようなもので、電池もない世界でどうやって着火しているのか、ガスに相当するものがなんなのか、わたしは仕組みを理解できていない。なにやら魔法だとかが関わっているらしいことだけは把握している。


 今作っているのはこちらの中華粥に似た料理『ダー』だ。

 『ダー』は食べる直前にナッツのようなカリカリしたものをかけて食べるのが主流で、作りたての今は粒々があるけれど、出来上がりは茶色っぽい、どろどろというか、ゆるめのお餅みたいな食べ物になる。


 次に、小麦粉に似た黄色っぽい粉に、油と、小麦粉に似た粉、塩に相当する調味料と水を入れて、捏ねる。捏ねたら薄く伸ばして、フライパンのような調理器具で焼くと、カリカリのクラッカーのような食べ物『カプーウァ』になる。


 カプーウァにはダーをつけたり、味付けしたお肉を乗せたり、あればレバーペーストのようなものを乗せてもいいし、チーズを合わせてもいい。


「野菜を少しと、さっきあった塩漬け肉を薄く切って焼いておけばいいかな………エマさん、食欲あるといいんだけど」


 鍋の中ではまだ粒のあるダーがふつふつとなってきた。弱火にする頃合いだ。香りは………なんというか、じゃがいもを思い出す。


「母さん、やっぱりめまいが酷いみたい」


 そこにジネブラがやってきて、テーブルの上を片付け始める。わたしはそのジネブラに問いかける。


「お医者さん呼ばなくても大丈夫?」

「いつものだから寝てれば大丈夫って言ってた。でも一応、明日はわたし、仕事休むから」

「そっか。イーサンさんには伝えておく」

「うん」


 エマさんの不調は、きっと気象病のようなものなのだと思う。エマさんが寝込んだ時はたいてい、天気が崩れている。心配だけれど、医者にはきちんとかかっているし、出された薬湯だってきちんと飲んでもらっているし、わたしもこちらに来た最初の頃に、『エマさんが元気になる特別な薬』をあの《袋》から出して渡してもいる。これ以上、わたしに出来ることは思い付けなかった。


「手伝うね」


 言いながら、ジネブラはカプーウァの生地を切って、伸ばし始めた。こねる仕草はとても慣れていて、手のひら大の、きれいな丸い生地が次々と出来上がっていく。

 ジネブラはこれだけは得意なのだ。この辺りではカプーウァを綺麗に丸く焼ける女性が良いお嫁さんになるとまで言われているので、ジネブラはあと一歩で良いお嫁さんになれる条件を満たすことができるのかもしれない。


 わたしは生地を真ん丸にするのがどうにも苦手で、なぜかわたしが焼くカプーウァは毎回四角くなってしまう。いっそのこと細く切って、茹でてやろうかと思わなくもない。カプーウァ麺、きっと美味しくはない。


「ね、この生地に」


 綺麗な丸い生地を量産していたジネブラが、調味料の置いてある棚をチラチラと見ていた。これは、とても危険な兆候だ。


「何も追加しないでね」


 あわてて釘を差したわたしを、ジネブラは上目遣いで睨んできた。ジネブラはとてもクール系のきつめな感じの美少女、という風貌なので、膨らませた頬といい、その仕草はものすごくギャップがあって可愛らしく見える。ジネブラに固定客が多いのは、そのせいだろうなと思う。


「もう。びっくりするくらい、おいしくなるかもしれないじゃない」

「お料理下手な人はね、みんなそう言うんだよ、応用は基本ができてからにしようね」


 それからジネブラが焼いたカプーウァの四分の一は生焼けで、四分の一が炭化していた。以前は半分生焼け、半分炭を量産していたので、とても焼くのが上手くなったと思う。良いお嫁さんの条件を満たすまで、ジネブラはあと一歩だ(ただし、他に料理をしなければの話)。


 エマさんには綺麗に焼けたジネブラのカプーウァと柔らかく戻した塩漬け肉、ダーと飲み物をわたしが渡した。完成した料理にジネブラが手を加えたら大惨事が起きてしまう。明日は少し早起きして、二人の昼ごはんを用意しておかなければ。


 エマさんも食欲はあったので、明日、晴れてさえくれれば元気になるだろう。





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