第11話 休日

 だれにだって通常の場合、休日というものは適度に与えられる。


「どうしようかな」


 今までわたしが休日にあたる日は、ジネブラが必ず一緒に休んでくれていた。休日が合っていた今までは二人で買い物に行ったり、遊びに行ったりとあれこれするんだけど、今日、残念ながらジネブラはいない。しかも清掃当番に当たったので、早めの時間に出勤してしまっている。

 エマさんは今日も階下の大家さん宅に出かけていて、家に残っているのはわたししかいない。


 天気が良かったので、普段できない場所の掃除を頑張ってみた。そろそろ昼も近いけれど、午後は何をしよう。晩御飯を作るのには早すぎるし、きっとジネヴラが何かを持ち帰ってくるので、夕食を作っておく必要自体がそもそもない。作るのだとしても、いつも通りスープくらいがあればいい。


 リビングとして使っている部屋には大きな窓があって、窓の外、青い青い空では雲がゆっくりと流れていた。日本であれば洗濯ものをお日様の下に干したくなっていただろう。けれど、こちらの一般家庭では、洗濯物を外干ししない。部屋干し一択。でなければ洗濯屋に依頼する。


 目線を下げれば一本向こうの通りがそちらに抜ける道から見える。大通りに近いせいもあるし、あの辺りには飲食店が多いせいもあって人通りはそれなりに多いと感じた。

 街の中に背の高い街路樹のようなものは少ない。花壇は比較的あちこちにあるけれど、だからだろうか。小鳥の姿をここではあまり多くは見かけない。


「暇だな………」


 散歩も兼ねて昼食はどこか外で食べることにしよう。わたしは肩掛けのできる小さなカバンを手に、家を出ることにした。もちろん、階下の雑貨屋を覗き、エマさんにはその事を告げてからである。


 一口に雑貨屋といっても系統はいろいろあるだろう。階下の『雑貨屋』は日本のショッピングモールなんかでよく見かけた、美容系グッズを中心に、アクセサリーや小物を揃えたような女子受けのする店ではない。ザルとかカゴとか、糸に針、洗剤にヒモ。切り傷薬に痛み止め。まさに生活雑貨が並ぶ『雑貨屋』だ。たぶん、ここの店主の収入は家賃収入がほとんどで、この品揃えは趣味なのだろうなとわたしは思っている。繁盛しているところを見たことがない。


 あまり店舗部分は広く感じない。ドアを開くとチリン………リンリィン………と綺麗な音が鳴って、奥の部屋から大家さんでもある店主のおじさんが顔を覗かせた。


「ああ、ソフィーちゃん。どうかしたのかな」


 その言葉で、エマさんも顔を出してくる。なんかもう、既に夫婦の空気があった。


「ちょっと、散歩がてら出かけて来ようかなと思って」

「そうなの? お昼はこれから用意しようと思ってたけど、どうする?」


 エマさんはおっとりと首を傾げた。それをニコニコと店主のおじさんが眺めている。仲良しなのがもう、それだけで伝わってくる。


「うーん、適当に外で何か食べてきます」

「わかったわ。気をつけてね」

「裏路地には入らないようにするんだよ」

「はぁい」


 近所だけじゃなく、普段は行かないようなちょっと離れたところにも行ってみるのもいいだろう、と雑貨屋を出たわたしは適当に歩き始める。


 この街はやたら広い。行ったことのない場所がまだまだたくさんある。細い裏路地のようなところに女一人で向かうのは危険らしいけれど、大通りを歩くだけなら、ところどころに警備の人もいることだし、わたし一人で問題ない。


 風が爽やかだ。

 ここに来てから季節は進んで、最近は暖かくなってきている。もしかしたら今までが冬で、これから春にあたる季節なのだろうか。こちらに花見の風習はあるのだろうか。

 お弁当をわたしが作ってもいいし、イーサンさんに依頼してみても構わないだろうか。エルレウムさんはきっと無理やりにでも着いてくる。いっそのこと『大鷲亭』のみんなと一緒でも楽しそうだ。桜や梅、藤のような花があればの話だけれど、無ければ無いでピクニックにすればいい話だ。


 普段足を向けない辺りの風景はとても新鮮に感じる。異国情緒というか、ファンタジー情緒がある。日本とは風景が違うせいもあるけれど、街行く人々の服装も大きいと思う。さすがにゲームなんかで見るような、金ぴか鎧みたいな人は見かけないけれど、所々に防具を着けた人、剣や槍のような武器を持った人はいる。わたしの感覚だと物騒なことこの上ないのだけれど、そんなでも他の住人のみんなは平然としていられるのだから、慣れや習慣てすごいと思う。


 わたしはそうやって、散歩を楽しんでいた。


「こんにちは」


 ………この瞬間までは。


 この声は見なくてもわかる。奴だ。『あいつ』じゃないほうのヤツだ。毎日聞いている声だから、わかりたくないのにすぐわかってしまった。


「こんにちは、エルレウムさん」


 どれだけわたしが嫌おうと、彼はきっとわたしの『導き手』。

 実際、普段からとてもお世話になっていることは認めよう。だからわたしは笑顔を向けた。ちなみに現在、わたしの休日における彼との遭遇率は30%前後。毎回遭遇するわけじゃないところが絶妙に油断を誘ってくる。


 今日の爽やかさんは私服だった。エルレウムさんも休日なのだろう。


 ………おしゃれ、爽やか。以上。

 ちくしょうイケメンめ。足が長いし程よく全身に筋肉があるからだろう。たかだかシャツとベスト、ズボンだけだというのに、とても素敵な着こなしに見える。わたしだって知り合いなどではなく、例えば画面越しとかだったりならキャーキャー言えた。


「今日は休みだったよね?どこに行くのかな」


 とても爽やかに、エルレウムさんはわたしを覗き込むようにして質問してくる。

 なんで、恩人とはいえ、他人でしかないエルレウムさんにいちいちわたしの予定を報告する必要があるの?


 わたしに向けられているのは人当たりの良さそうな笑顔だけれど、わたしはちょっとだけ、イラッとした。

 あなたはわたしの何なんだ。百億歩譲って恋人同士であればまだしも、わたしとエルレウムさんはそういう関係じゃない。確かに恩人だ。わたしはこの人のお陰で仕事と家にありつけたのだし、毎日の送迎だって、鬱陶しいとか言わずに感謝すべき事なのだろう。


 でも、限度というものがあるんじゃなかろうか。


「散歩です。目的地はありません」


 それでは、とわたしは方向転換をする。

 どうしても、彼の放つ爽やかイケメンオーラがキツい。近くにいるとひたすら心がしんどい。できるだけ、かかわり合いになりたくない。


「それなら、俺も一緒に歩かせてもらおう。いいよね?」


 よくない。


 だから、あなたは一体、わたしの何のつもりなんだ、とまた同じ事を心の内で呟いてしまう。恩知らずで済みませんね、でも、だからといってストーカーかなにかのようにまとわりつかれるのは嫌なのだ。


「あの、今日は一人を」


 楽しみたいと言いかけて、やめた。

 隣を歩く男の、爽やかな笑顔から漂ってくるらしいなにかの圧がすごいすごい。


「いいよね?」

「………はい」


 よく晴れた青い空。普段はあまり目にしない、小鳥が飛んでいくのが見えた。そういえば野良猫のようなものも見かけない。ネズミなんかがはびこったりはしないのだろうか。

 気持ちの良い午後は始まらなかった。ああ、昼食はどうしよう。これ、一緒に食べることになるのだろうか。なるんだろうな。


 特に目的がある訳じゃないし、本当にぶらぶらとわたしは街を歩いている。エルレウムさんは今日も爽やかににこにこしている。この人に仏頂面ってできるのだろうか。楽しそうで何よりだけれど、できればもう半歩離れてくれないだろうか。腕が当たるんですけど。手と手が触れあってドキリ、なんて年齢じゃないんですけど、わたし。


「ソフィー、仕事には慣れましたか?」

「まぁまぁです。紹介してくださってありがとうございます」

「無礼な客などはいませんか?」

「ええ。わたし、ほとんど事務所とカウンターにいるだけですから。お客さんと接する機会は少ないんです」

「事務所?」


 わたしはうなずく。エルレウムさんは整った眉を僅かに寄せていた。できたらしいね爽やかスマイル以外の表情。


「事務所の作業となると、イーサンと二人きりですか? そういうの、あんまり良くないんじゃないかな」


 まるで独占欲の激しい恋人か、過保護な父親みたいな台詞だ。そのうちわたし、イーサンさんのお家の部屋を借りるつもりなんですよ。そんなこと言ったらどうなるのかわからないので、今は言わないけど。


「そういう時間がない訳じゃないですけど。ほとんど、わたし、一人ですよ」


 もちろんその分のお給料は頂いている、と付け加えた。一歩間違えばイーサンさんがわたしに仕事を押し付けて、ただ働きさせているように聞こえかねない。

 ………こういう時、ジネヴラとの会話って楽なのに。わたしは空を見上げる。絵画のように、雲が青空に浮かんでいる。


「そうですか。それなら安心しました」


 適当にまっすぐ歩いていけば、当然ながらいつかは壁に行き着く。

 目の前に階段があらわれた。ちょうど、警備とは思えないいような数人が階段を降りてくるところだった。もしかして、この上って展望台のように解放されているのだろうか。


「あれって、登ってもいいんですか?」


 エルレウムさんのお仕事は警察のようなものだ、とわたしは認識している。だからこういうことに詳しそうな彼に聞いてみる。


「………おすすめはしません」


 すすめはしない、というだけなら、登ることに問題はないのだろう。


 そういえば、この街に法律があるのかどうかを未だに知らない。住民票のようなものがありつつ、法律や条例がないだとかそんなふざけた世界の想像はつかないけれど、ここは異世界なのだから、よく分からない法制度かもしれない。

 きちんとした法律やら、条例やらが定まってなかったとしたらちょっと怖い。特に権力を持っていそうな貴族、特にエルレウムとかいう男が何をするのかわからなくて怖い。

 あとでジネブラに教えてもらおう。


 そんなことを考えながら、この辺りで最も高い建造物である壁の上をわたしは見上げる。安全に壁の外を見られるのは、きっと愉快だろう。人というものは、どうしたって高いところから世界を見下ろしたくなるものなのだ。世の展望台はそのためにある。


「ダメじゃないなら、登ってきますね」

「やめたほうがいいですよ、とても高い所まで行くことになります。女性の体力的にもあれはキツい筈です」

「ゆっくり行きますから」


 見た感じ、手すりはしっかりあるし、階段の幅も狭くはない。

 後ろから誰か来ても抜いてもらえばいい。下りの人間とすれ違うだけの広さはありそうだ。体力にだってそれなりの自信がある。わたしは東京の真っ赤なテレビ塔を階段で展望台まで登ったことがある女。


「やめましょう、ソフィー」


 エルレウムさんの手がついにわたしの手を掴んでくる。馴れ馴れしいぞと内心で軽くぶち切れながらも、その手がやたらと冷たいことに気がついた。振り返ったら、エルレウムさんの顔色が悪い。


「え、具合でも悪いんですか!?」


 具合が悪いなら、休ませるとか、家に帰ってもらうとかしないと。あ、家、どこか知らない。でもきっと、それなりのお屋敷に住んでいそうなイメージがある。こんなときだけれど、近寄りたくはない場所だ。近寄りようがないけれど。

 だからといって、さすがにここで見捨てるのは人でなしが過ぎるだろう。警備員の詰所に連れていけばいいのだろうか。


 明らかにふらついているエルレウムさんを支えながら、とりあえずと近くのベンチに座った。エルレウムさんはわたしの手を握ったまま、もう片方の手で顔を隠すようにして項垂れている。


「俺は高い所がどうしても、苦手で」


 爽やかイケメン、謎のタイミングで高所恐怖症が発覚。


 さすがに、ここでエルレウムさんを置いて帰るほど、わたしも人間性を捨てたつもりはない。


「エルレウムさん、ちょっと手を離しましょうか」

「離したら君は階段に向かうだろう」

「行きませんから。ね、すぐにここに戻ってきますから」


 片手を使って肩かけカバンを外し、やたらと必死なエルレウムさんに預けた。もちろん財布はわたしの手の中にある。


「すぐに戻ってきますから」


 わたしは近くにいた物売りから暖かい飲み物を二つ買い、なるべく急いで戻ると彼の隣に腰を降ろした。


 どうやら、わたしが高いところに登る姿を想像しただけでエルレウムさんは具合が悪くなったらしい。 それって、かなり深刻な高所恐怖症っぷりなんじゃないだろうか。

 もしかして、建物の二階や三階に上がるのも怖かったりするのだろうか。


「馬程度の高さであれば、仕事のこともありますからね。少々は慣れました。けど、やっぱりいろいろと不都合も多くて………だから、俺は家を出て、警備関連の仕事をしてるんです」


 完璧風をなびかせる爽やか王子(いやこの人は王子などではないのはわかってる)の思わぬ欠点に笑いそうになる。いやいやきっと本人には大事だろう、笑ってはいけない。


 服装や立ち居振舞いからして、エルレウムさんて、それなりの身分だったり、役職つきなんじゃないだろうか。警備関連の責任者であれば、高い所がダメだなんて言っていられないだろう。


 エルレウムさんがふらつかずに歩けるようになるまでのんびりと待つことにした。今日は諦めて、展望台に登るのはまた今度にしよう。


 ここは壁のせいでちょうど日陰になっている。冬場であれば寒いのかもしれないけれど、暖かい飲み物もあることだし、別にゆっくり座っていてもさほどには感じなかった。


 壁際の、広く取られた空き地であるこの辺りには飲み物だけでなく、軽食やちょっとしたアクセサリーなんかも売られていた。広めの空きスペースでは親子連れがフリスビーのようなおもちゃで遊んでいる。恋人たちらしい二人連れが階段を降りてきたので、それとなく観察する。なんだか足が少しがくがくしていそう。その二人は笑い合いながら、感じのよい喫茶店に入っていった。


「ありがとう。もう大丈夫です」


 そんなことを言っているくせに、エルレウムさんの顔色はまだ悪い。歩けるようになったのなら、早く帰った方がいいだろう。ゆっくりと低地で体を休ませるべきだ。


「付き合っていただいたお礼です。遅くなりましたが昼食をご馳走させてください」


 爽やかな笑顔だけれど、顔色はしっかりと悪い。鬱陶しさよりも心配が先に来るのが当然だろう。


「いえ、別にわたしはその辺で」

「良い店があるんです」

「あの、わたしはその辺の適当なお店にですね、」

「行きましょう」


 顔色は悪い癖に、爽やかな笑顔からの圧がすごい。ほんと、具合が悪いのなら休んで欲しい。


 食堂というよりは、レストランというような、ちょっとコジャレた(小洒落たではなく『コジャレた』とあえて言いたい)感じの店に連れていかれ、昼御飯を食べた。うん。何かのお魚のソテーと、スープとパンに、デザートはケーキ。普通に美味しかった。


 もういいや、と少しなげやりな気持ちで、エルレウムさんの顔色が良くなるまでの付き添いだと自分を騙すことにした。

 食後に出されたのはほうじ茶に似たお茶で、あんまり会話は盛り上がらない。盛り上がりようがない。その後追加でコーヒーを頼み、時間経過と共に空いた小腹埋めにパフェを頼み、さらにコーヒーを追加して最後にフルーツジュースも追加で注文することになった。

 明らかに特別室な部屋で、個室で、座りやすい椅子の他にゆったりとしたソファーまであるなんだか明らかに特別室な部屋だったけれど、特別室なだけあって部屋の居心地だけは悪くなかった。御手洗いも併設されていたし。


 具合の悪さからか曇っていたエルレウムさんの爽やか笑顔はだんだんキラキラと輝き始め、すっかり窓の外が夕焼けで染まる頃になると、彼はずいぶんと楽しそうだった。

 そこから家まで、いつも通りにまた送ってもらうことになった。今日は二階の玄関先まで、付き添われる。


 ………あれ? うちの部屋に登る階段は、平気っぽくなかった? あれ? 階段は平気ってこと?

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