第3話 来訪 下

「時間は大丈夫そう?」

とキッチンに向かう中、先頭を歩いていた自分のすぐ後ろから紫が今更な疑問をしてきたので、「えぇ、多分大丈夫だと思う」と私は前を向いたまま答えた。

自室を出る直前に見た限りでは、やはりまだ皆と落ち合ってから一時間とほんの少ししか経っていなく、お見舞い予定時刻まで向かう時間などを考慮に入れても、今からお菓子を作るくらいの余裕は十分にあった。

仮に私と紫以外の皆が、慣れない料理に手こずるにしてもだ。

なので時間面での不安は無かったのだが、実はそれ以外の点で若干の不安を覚えていた点があった。それは、我が家のキッチンが果たして、自分含めた女子中学生五人が一度に入れるのかという問題だった。

勿論、入るだけなら入れなくも無いだろうとは思いはしたのだが、そこで各々が作業を始めるとなると事情が一気に変わる。

そんな事はすぐに想像がついたので、皆で一斉に作るのは厳しいかと思っていたのだが、実際は杞憂に終わった。


ここでまた良い機会というか、これまた今更感がありながらも、簡単に我が家のキッチン事情に触れてみたいと思う。流し台、つまりはシンクは壁際にあったのだが、振り返ると一側面は壁に接するタイプの、いわゆるアイランドキッチンと呼ばれる形式となっていた。

一般的なアイランドキッチンなら、シンクもそこにあるのが多いと思うが、今触れた様に家のは違っており、その代わりというのか、作業するのに広いスペースを確保出来ているのが特徴となっている。

これも恐らく、料理が大好きなお母さんの趣味にあったというか、お爺ちゃんの土地の上で家を新築する時に、直々の要望で作られたこだわりの一つなのだろう。

今触れた様に、一般のものとは違って片側を壁に設置しているために、出入りは片方からしか出来ないという通常と比べるとデメリットもあるのだが、しかし物心が付いた時から慣れている私からすると、こういうものだと特に何も感じずに使いこなしていた。


さて、肝心の広さ問題だが、私の後に続いてゾロゾロと皆がシンクのある側とアイランドの間に足を踏み入れてきて、お互いに背中合わせになっても、横向きならばもう一人隙間を通れる程には余裕があるのが見て分かり、いちいち口には出さなかったがホッとするのだった。

皆が興味津々と、アチコチを眺めたり触ったりしている間に、私はまず予備のエプロンを皆に渡し始めた。全て私が普段しているものだ。

普通ならそんなに数がいらないだろうと思いつつも、ついつい雑貨屋さんに寄ったついでに、自分好みのエプロンを見つけてしまうと、自分なりに一度熟考してはみるものの、大抵は最終的に勢いで買ってしまう事が多かった。

何が言いたいのかというと…ふふ、これは誰しもが身に覚えがあると思うが、そうして新しく買うのは良いものの、普段使うのは大体一つか二つに決まっており、それを長く使い続けるのが常であり、今使っているものがボロボロになるか、汚れが取れなって見た目が不衛生に見える様になるくらいになるまでは、他のものが日の目を見る事が叶わずに、収納の奥に肥しとしてしまわれ続けていたのだが、それが今回の様なひょんなキッカケで、ようやく本来の役目を果たせそうだ…と、皆にそれぞれ手渡しつつ、思わず一人でに笑みを漏らすのだった。


皆が身に付けている間に、私は今度は前日に買った材料の収納された棚を探り始めた。

初めは作る分だけ出そうかなどと考えたが、失敗した時の事を考えて、どうせならと一つ一つの材料の入った大袋をアイランドの天板上に置いていくと、そのまま間を置かずに私主催のお料理教室が始まった。


まぁ…ふふ、ここでの内容は省略しても構わないだろう。結論から言ってしまえば、これといった取り上げる程のハプニングが起きなかったからだ。

秤や計量カップなどを用意して、後は私が逐一数字を述べつつ指示を出していったのだが、意外や意外にも、勿論和気藹々とはしつつも、真剣なところは真剣に、全員がそれぞれキチンと計量して指示通りに仕込みをしてくれたお陰で、これまた私が元々持っていた型を使ったりした、各々の個性が現れたチョコチップクッキーの種が難なく出来上がった。

皆の分を纏めてオーブンに入れると、出来上がりまで四十分掛かると私が宣言した後は、その空いた時間を使って、皆で手分けして後片付けをした。

粗方終わると、エプロンを皆が返してくれる中、お金はいつ渡したら良いかなどと聞いてきたので、「ふふ、別にいらないってば」と、さっき言おうと思っていた事を漸く初めて、皆に向けて返した。


…ふふ、『お金を出さなくても良いだとか、子供であるお前の一存で決めて良いのか?』と思われる方も居られるかも知れないので、ここで一応というか補足を入れると、昨日購入した材料費は私の小遣いから捻出したものだったので、その采配権は自分にあった。

まぁ…ふふ、普段の料理はお母さんが払っているのだが、お菓子作りをするのは基本的に私の役目と自然になっていた。

勿論というか毎回毎回お小遣いというポケットマネーだけではなく、むしろ私が費用を事前に述べて、それに納得したお母さんからお金を貰う方が多かったのだが、今回の様に私用の場合は、自分で買うように心掛けているのだった。

…っとまぁ、言い訳というのはどんな場合でも長くなってしまうものだが、それに反省しつつ話を戻そう。


焼き上がっていく中で生じた香ばしいチョコレートの香りがキッチンに充満し始めると、早い段階で皆のテンションは上がっていたのだが、焼けた合図が鳴ると早速、オーブンから私が中のトレイを慎重に取り出して、それをアイランドの上に置くと同時に私の周囲を皆が取り囲んだ。

そしてさっきまでのテンションとはガラッと打って変わって、皆して息を飲む様に口を噤んで眺めていた。


…うん、如何にも手作り感が出てるけれど、初めてにしては綺麗に出来たようね


そんな中、こんな感想を覚えたためか、自分でも分かるほどに頬を綻ばせていたのだが、左右から強い視線を感じたので顔を上げて見渡すと、それまで一緒にトレイの上を眺めていたはずの全員が、一斉にこちらの様子を伺ってきていた。

それに一瞬ドキッとしたのだが、すぐに何故そんな態度を取っているのか察した私は、初めはわざと何となく渋い顔を作って見せた。

しかし、生来せっかちな性格でもあったために、上手いこと溜める事ができず、皆が不安がる前に気分のまま表情を緩めると、笑顔を浮かべつつ口を開いた。

「…うん、初めてにしては綺麗に焼けて上手に出来てるじゃない?上等だよ」

「やったー!」

と次の瞬間、間髪入れずに他のみんなは同時に明るい声を上げると、まずは側の人間から始まり、最終的には全員でハイタッチをした。それには私も含まれている。

それが終わると、「ちょっと待っててねぇ…」と、アイランドに幾つか備え付けてある引き出しの一つを開いた。

「ふふ、本当に初めてにしては上手だったわ。やっぱり…教えた先生が良かったのね」

と顔は引き出しの中に落としながら、しかしニヤケつつ声も冗談調で言うと、「はいはい」と笑みの混じる呆れ声の紫に始まり、後は麻里と藤花の明るい笑い声が後頭部に降り注がれていた。

「…っと、あったあった」と、顔はニヤけたまま目当てのものを見つけた私は、体勢を元に戻すと同時に引き出しを閉めて取り出したのは、プレゼント用の包装紙一式だった。リボンまである。


んー…ふふ、何故こんな物がウチにあるのかも、軽くでも紹介した方が良いだろう。ある意味”ウチならでは”の事でもあったからだ。

知っての通り私たち望月家…というより我が家というのは、お父さんの仕事柄、お母さんだけではなく私まで一緒に、医療関係や病院経営に携わるだけではなく、区議会議員から区長、地元が地盤の国会議員などは流石に毎回では無かったものの、彼らを含めた様々な業界の人が出席する”社交の場”に、月一から月二程度出席しているのは以前に触れた通りだ。

お母さん自身も昔から稀に出席していたとはいえ、私とほぼ同じ時期、つまりは私が中学生になっての秋頃からようやく、主催者の一人であるお父さんの”院長夫人”として、本格的に社交の場へ顔を出すようになったわけだが、それ以前から、これもだいぶ前に話したように、そういった場に行く前から、お父さんが自宅に招待した少人数に対して、着物姿で応対していたのもあり、一部では既に顔が知られていた。

…っと、ついつい話が脱線してしまったが、要はお父さんの仕事柄というか、何かにつけて時期毎に物を送り合うのが常というのもあって、元々儀礼のマナーをも身につけていたお母さんは、その度に自分でラッピングしたりするので新たに包装紙を買っていた。

だが、それを使い回す事は無く毎回のように新たに買うので、使わなかった分が溜まっていく一方なのだったが、ここ一、二年はそれらを私に無償でプレゼントという形となっていた。

そう、これもつまりは私物という事となる。

この大量にある余り物の包装紙はというと、これも家事修行の一環というか、正直一人暮らしのスキルとしては関係無いとは思いつつも、それこそ物心ついた頃からお母さんが綺麗に包装しているのを側で見ており、同時に憧れを持っていたのもあって、これを良い機会にと実はこれも頼んで習っていて、その時の練習用も兼ねていたのだ。


…などなどと、一々説明はしなかったが、既に用意していた透明の袋の中へ、崩れないように丁寧にクッキーを詰め終えると、皆にどの包装紙が良いかアンケートを取った。

そして選ばれた紙以外は元の場所に戻すと、早速…ふふ、自分で言うのは恥ずかしいが、手慣れた手付きで素早く包み始めた。

そうしながら不意に、ある事を思い出したのだが、それと同時に思わず一人で笑みを小さく零してしまった。

何を思い出したのかと言うと…ふふ、裕美が関連した今年のバレンタインの事だった。

以前にも触れた通り結論から言えば、結局は渡せず終いと残念な結果となったのだが、バレンタイン前に、ヒロ向けのチョコを作りたい…いや、こう言うと本人が怒るかな?私がそう仕向けて、今まさにいるこのキッチンで、お母さんに見守られながらチョコ作りを手伝ったのを思い出していた。


「…っと、はい、出来上がりー」と一分もかからずに包装し終えると、その出来栄えに対して、皆は一斉に驚きの声と共にお褒めの言葉をくれた。

「流石お嬢様だけあって、こんなマナーも身に付けていらっしゃるのねー?」とニヤケ面で余計なことを言う紫には勿論ツッコミを入れつつ、しかしやはり少し照れながら応対をして料理教室は幕を閉じた。


ラッピングしたクッキーを持って自室に戻り時計を見ると、ちょうど良い頃合いだったので、この中では言うまでもなく、唯一病院までの所要時間を知っていた私が、丁度良い頃合いと出発を皆に促した。

私のこの提案に対しては何の反発をせずに、皆はすぐさま同意してくれて、「忘れ物しないようにね?」と私に声をかけられながら準備を始めた。

それに遅れて自分もと、洋服ダンスの脇に置いてあるコートハンガーへと向かった。

それはマホガニー製の重厚感ある木目が綺麗なポールハンガーで、私は物心がついた頃からこの部屋を自分個人の部屋として使っているのだが、ずっとその頃から既に置かれていたものだった。


どうでも良い話だろうが、これは実はお母さんの嫁入り道具の一つらしく、お母さんのお母さん、つまりは私のお婆ちゃんがプレゼントしてくれたものらしい。確かに、今では貴重となっているマホガニーを使用している時点で察せられるといった感じだろう。

どんな経緯だったか忘れたが、それをお母さんが譲ってくれて、今は私が日常的に使っている。

これに限らず、このブランドの商品は全てが職人の手作りだと幼い頃に教えて貰ったのを今でも覚えているが、その頃にもそれなりに感心しつつも、今の歳で改めて見ると、年を重ねる毎に焦げ茶色が飴色に変化しつつ、それと共に重厚感が増していっている様に感じて、自室にある家具の中ではトップクラスに今ではお気に入りだった。

…っと、別にこのポールハンガーの紹介をしたいが為に触れたのでは無かった。本題に向かうと、一応このポールハンガーは表向きはコートハンガーという名称らしいのだが、私は基本的に、幾つかのミニバッグと帽子を掛けるのに使っていた。


なので、当然皆と一緒に自室に入った時には、普段通りに今まで被っていた麦わら帽子をポールに掛けた訳で、それを今また被ろうとしたのだがその時、不意に背後から声を掛けられてしまった。

「…って、あ、琴音、そういやぁさ?そこに掛かっているのって…いつだかに見た、例の日傘だよね?」

「え?」

と、丁度麦わら帽子を手に取ったところだったのだが、振り返って見ると、紫が私の背後を指差していた。

その先を見る為にまた体を翻すと、確かに目の前にあるポールハンガーの下部部分に、数本の日傘が掛かっていた。

…ふふ、そう、先ほどは触れなかったが、このポールハンガーの半分より少し下辺りには、全体を支える土台と同じ直径をした輪っかが取り付けられており、そこには柄がある様な物が引っ掛けられる様になっていて、自分はそこに今述べた様に日傘を掛けていた。


「え、えぇ、そう…だけれど?」と、また振り返ってからそう答えると、紫は途端に含み笑いを浮かべ始めた。

実はこの時、他の皆も作業の手を止めてこちらに注目しているのが視界の隅に入っていたので気付いていたのだが、紫のすぐ側に腰を下ろしていた麻里の様子が何だか印象的で、そのあまりについつい視線を紫から麻里へと移してしまっていた。

その特徴的な両方の”ネコ目”を大きく見開いて、興味津々という心内を隠すことなく、余す事なく表現していたからだった。

と、私がそんな風に注意散漫になっているのに気付いたらしい紫は、一度吹き出し笑いをして見せると、意識が自分に戻ったのを確認してから口を開いた。

「せっかくならさぁ…今外に出て行く時は、帽子じゃなくて、出来たらその日傘を差してみてくれない?」

「へ?」

と私はまた後ろを一旦振り返って見たが、今度はすぐに体を戻した。

「んー…って、それはまた何でよ?何で私に日傘を差して欲しいの?」

と初めのうちはキョトン顔で、声のトーンも自然とそれに合わせて口にしたのだが、徐々にその言葉の裏に何かしらの意図を感じ取ると、私は今度はジト目を意識しながら不信感あらわに聞き返した。


というのも、私が何で毎度の様には日傘を使わないでいるのかという理由については、既につい最近にも触れたと思うが、それは勿論学園の仲が良い、そう、今この部屋にいる皆には話した事があったからで、だとしたら、それを知りつつ、その上でそんな提案をしてくるという事は、またロクでもない考えの元だというのは容易に察せられたので、この様な態度と相成った。


もちろん私のこの態度は冗談含みであり、そんな返しがくるだろう事はハナから分かり切っていた紫は、一度誤魔化す様に明るく笑い飛ばすと、「だってぇ…」と今度はブリっ子ぶって見せながら、座ったままだったので上体だけをクネクネさせつつ言った。

「ほら、私たちの前では琴音、あなたは去年のコンクールの決勝以来さ、中々日傘を差して現れてくれないじゃない?」

「え?…ふふ、『現れてくれないじゃない?』って言われたってねぇ…」

という紫の言葉遣いと、「確かにー」と暢気な調子で合いの手を入れた藤花に毒気を抜かれてしまった私は、既にこの早い段階で”負け”を意識しつつ苦笑交じりに相槌を入れた。

そのせいで、ますます調子を上げつつ紫は続ける。

「あはは!まぁ別にね、確かにあなたがあまり皆の前で差すのに抵抗があるというのは、それなりに分かるところではあるんだけれどさぁ…」

と話しながら、途中からニヤケ顔から優しげな顔つきになりつつ話す表情の変化に見惚れていると、そんな私を他所に紫は語尾を伸ばしながら不意に上体だけを器用に九十度ばかり後ろに回した。

そして、後ろにいた麻里に顔を一度向けた後は、紫は今度は私と麻里を交互に眺めつつ続けて言った。

「…ふふ、ほら、それでもまだ私たちは、そのコンクールの時とか、あと何度か見てるけれどさぁ…ふふ、麻里はまだ見てないじゃない?だから…この子のために、一度くらいは見せてあげてよー」

と言い終えたのと同時に、紫は座ったままだというのに身軽にピョンっと跳ねると、麻里の真横にストンと座り、こちらに企み顔を向けてきた。当然のように口元はニヤけっぱなしだ。

「え、あ、その…」

と、麻里は麻里で今何が起きているのか分からない…いや、そこまでのショックは無かっただろうが、取り敢えず急に湧いたこの話に対して、自分がどの様な態度を取れば良いのか持て余している様子を見せていた。

…ふふ、それは私も正直そうなのだったが、しかしまぁ、ここは自分が出た方が良いだろうと判断すると、いつも通りに両肩を一度ゆっくり上げてから、ストンと大きく下げつつ溜息をこれみよがしに深く吐きながら口を開いた。

「はぁー…まったく、…ふふ、私が飲み物とおやつを取って来るのに留守にしていたのを良いことに、そうやって目敏く見つけるんだからなぁ」

と、当初の予定では最後まで不機嫌さを一応見せようと努力していたのだが、結局は自分でも分かるほどに口角の端を上げてしまった。

「あはは」と、これは藤花も一緒にだったが、紫は明るく笑うと、それによって出来た顔つきのままに言葉を返した。

「まぁついついジロジロ見ちゃったのは謝るけれどさぁー?でも…あはは、それはどうしたって目に付くって」

と紫はポールハンガーを指差した。

これには私は何の反論も無かったのだが、しかし口に出して同意するのはシャクだったのもあり、ただ微笑みを一度浮かべると、「まぁ良いんだけれどねぇ…」とすぐにまた薄目を使いながら口を開いた。

だが、これといった今の状況にあった”軽口”を思いつくことが出来ずに、このまま少しの間だけとはいえ言葉が詰まってしまったっていると、狙ってかどうかはともかくとして、そんな様子のこちらへ向けて、顔色を伺う様な、その特徴的な猫目で上目遣いをしてきながら麻里が見つめて来るのが見えた。

…ふふ、いや、麻里は座っているんだし、立っている私の位置から見れば、自然と上目遣いに見えるのは当然と言えば当然だったが、それはともかくとして、そんな麻里を見て、このままではラチが開かないと悟った私は、悔し紛れに最後にまた一度大きく息を吐いて見せると、いい具合に力が抜けたあまりに程良い笑顔を浮かべながら、「はぁ…ふふ、分かったわよ」と、日傘がどうのといった具体的な事は言わずに言葉は短めに、紫と麻里の二人を交互に見渡しつつ応じるのだった。


こんなクダラナイやり取りのせいで、余裕があったはずの時間が予定よりも無くなっているのに気付いた私は、紫と麻里に始まり、藤花や律も直接背中を押しながら部屋の外へと出て行かせた。

勿論というか…ふふ、日傘を手に持ちながらだ。我ながら変に開き直っていたというか、ここまで来たらせっかくだしと妙なサービス精神を起こして、さっき紫が触れた、コンクールの時に差していたその日傘を選んでいた。

因みにお菓子の入った袋はというと、紫が代表して慎重に取り扱っている。


部屋を出るとそのまま階段を降りて、着いたすぐ目の前にある玄関でゾロゾロと靴を履き始めた。

降りた順番的に、必然と私と律が最後に履く事となり、律が玄関を出た後で私も後から続くと、さっきまで丁度よく冷えた室内にいたためか、暖気というには表現が甘過ぎる程のモワッとした熱気を感じた。


こんな陽気の中で、外を出歩かなくて本当に良かったわ


と頭上にある庇を見上げながら心の中で感想を呟きつつ、玄関の鍵を閉め終えると、そんな私のことを側で立って待っててくれた律に対して、「お待たせ」と一言声をかけた。

もちろん先に触れた様に、律も私の自宅に来るのは今回が初めてなのだが、いつも一緒に過ごしていた中学二年生の頃に始まり、私が何かをしている時などは、元から口数が少ないというのもあったが、何かにつけてこうして黙って私のことを待っていてくれる事が多かった。それは見ての通り今も変わらずで、その度に、私から簡単なお礼の言葉をかけるのもテンプレートと化しているのだった。


「おーい、二人とも何してるのー?」

とその時、少し離れたところから声をかけられたのに気付いた私と律が、ほぼ同時にその方向に顔を向けると、そこには、玄関から外の通りへの出入り口である門扉まで続く、数メートル程あるレンガ調のアプローチ上で足を大きく広げて立ち、こちらへ向けて大きく手を振る藤花の姿があった。

その顔には、太陽に負けない程に明るい笑顔が広がっている。その藤花を挟む様に紫と麻里が立っていた。日の光が眩しそうに目を細めていたが、同じく笑顔だ。

「あまり遅いと置いてくよー」

と藤花が続けて言うのを受けて、私と律は顔を見合わせると、どちらからともなく小さく微笑み合った。

「まったく…置いていくも何も、そもそもどこに病院があるかすらよく知らないじゃないの、あなたは…」

と顔を苦笑交じりに呟く私の隣で、律はクスクスと品良く笑みを零していた。

そんな律の様子を見て、自然と釣られて同じ様に微笑んでから、「それじゃあ、まぁ…私たちも行こっか?」と声をかけると、「うん…」と返す律の言葉を合図に、私は庇の下で早速日傘を広げた。


そしてそのままアプローチへと二人揃って足を踏みれた…のだが、数歩歩いた所で思わず足を止めてしまった。それは私だけではなく律もだった。

隣を見ずにそのまま正面に顔を向けた、私のその視線の先には、振っていた腕は既に降ろしていたが相変わらず天真爛漫な笑顔の藤花と、向かって右隣に企み笑顔を浮かべる紫の姿があったのは、大体さっきと同じだったのだが、唯一麻里一人だけが、さっきとはまるで違う行動を取っていたために、足を止めてしまったのだ。

この時麻里がどんな行動を取っていたかと言うと、さっきまでは藤花の二歩ほど後ろに立っていたというのに、今は逆に藤花の数歩前に出てきた挙句に、何やら中腰の態勢を取りつつ、両手で円筒の様な形にしたのを顔の前に持ってきていた。

まぁ簡単に言ってしまえば、まるでカメラを撮っているかの様なパントマイムをしていたという事だ。


こんな行動をされたのは、別に今回が初めてでは無かった、律含む私たちだったので、「…何よ麻里?」と二人を代表して私が、これまた”いつのも”ノリで声をかけた。

すると、手に持っていた”透明のカメラ”から顔を外した麻里は、「えへへ」と照れ笑いを浮かべつつ中腰から元の態勢へと戻した。すっかりいつもの麻里に戻っている。

「いやぁー…えへへ、やっぱり律ちゃんと琴音ちゃんが並ぶと、本当に絵になるなぁ…って、思ってさ?」

「あはは、特に…」

と麻里のすぐ隣に立ち並んだ紫は、片手を麻里の肩に乗せるとニヤケながら続いた。

「日傘を差す琴音とか、まさにどこかのお嬢様か、お姫様か…ふふ、あの本棚に囲まれた部屋とか、まさに”深窓の御令嬢”って感じだったもんねぇー」

「あはは」

と、最後に遅れて藤花も紫と反対側に立ちながら明るく笑った。

「あのねぇ…」

と、そんな三人の態度を受けて、私はまたしてもジト目を交互に配りつつ、両手を腰に当てつつ上体を前に屈めながら言った。

「色々とまた好き勝手言ってくれちゃって…もーう、日傘を戻して来ちゃうわよ?」

と踵を返しかけると、「あはは、ごめんごめん」と全く誠意の感じられない謝罪を紫がするという、もう何度も繰り返されてきたやり取りをしている中、おもむろに麻里は肩に提げていたトートバッグの中を何やら探り始めた。

「何ー?麻里、どうかしたー?」

と笑みを引かせつつ隣の藤花が声をかけると、「いやぁー、えぇっとさぁ…」と一度顔を藤花に向けて返したかと思うと、次の瞬間には、片手をバッグの中に突っ込んだまま、私と律に顔を向けてきた。

その顔には、広義ではさっきと同じ照れ笑いに区分されるのだろうが、しかし意味合いは微妙に違った笑みが広がっていた。

と、少しの間、私たち二人と見つめ合ったかと思うと、「何て言うか、さぁ…」と独り言の様にブツブツ言いながら、またバッグを探り始めた。

かと思った次の瞬間、「…っと、あったあった」と声に若干の喜びを表しつつ、バッグから引っ張り上げた手に持たれていたのは、どこかで見覚えのある、見るからに本格的なカメラだった。

「…あ」

と、まさに見覚えがあるせいで、これは私だけではなく隣の律も声を漏らしていたが、”向こう側陣営”でも同じ様な反応が起きていた。

「あー、カメラだ」

と、見たままの感想を藤花が述べた後で、「へぇー、やっぱり持ってきてたの」と麻里の手元を眺めつつ紫が声をかけた。

「えへへ、まぁねー」と、麻里は誇らしげに胸を気持ち逸らして見せると、何やら弄りながら言葉を続けた。

「私は新聞部の中でも、いわゆる文章を書く記者と言うよりも、漫画を書いたり、後は記事用の写真を撮るのがメインの仕事だからねぇー。新聞自体が、別に学園内だけに内容が止まらないから、常にこうしてカメラを持っているんだよ」

「…あなたがいつも、そういった理由でカメラを身近に忍ばせているのは、以前から知っているけれど…」

と、ここでようやくというか、麻里が話している間を使って、皆の側まで近付いていた私は、到着すると同時に、その手元を眺めつつ口を開いた。私にワンテンポ遅れて追いついた律も、口は開かなかったが私と同様の行動を取る。

その麻里の手元にある、日差しに照らされて黒々と反射して輝いていたのは、やはり素人目には一眼レフと区別がつかない、例のミラーレスカメラだった。

そう、麻里が修学旅行に持ってきていたのと同じ物だ。このカメラの存在を知ったのは、少なくとも私個人で言えば、あの時が初めてだった。


んー…ふふ、その旅行中の出来事を、折につけて思い出の瞬間瞬間を切り取る様に、麻里の手によって写真として納めてくれて、その写真は後日に麻里が焼き直してプレゼントしてくれたのもあり、それなりに思い入れがあるカメラではある…のだが、ふふ、それからというものの、その修学旅行中と同じ様に何かと些細な事で、麻里にこのカメラで写真を撮られる事が頻繁に起こる様になっていた。

それも…ふふ、自惚れでも何でもなく、被写体としては私と律のコンビが際立って目立っていた。

初めは一々、何で私と律の写真をそんなに撮りたいのかとまず聞いていたのだが、何度聞いても、修学旅行中にもあった様な、似た様な返答しか帰ってこなかったので、もう今では断るのも面倒だし、この問答の時間が勿体無いと、裕美達に囃し立てられながら、撮影場所は学園の中を中心に撮られるのだった。

んー…ふふ、一応はそれでも、絶対に許可なく新聞に写真を使ってはダメだと制約はさせており、不満げにブー垂れつつも、麻里は今のところは律儀に忠実に約束を守っている。それだけが救いだ。

ただまぁ…うん、今触れた様に、学園内で写真を、しかも大袈裟な、素人が見ても本格的だと分かるカメラで、それも一度許可した途端に麻里のこだわりから来るポーズ指定が演出されるせいで、中々すんなりとは終わらず、その間は脇を通る他の学園生達から、何事かと好奇の視線を浴びるのはもちろんだった。

この間の律はというと、無の境地にでも達しているのか、自分の事でもあるというのに、麻里たちへ色々と反逆している私のことを、まるで我が子を見守る母親の様な、相手を包み込む様な優しげな視線を向けてくるのだった。

それに対して、力なげに思わず苦笑というか、呆れ笑いを浮かべるのは言うまでもない。

…っと、ついつい麻里とカメラについて話が過ぎてしまったが、これまでの話で分かって頂けた様に、既にカメラを取り出した時点で、今から麻里が何を言い出すのかは予想がついていた。そしてそれは当然として、すぐにその推理が証明されることとなる。


「何で今、カメラを取り出したのよ?」

と一応礼儀と言うか毎度の流れだと質問をぶつけてみると、よくぞ聞いてくれましたとばかりに表情を明るくした麻里は、両手でカメラを胸の高さで持つと、意気揚々と言った。

「だってさぁ、せっかく琴音ちゃんのお家に初めて来られたってんで、何か記念に残したかったんだもん。しかも、私だけじゃなく、他の皆も初めてだって言うし」

「あー、そうだねー」

「うん、良いアイディアじゃないの麻里」

と、藤花と紫がすぐに賛意を示した。

ふと隣を見ると、律もこちらに顔を寄越しつつ、微笑を湛えながら一度大きく頷いて見せたので、私もただ無言で同じ笑みを浮かべながら返した。

そう、つまりは本心では私も麻里の言葉に同意をしたのだが、一応ケジメというかそのまま乗っかるのも何だと、顔を三人に向けて口を開いた。

「まったく…ふふ、ここは私の住む家だというのに、何を勝手に話を進めてるのよ?」

と愚痴っぽく言ったのだが、このまま間を開けると本気に取られて、せっかくの良い雰囲気が壊れてしまうと思った私は、すぐにニヤケて見せつつ続けて言った。

「まぁ…えぇ、確かに写真を撮るというのは良い考えだと思うけれど…」

とここでしかし、今更ながらふとある事が頭を過ぎると、途端に苦笑いに転じてしまった。

そしてその顔つきのまま、一旦皆の顔を見渡してから重たい口をゆっくりと開いた。

「…うん、全員の写真は止めておかない?だって…この場にはまだ、裕美がいないし、それでは…意味ないでしょ?」

「あ…」

と私の言葉に、皆がボソッと声を漏らすと、さっきまで明るかった表情だったのに、すっかり今は誰もが浮かない顔をしていた。

結局は”その様な”雰囲気となってしまったが、しかし今回の場合は仕方がないというか必然だったので、その件に関しては何も感じず、ただ皆の反応を待った。

「そっか…それもそうだよね」

とまず藤花が、今日初めて苦笑いを浮かべつつ口を開いた。

「今日はそもそも、裕美のお見舞いに行くのが目的だったんだし…」

「…そうだね」

と紫も続く。その顔には自嘲気味なバツの悪そうな笑みが広がっていた。

「ちょっと…配慮が足らなかった…なぁ」

と紫が続けて言うと、「うん…」と、律と麻里がほぼ同時に応じた。

律はそれで発言は終わったが、提案者の麻里はというと、先ほどの紫以上にバツが悪そうな顔を見せて、表情も一段階暗めに一同を見渡した後で、やはり自嘲気味な笑みを浮かべつつ口を開いた。

「…うん、琴音ちゃんの言う通りだね。入院している裏で、自分以外の全員がこんな風に明るく楽しく盛り上がっているなんて…裕美の気持ちを、もう少し考えるべきだったよ…」

「…」

「…」

と、他の皆が黙ってしまったので、空気に飲まれた私も一緒になって黙ってしまっていたのだが、不意にこの時、麻里のセリフがキッカケとなって、とある出来事を少しずつ思い出していた。

その内容とは、一昨日に宝箱で、義一が私に話してくれた事だった。

それを思い出したのと同時に一度反芻してみると、少しずつ勇気の様なものが胸の奥で湧き上がってくるのを覚えて、その影響もあってか自分でも分かるほどに表情が緩んでいくのを感じた。

と、そんな私の顔の変化に、この場にいた全員が気付いたらしく、無言のままだったが不思議そうな表情でこちらを眺めてきていた。

そんな状況でも、顔つきは緩めたままに、私は一度小さく微笑んでからゆっくりと口を開いた。

「んー…ふふ、言い出しっぺの私が言うのも何だけれど、別に皆の雰囲気を壊したかったんじゃなくてさ?何て言えば良いのかしら…」

とここで一旦頭の中で言葉を整理してから、顔つきは変えずに先を続けた。

「…うん、皆よりも先に、お見舞いに私が単独で行ったっていうのは知ってるわよね?その時にも感じたんだけれど…うん、少し今の話と逸れちゃうけれど、関係あるから代わりに言えばね?裕美だってさ、別に私たちに深刻な感じで来られても、戸惑っちゃうというか…うん、困惑するだけだと思うの。気を変に遣われちゃうと、それに対して申し訳なくて逆に気を揉んじゃうとかね?」

「あー…うん…」

と、他の四人が私に納得いってくれたような、そんな感情のこもったトーンで声を漏らした。

私は続ける。

「だから…さ?この後私たちはお見舞いに行くわけだけれど…なるべく普段通りに、裕美に接することにしない?その方が裕美も楽だろうし、嬉しいんじゃないかな?…って、私は裕美本人じゃないから、そんな『嬉しいんじゃないか』と言うと身勝手すぎる解釈な気がしなくもないけれど…うん、少なくとも私はそう思っているの」

と、先ほども触れたように、義一が私に言ってくれた内容を自己流にアレンジして口に出してみたのだが、私が言い終えてからしばらくは、私たちの間に少しばかりの静寂が流れた。

…いや、実際はどこか恐らく自宅敷地内に植ってある木のどれかに留まっているのだろう、けたたましく元気に鳴くセミの声や、家の前を通る車や人の話し声などがチラホラ聞こえたりした。

だが、基本的には静かといって良い状況だった。

家に入る前よりもまた時間が経っているために、前よりも日差しが強くなっており、実際の気温だけでは無く体感的にも暑かったはずだったが、この時の私たちは暑さをそれ程には感じず、じっと立っていても肉体的な苦痛は感じずにいた。


どれほどお互いに黙っていただろう、実際は一分も経っていなかっただろうが、ふとその時、「…うん、琴音が言った通りかもね」と紫がゆっくりと口を開いた。

その瞬間、私含む皆で一斉に顔を向けたのだが、当の紫の顔には柔らかい笑顔が広がっていた。

「…うん」と藤花も、紫が口火を切ってくれたお陰で口が軽くなったのか、笑みも同じ類のを浮かべつつ続いた。

「今自分だったらどうかなって考えてみたんだけど、確かに変に畏って来られるよりも、いつも通りのノリで来られた方が、楽だし嬉しいかも」

「うん…」

「そうだね」

と、今度は律と麻里が同時に声を漏らした。律はそこで止めて口を閉じてしまったが、麻里はそのまま続けて言った。

「んー…えへへ、私が妙な提案をしちゃったから、こんな話になっちゃったけど…うん、琴音ちゃんが言ってくれた事は、その通りだと思う。正直さ…」

とここで一旦区切ると、麻里は元々そうではあったのだが、ますますバツが悪そうに笑みを強めつつ言った。

「いざ裕美のお見舞いに行った時に、どんな態度を取れば良いのか、正直不安というか分からなかったからさぁ…ふふ、琴音ちゃんのおかげで、どうすれば良いのか分かった気がするよ」

「あー、うんうん確かに」

「うんうん、私もだったよー」

と、紫と藤花がすぐに麻里に同調した。隣でウンウン頷いているところを見ると、律も同じらしい。

「い、いや、別に私は、そんな大層なことは…」

と皆の過剰反応に対して、私はまた慌てて何か訂正入れようと思ったが、何を訂正して良いのか検討が付かなかったせいで、ただアワアワと口籠るのに終始してしまった。

そんな私の様子を見て、ほんの数瞬だけ他の皆はこちらを眺めているだけだったのだが、誰からともなく小さく吹き出したかと思うと、それからは大声こそ上げなくとも、日差しに負けないくらいに明るい笑顔を一斉に浮かべるのを見て、私も初めは戸惑いつつも、徐々にテンションに追いつくと一緒に笑顔になるのだった。


「あはは。でもまぁ、写真云々自体は悪い話じゃないしさ?」

と、笑いが収まり始めた辺りで、私は麻里に話しかけた。

「裕美の怪我が治って、退院したらその時に、まぁ…ふふ、別にウチじゃ無くても良いけれど、その記念も含めて、全員で写真を撮ろうよ」

と私が言うと、「さんせーい」と素早く合いの手を入れた藤花に続いて、「良いねぇー」と続く紫、「ふふふ…」と一人で品よく笑顔を零す律に続いて、「えへへ、うん」と麻里も大きく一度頷いてから笑顔で返した。


ここでまた、朗らかな雰囲気が場に立ち込め始めたのだが、その時、「…あ」と紫が小さく声を漏らしたので、それが耳に届いていた私が顔を向けると、ちょうど向こうでもこちらを見てきていたので視線がぶつかった。

だが、それほど見つめ合う事もなく、その代わりというか紫は、不意に私から視線を横に移したかと思うと、そんまま何度か交互に流し始めた。

そんな態度をされて、私と律は何だろうとお互いに顔を見合わせていると、「あはは」と笑い声が聞こえたので、二人同時に顔を向けた。そこには、普段からよく見る、何かロクでもない事を思いついた時の企み笑顔を見せる、紫の顔があった。

「確かに…うん、琴音が言った通り、これからお見舞いに行くんだし、裕美が喜びそうなお土産を用意しなくちゃねぇ…」

と勿体ぶってニヤケながら言うのを聞いて、「なになにー?」と藤花が口を挟んだ。

「なんのこと?」と麻里も続いて聞くと、

「ほらぁ…ふふふ、このお菓子以外にも、裕美が喜んでくれそうな、しかも今すぐに用意が出来るお土産が…あるじゃなーい?」

と、話始めるのと同時に、藤花と麻里が立つ後ろを振り返って、皆を代表して持っていたクッキーの入った袋を顔の高さまで持ち上げた紫は、話終えるのと時を同じくして袋を元の位置に下ろすと、ゆっくりとした動作でターンをして見せた。

そして私と律を正面に見ると、ニヤニヤしながら言葉を続けた。

「そりゃあ、今すぐに用意出来るもので、裕美が喜びそうな事といえば…ふふ、学園のお姫様である琴音と、学園の王子様である律のカップル写真に決まっているじゃない!」

「…へ?」

「…え?」

と私と律が思わず声を漏らす中、「あー、なるほどー!」と案の定思った通りというか、藤花の明るい声に

始まり、「そっかー、確かにー」とやはりというか、そんな藤花に負けない…いや、それを凌ぐほどのテンションの高さで麻里も声を上げた。

「は?い、いや…ちょっとまっ…」

と私は戸惑いつつも口を挟もうと思ったが、気分が上がっている麻里の声に遮られてしまった。

「いやー…えへへ、さっき反省したばっかだけど、何で写真を撮ろうと思いついたのかと言えばさ?玄関の軒先から、綺麗な外観の家をバックにレンガの道を歩く二人が様になってたからさぁ…えへへ、ついつい血が騒いちゃってね?写真を撮りたくなっちゃったのがきっかけだったんだ」

と麻里は、途中から顔をこちらに向けてゆっくりと動かしていくと、最終的に紫と同じように私と律の顔を交互に眺めながら、どこか悪戯が見つかった後のヤンチャ坊主の様な笑顔を浮かべつつ言った。

「そう、ちょうど今二人が立っている場所が特にベストポジションだし」

と、私と律の足元を指差したかと思うと、次の瞬間には、カバンから取り出したミラーレスカメラをまだ手に持ったままだった麻里は、それを顔の前で構えると、ファインダーを覗き込みつつ言った。

そんな麻里の態度と言葉に、藤花と紫が麻里のカメラを撮る態勢を真似したりと、ワイワイと盛り上がっている中、無駄とは知りつつも、これも恒例行事だと私は一旦顔を横に向けた。

そこには、やはりいつも通りに、顔一面に参り顔を浮かべて、それに微笑みを加えている律の様子を確認すると、やれやれと鼻で息を一度大きく吐いてから苦笑いを浮かべて、頼りにならない”王子様”の代わりと、私はその笑顔のまま、一度自分の姿を眺めてから返した。

「『様になっている』とか…もーう、またそんな事を言って…。…ふふ、今日はこんなにも、私と律の格好は地味なのに?」


んー…ふふ、正直これは話すつもりは無かったのだが、まぁ麻里がそう口走ってしまったのもあり、軽くでも今日の私と律の服装について触れてみようと思う。

私の今日の服装は、季節関係なく体にフィットするのが好みなのもあり、下は踝が自然と見える程度の丈高なデニム色のスキニーパンツだったが、上は全体的にフワッとしたギンガムチェックのブラウスを身に付けていた。春秋冬は、上もピタッと肌にフィットするような細身の服が好きで、そんなのばかり普段は着ているのだが、夏場はこういった、体と服の間に隙間が出来るような、その空間に空気が流れる事で涼しさを少しでも感じられるようにという、元々暑がりの私の夏対策で着ることがよくあった。

律はというと、上は黒のスクエアカットソーに、下はベージュのワイドパンツを履いていた。

んー…ふふ、律の性格から言って、本心ではもっと乙女チックな格好をしたいのだろうし、今のコーディネートだって十分女性らしいのだが、しかしここが中身と見た目が嵌らない悲劇とでも言うのか、どうしても律から溢れ出る、そんじょそこらの男が身に付けていない、身に付けられない”色気あるカッコ良さ”のせいで、どうしても本人が求めている”可愛い”という感想を周囲に与えられずに終始していた。

さて、わざわざ二人の装いを紹介する事で、何が言いたかったのかと言うと、私と律はさっき触れた様に、お互いにシンプルにして地味だったのだが、そんな私と並んでも、嫌味には、特に律には受け止められないのを知りつつ敢えて言えば、自然と私の方がガーリーに見えていた…からこそ、麻里がその様な感想を漏らしたのだろう…という事だ。

ついでもついでに、これまた今更感が否めないが、麻里が触れたのでこれが良い機会だと、今までの話の流れ上、自室と同じでなかなか触れられる機会が無かったのを言い訳しつつ、私たち家族の住む家の外観についても簡単に話しておこうと思う。

どうしても細かくなるが、土地というか敷地面積は150坪ほどあるらしく、その内の80坪が建物で、それ以外は芝生とお母さんが趣味の木々が植ってある庭と、車が3台停められる駐車スペースがあり、また外の通りと繋がる門扉から玄関までは、さっきも触れたように数メートルほどのレンガ調のアプローチがある。

さて、家自体はというと、まず真っ白な壁部分とレンガのコントラストが目を惹く、私が言うのもおかしいがオシャレな外観をしている。門扉から入って主に正面から見える一階部分全体と、二階部分のバルコニーがレンガ調だった。

アプローチを歩く段階で、居間の部分である大きな窓が見える配置となっており、玄関からだけではなく、その窓から外、この場合は庭にすぐに出れるようになっていて、元々この居間の天井は高さがあるのだが、その分ほどに大きな窓があるお陰で、度合いにも勿論よるが曇り空でも大抵は照明を点けなくても不自由なく過ごせる程度の自然光がもたらされていた。

私の部屋がある二階の窓にはバルコニーが無いのだが、その代わりと言ってはなんだが窓の下には南欧風のフラワーボックスが取り付けられており、それは両親の寝室も同じだった。

そこには、これまた庭と同じようにお母さんが趣味の花が生けられており、折角あるのだからと、そこまで思い入れが無いにも関わらず、何となく習慣で私も水をやったり、台風などの荒天の時は自室に避難させたりと世話を焼いていた。

…とまぁ、とりあえずはこれくらい触れておけば、何となく想像は出来たと自己完結する事にして、いつまでも自宅紹介をしていても仕方が無いので話を戻す事としよう。



「あはは、地味とか服装は関係ないってばぁ」

と、私が言ったセリフに瞬時に引っ掛かったらしく、一向に熱が引く様子の無い麻里は苦笑交じりに返した。

「どんな服装だろうと二人が並んで、こんな如何にもお嬢様って感じの家とかをバックに立っているっていうのが、良いんだよぉー」

「い、いやぁ…」

と、これまた毎度の事だが、麻里のこの様な言葉には、私と律はただ顔を見合わせて笑う他に対処の仕方が無かった。

なんせ、この場で言えば紫や藤花みたいに、あからさまに冗談だと分かる態度なら、こちらからも反撃のしようがあろうってものなのだが、麻里のはどう見ても冗談調ではなく、本人自身も何かにつけて直接言っているが、それが本心からなのが、付き合いが長くなれば長くなる分、現段階でわかってきてしまっており、小学生時代から今までも、朋子を始めとする地元の友達にも同じタイプがいない訳では無かったのだが、彼らよりも輪をかけて強烈なあまりに、今だに私としてはどう対応をしたものか決められずにいた。

なので、ただ誤魔化しの苦笑いを漏らすしか無いのだった。


「もーう…わかったわよ。そろそろ本当に時間が無いから、さっさと撮っちゃって、早く出発しましょう?」

と結局は、これといった説得力ある断る理由を毎度と同じく思い付けないあまりに、今回も同じように、なし崩し的に受け入れる事に決めた。

言い終えて隣をチラッと見ると、観念した苦笑いが浮かんでいる律の顔が見えた。

…ふふ、そう言葉を発しながら、修学旅行のひと時を思い出したのは勿論だ。

それはさておき、全員で写真撮影というのは、さっき皆で合意したように”ナシ”だと思ったが、ただまぁ…うん、私と律の二人だけの写真ならば、別に裕美を除け者にする事にはならないだろうと、そう考えての結論だった。

いちいち口にはしなかったが、恐らくそれくらいの考えは皆も至って、その上でのこのノリだったのだろう。

まぁ…ふふ、毎度とはいえ、律もそうだろうが私も乗り気では到底無かったが、まぁでも裕美が喜ぶという、本当かどうか…ふふ、まぁ私たち二人をからかうのと同時に笑顔になるだろう姿は容易に想像出来たのもあり、まんまとその点では納得して乗っかってあげる事にしたのだった。

撮った写真を、新聞には使わないでと念押ししたのは勿論だ。


それに同意してからというものの、すっかりカメラマンモードになった麻里に、アレコレとポージングの指図をされながら写真撮影が始まった。

立ち位置は、さっき本人が言ったように、玄関と門扉の間にあるアプローチのほぼ中間地点という、建物をバックにちょうど立っていた場所が良い位置だと、移動の要望は無かったが、それからは、カメラに対して真正面ではなく少し斜めにして立つように言われたり、日傘の差し方なども指導された。


んー…ふふ、もしかしたら、これを聞いてくださっている方の中には、よくもまぁそんな面倒な事に付き合うなと思われる方もおられるかと思う。…ふふ、こんな言い方は麻里には悪いけれども。

しかし結論から言うと、不満が一切ないかと聞かれたら違うと答えるが、それは動機がという意味であり、写真を取られる事自体は、ここだけの話をすれば、どちらかと言うと楽しんでしまっている私がいる事を白状しなくてはいけない。

というのも、これは久しぶりに話すと思うが、私という人間はやはり、それがどんな事だろうと、大なり小なり貴賎も当然関係なく、何かに一生懸命になっている誰かの、何かの姿様子を眺めたり、ついでに言えば話を聞いたりするのが大好きなのは、物心ついてから今に至るまで変わらずにきていたのが大きい。

…いや、むしろ歳を重ねるごとに、その度合いは強まるばかりだと自覚する毎日だ。

これはまぁ勿論、義一という人間と出会った事がキッカケとしては大きいなのは間違いなかったが、それに加えて師匠や京子、数奇屋に集う様々なジャンルに帰属して日々鍛錬を積み重ねている人々の話を直に聞いていて、自分で言う事ではないが薫陶を受けられているのがまた大きい要因となっているようだった。

…っと、また話が逸れたが、要はカメラを構えたり外したりと慌ただしく動く麻里の様子がとても微笑ましく思えてしまい、動機で呆れた心地に毎回させられてるというのに、いざ撮影が始まってしまうと、最終的には面白がっているのが常なのだった。


「琴音、もっと笑顔で」

「律も顔がこわばってるよー」

といった風に、紫と藤花が麻里の背後から野次としか思えない声を、二人揃ってニヤケ顔で飛ばしてくるのに、ジト目で反撃しつつ、数分間の撮影会は終了となった。

「おー、よく撮れてる」

「うんうん、良い写真ー」

麻里の周りに集まって、カメラ背面の小さなモニターに出された早速撮ったばかりの写真を眺めながら、各々が感想を漏らした。

うん…ふふ、認めたくは無いが、確かに二人が並んで写る写真は良い感じだった。…ふふ、嫌々写された私が言うのだから間違いない。

「…ふぅー、二人ともありがとう」

と満足げに息を吐くと共に声をかけてきた麻里に対して、「いーえー」と、私と律が呆れ笑いで返すと、麻里がカメラをしまい終えるのを待ってから、一度空気を切り替える意味でも柏手を一本打った。

そして、皆の注意が自分に集まったのを確認すると、当初の予定では真面目ぶった表情をするつもりだったが、しかし結局はそんな自分に吹き出してしまい、最終的にはニヤケつつ言い放つのだった。

「…さてと。もうやり残したことは無いわね?それじゃあ…ふふ、出発しましょ?」

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