secret base〜駆け抜けて壮春
マッスルアップだいすきマン
第1話 プロローグ
「大西ちゃんさぁ、最近何かいいことないの?」
隣の課のおじさん、田代がそのニヤけた顔のまま、眉間に皺をよせながら俺に訪ねてきた。
「ビットコインは塩漬け状態ですし、株だって含み損確認するのが怖くて見ていないですよ。田代さんこそ人生楽しそうでいいですね。」
「バカいうなよ。パチンコだって渋いし、飲みにだって行ってくれるやつがいない。」
田代はひとつ上の階からやってきて、たまたま同僚が離席していた俺の隣の席に勝手に座りふんぞり返っている。偉そうにしているものの、その虚ろな表情は隠せない。暇を持て余している反面、孤独なのだ。
「俺は飲みにもパチンコにも行ってないですよ。子育てで精一杯です。」
田代は俺のおざなりな相槌に少しイラついたのか、大きな声をあげて笑いながら言った。
「バカ言っちゃいけない。子育てなんてそんなもん嫁にやらせておけばいいじゃんかよ。どうせ隠れて悪いことしてるんだろ。」
「田代さんこそそんなこと言って悪いことしてるんでしょう。悪い大人だなあ、全く。ほんと悪いことばかりして。」
俺はそれまでパソコンに向かいながら駄話に相槌を打っていたが、田代の方を向きニヤケながら上目遣いをした。
「おう、そうだな。あ、あいつ戻ってきた。じゃあな。」
田代はまんざらでもない表情をしながら、戻ってきた俺の同僚に会釈をして去っていった。田代の後ろ姿を一瞥し、ふー、とため息をつきながら俺は改めてデスクに向かいパソコンを打ち始めた。おっさんへのヨイショはつくづく非生産的だ。「悪い人」と言っていれば大抵のおっさんは満足する。だが田代のような仕事だけがアイデンティティのおっさんにはいわゆる悪いことはできないのだ。田代はおっさんの快楽の3Sと言われる「酒、説教、セックス」に満たされていない。やれて酒と説教なのだが、パワハラが社会的問題となりコンプライアンスが厳しいご時世部下を無理やり飲みに連れ出すことも、説教を喰らわすことも自由にはできない。そんなわけだから煙草を吸いにいくように、気持ちいい言葉をかけてくれる俺の所なんかにわざわざ来てドーパミンを脳内に分泌させるのだ。
だが俺は違う。俺には「恋愛工学」があるから。
他のおっさんのことなんて正直どうだっていい。重要なのは世界で最も大切なおっさん(=自分)が果たして悪くなれるかどうかだ。すなわち俺そのものが3Sを満足に手に入れられるかどうかー。悪というからには社会的規範や道徳をある程度踏み越えなければならない。この世には見えるものも見えないものもあらゆる規範・道徳で満ちている。例え違法ではなくても義務教育で植え付けられた規範、またそれよりも人類が太古の昔から直面し続け海馬に深く刷り込まれている恐怖。それに打ち勝き強いオスになって初めて悪くなれるんだ。
正直、そのことを悟り、実行ができる人間はほんの一握りであろう。しかしテクノロジーの発展によって、真理は凡人の俺にさえ女神の微笑みを見せてくれた。インターネットには宇宙が広がっている。膨大な情報のなかで、たまたま、本当にたまたま、おれはその石ころを拾うことができた。全員おっさんだ。傍から見たらおっさん達が見苦しく年不相応に汗と涙を流す気持ちの悪い集団であろう。結婚している身でありながらいい年して仕事もそこそこに女の尻を追いかけ、スポーツにいそしむ。言いようによっては反社である。だがしかしそれは俺の抑圧された俺の魂を救済した。その救世主こそ俺の、俺たちのシークレットベースだ。
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