雪を溶く熱

松本 せりか

雪を溶く熱

「はぁ。さむ~い。もうどうにかなんないかなぁ~、この寒さ」

 私、斎藤美冬は、白い息を吐きながら両手を口のところに持っていき、はぁ~と息をかけながら言った。

 スプリングコート着たくらいじゃどうしようもない寒さになっている。


「三月だというのにねぇ~。雨が雪になっちゃってるよ」

 同僚も春物を着てきたことを後悔していた。


 だって今朝は晴れていて、暖かな春の日差しがぽかぽかとって感じだった。

 とんだ詐欺だって誰もが思うだろう。


 地方の公務員は気楽だって思われているけど、実際はそうじゃない。

 結構、残業だってあるんだ。

 特に年度末の3月は、女性だって夜中までの残業になる事もあって、実家を出て役所の近くに家を借りていた。



「お疲れ様。また明日」

 今日の分の事務処理が終わり、やっと帰宅の途に就ける。

 凍え死ぬ前にお家にたどり着かなきゃね、私はそんなことを考えながら足元をみる。


 雨から雪に変わってしまって道はべちょべちょ、かろうじてうっすら雪で白くなっている程度だ。

 しかも、この寒さでアスファルトに薄く積もった雪が凍りはじめている。

 滑って転びでもしたら大ごとだ。

 

 屋根や草の上は白く、きれいに積もってるのにね。


 駅の方に行く同僚と別れて、自宅に急いでいると人影が見えた。

 長身の男性、少し背を丸めズボンのぽっけに手を入れてたたずんでいる。

 肩に薄っすら雪が積もっていた。


「よぅ。美冬」

「何の用? 松村さん」

 私は、瞬間ムッとした顔をしたんだと思う。

「そんな顔をするなよ。

 ……もう、秋人って呼んでくれないのか?」


 何を今さら……。

 私は足早にそいつの横を通り過ぎようとした。近づきたくはないけど一本道なんだから仕方ない。

 そいつのせいで、忘れていたんだ。

 今私が歩いている道が、雪で凍っていることを。


「きゃ」

 案の定、思いっきりすべった。

「おっと」

 衝撃がいつまでも来ないと思ったら、後ろから秋人に抱き留められていた。

「大丈夫? また、滑りやすそうな靴履いてんなぁ」

 そう言いながらちゃんと私を立たせてくれる。

 その手はとても冷たかった。


「いつから待っていたの?」

「あ~、夕方の5時くらい? 終業がそのくらいだと思っていたから。

 公務員も残業なんてあるんだな」

 目の前で、へらっと笑っているけど、今が9時過ぎだから、もう4時間くらい待っていたことになる。


「馬鹿なの? どっか店に入ろうとか思わなかったの?」

「だって、目を離したすきに美冬が帰ってしまったら、もう会えないから……」

 今までだって会って無かったのに、もう会えないって。


「うちに来る?」

 そう言うと秋人が、ぎこちない表情かおになった。

「いいの? 俺を部屋に入れても」

「変な事をするつもりなら、入れない。

 外で凍死でもなんでもするといいわ」


「…………変な事なんて、しないけど。

 でも、いいの?」

 私はため息を吐いた。


「幼馴染のよしみよ。うちの近所で死なれでもしたら後味悪すぎるわ」

 そう言って私は歩き出した。

 その後を、秋人もだまって付いてくる。


 もう会えないって言っていた。


 誰も居なかった部屋は、冷え切っている。

 安アパート、1LDKと言えば聞こえが良いのだけどね。

 私は電気をつけ、ヒーターを入れる。

「どうぞ。適当にくつろいで」

「お……じゃましま~す」

 のそのそと秋人が入って来た。


 お部屋、片づけておいて良かった。

「お茶でも入れるね。それとも何か食べる?」

「いや。お構いなく」

 秋人はそう言いながら、ちゃぶ台のところに座った。


 お茶とおせんべいなんかを出して私も秋人の前に座る。

「で? 今さら何?」

「俺……さ。今度、辞令が出て関東の方に転勤になったんだ。

 それで……」


「行かないわよ」

 私は、秋人が何を言おうとしているのか分かってしまった。

「何で?」

「私はここにいるの。ここで生きていくのっ」

 とまどうような顔をして見ている秋人が憎らしい。


「行けるわけないじゃない。

 あなた、私たちがいなくなった後の事考えたの?

 家族が、『また、あそこの子は』って言われるのに、わたしたちだけ逃げるの?」

「お前だってこの町にいる限り、そんな目で見られているじゃないか。

 俺のせいなのに、俺が……」







 片田舎の、ご近所がみんな仲良く協力しあっている。

 そんなところに生まれた私たち。

 過疎化が進み、生まれた子供は貴重な財産。



 幼稚園も小学校も1クラスで、学年を超えて同じ教室で授業を受けていた。

 誰も彼もがみんな仲良し、そんな幻想に浸ってられた。


 中学は少し離れたところに通う。

 いきなり大勢の中に入れられた。最初は町の子たちで固まっていたけど、一学期も過ぎる頃には、それぞれに友達を作っていった。


 そんな時、新しい環境に馴染めずにいた私のそばに寄り添ってくれたのが、松村秋人。

 幼稚園児……いや、もっと前から仲が良かった幼馴染。

 私は、そばにいてくれた秋人に依存するように、くっついていた。


 当時、秋人がどう思っていたのかはわからない。

 私は一人になりたくなくて、秋人のそばにずっと居続けた。


 だから、高校に入って部屋で二人っきりになった時、私は秋人を拒まなかった。

 だって、当時の女子高生は男と付き合ってそういう関係になった事を自慢していた。悪いことだなんて思わなかった、妊娠してしまうまでは……。


「申し分けありません」

 秋人のお母さんは、秋人と一緒に私と私の両親に土下座をしていた。

 秋人は、一生懸命「責任を取るから……」と言っていた気がするけど、大人たちは誰も取り合わなかった。


 小さな町。みんなが知り合い、仲良しで……。


 あっという間に、噂が広まった。

 私は高校を転校せざるを得なかった。隣町の全寮制の女子高……そこでも、噂する人はいたけれど、だからどうだという事も無かった。


 町の酷い噂の中、秋人は学校を転校することもなく、同じ高校に通い続けたんだという。その高校をトップに近い成績で卒業をして、関東の方の大学に進学していた。

 そして、この町で就職をする。


 私たちは、その間一度も会っていなかった。なのに、今さら……。



「もう、良いんじゃないかな。

 あれから10年も経っているんだ」


 確かにもう誰も何も言わないのかもしれない。

 だけど、私があの時逃げたせいで、母はまだ噂話が聞こえるたびにビクッついているのがわかる。


 なにより、あの時の私は恋愛感情も無く、秋人に抱かれていた。


「うん。良いと思うよ。秋人は、もう解放されても……」

「いや。そうじゃなくて。俺は……」

 秋人は私の方に詰め寄ろうとして、私を見てその動作を止めた。


 私は、あいまいに笑っていたんだと思う。

 あの時、秋人に押し倒された時の様に……。


「これ、新幹線の切符。

 とりあえず、一緒に来てくれたら嬉しい」


 それだけを言うと、秋人は私の部屋を出て行った。

 外を見るとチラチラと小雪が舞っている。

 私は視線をちゃぶ台に戻し、秋人が置いていった新幹線の切符を見つめていた。




 駅のホーム。

 新幹線が発着する駅は、私が住んでいる町から一時間も列車に乗らないといけなかった。

 秋人がくれた切符と旅行鞄を持って新幹線のホームに向かう。



 秋人が遠目に見えた。

 列に並びながら、時々誰かを探しているような仕草をしている。


 その姿を見た途端、私の足は根っこが生えたかのように動かなくなった。

 なぜだろう? 昨夜、一生懸命考えて、考え抜いてここに来たのに。


 新幹線がホームに入って来た。

 乗客が次々に新幹線に乗っていく。そのうちに秋人も新幹線に乗ってしまった。


 発車メロディが鳴って、新幹線がホームから出ていく。


 頬に違和感を感じて手をやると、涙で濡れていた。

 私にはわからなかった。あの時の気持ちが何だったのか。


『責任を取るから、赤ちゃんを殺さないでくれ』と叫んだ秋人の声も聞こえないふりをして、赤ちゃんがお腹から居なくなった時の喪失感にさえ目をつぶって。


 だけど、愛してた。依存していたのかもしれないけど、それでも。

 それでも私は、秋人の事も、秋人との赤ちゃんの事も愛しいと……。


 新幹線が出て行った後の、閑散としたホームで私は長い間泣き崩れていた。

 

                             

                              おしまい

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雪を溶く熱 松本 せりか @tohisekeimurai2000

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