メイドは親身になる⑨

 翌日から、俺の屈辱的くつじょくてきな日々が始まった。


 底階級のクラスは存在しなかったので、俺は地階級のクラスに配属はいぞくされた。


 軍学校には勇者の卵以外の、普通の人間の生徒も通っていた。


 パラの因子を持ち、物心付く前からパラの修練に打ち込んできた生徒たちである。


 勉強や運動と同じで、その優劣でクラス分けすると、どうしても人口比はピラミッドの形になってしまう。


 地学級の生徒が最も多く、総勢五十人の二クラスがあった。


 そんな生徒たちから見て、勇者の卵という存在はどう映るだろうか。


 考えるまでもなかった。たった一ヶ月の修練で、自分たちより優れた階級に上がっていく姿は、嫉妬しっとの対象にしかなり得なかった。


 努力ではどうにもならない、才能だけの世界。


 そうして矢面に立ったのが俺だった。


 本来は行き場がなく、内輪うちわで消滅するはずの恨み辛みというものを、ぶつけてきたのだ。


 なぜなら、俺にはまったくパラの才能がなく、報復ほうふくされる心配もなかったからだ。


 勇者という存在に対する負の感情を一身に引き受けるのは、想像以上に俺の精神を削っていった。


 直接的な暴力はなかったけれど、目が合う度に鼻で笑われ、ぎりぎり聞こえるくらいの声で陰口をいわれた。


 連絡事項は回ってこないし、机や椅子に落書き、教室の外に放り出されていることもしばしばあった。


 地階級担当教官の丸眼鏡出っ歯も、見て見ぬ振りだった。


 俺一人が責め苦を耐えることで、クラスが一丸となるなら、それでいいと考えているのかも知れなかった。


 その日、俺は休日に初めて図書館へ足を運ばず、リーンホープの城下町を散歩することにした。


 気分転換したかったというのが大きかった。


 嫌がらせも少し経てば収まるかと思ったが、飽きもせずあの手この手でしつこく続いていた。


 ここ数日、パラの修練にも身が入っていないことを自覚していた。


 思えば、こうして自分の目でリーンホープの町並みを見るのは初めてだった。それほどまでにパラにのめり込んでいたのだ。


 エターニティが「パラに飲み込まれるな」と口を酸っぱくしていっていたが、パラを得る前に魅了みりょうされていた俺がパラを扱えるようになった日には、一体どうなっていたのだろうか。


 もしかしたら、こういう心構えで居たから、神々は俺にパラを与えてくれなかったのかも知れなかった。


 せっかく町に出てきたけれど、俺の思考は相変わらずパラに支配されていた。


 ふと、少し前を見知った男が歩いていた。天然パーマで豚鼻のブギィだ。俺の記憶が正しければ、天階級に振り分けられていた。


 印象的な面なので覚えていたが、特に言葉を交わしたこともなかった。


 癇癪かんしゃく持ちで、粗暴そぼうで、どちらかというと関わりたくないタイプの人間だった。


 ブギィは雑踏ざっとうのど真ん中で大手を振って歩いていた。


 危なっかしいなと思いながら観察していると、案の定まだ年端としはもいかない子供にぶつかり、転倒させた。


 ブギィはその子を一瞥いちべつすると、何事もなかったように我が物顔で歩き出した。


「おい、ブギィ。ぶつかったんだから、謝るくらいはしたらどうだ?」


 ちょっと苛立いらだっていたのもあった。


 普段の俺は棘の柔らかいネオポルテリア属のサボテンだが、今日は強刺類きょうしるいくらいの立派な棘が言葉に含まれていた。


「あん? 誰かと思えば、底学級野郎か。無知なお前のために親切でいってやると、あれは人類の奴隷だぜ。道具なんだよ。ひっくり返して、それに謝る必要がどこにある?」


 その子供は褐色かっしょくの肌に長い耳を持っていた。


 人類がダークエルフを捕らえて、奴隷として働かせているというのは、タヅサから聞いたことがあった。


「その理屈だと、倒したコップをそのままに生活しているのか。不便ふべんだろ」


「どこの世界のコップが勝手に起き上がってくるんだよ」


「そうだ、道具は勝手に起き上がったりしない。この子は生きているからな」


「うぜーな。パラも使えないくせに、口だけは達者たっしゃだな」


「パラを使えることがそんなに偉いのか?」


 自虐じぎゃくや負け惜しみと思われるかも知れないが、俺は力を振りかざして他人を見下したりするような、さもしい性格はしていない。


「その通り、この世界ではパラこそが正義だ。パラの優劣がその者の価値といっても過言ではない。パラの才能があったというだけで、貧民街の捨て子から伯爵になった男も居るくらいだからな。だからな底階級野郎、これ以上屁理屈を並べ立ててこの俺を苛つかせるなら、痛い目を見ることになるぜ?」


 ブギィは獰猛どうもうな笑みを浮かべて宣告した。


 この辺りが潮時だろう。


 これ以上、見ず知らずのダークエルフの子供のために体を張る義理はなかった。


 しかし、ここで引き下がるのは、どうにも納得いかなかった。


 胸中で天秤てんびんの腕がシーソーのように揺れ動いた。


「――その理屈でいくと、僕より劣っている君は、この場から引くべきだね」


 そう高らかに言いながら参上したのは、金髪碧眼へきがんの雰囲気イケメン、ディートだった。


 その言葉通り、ディートは七人の神階級の一人だった。


 この世界において、勇者の卵は異性からモテる。


 特に神階級となると、画面越しでしか見たことのないような売れっ子芸能人の出待ちばりに、軍学校の校門前に女子たちが手紙を持って集まっていた。


 力を持つ者が異性の気を引くというのは自然の摂理せつりだが、それも妬みの一端となり、皺寄しわよせが嫌がらせという形で俺のところへきているわけだが。


「ディート……」


 ブギィは険しい表情を浮かべた。


「十秒以内に僕の前から消えろ。さもなければ、僕が君を消す」


「どうしてテメェがそいつの肩を持つんだ」


「十、九、八、――」


 はなから言葉を交わすつもりのなかったディートは、無慈悲むじひにカウントダウンを進めた。


「くそ、覚えてろよ」


 ブギィは負け犬の如く尻尾を巻いて逃げていった。


「どこか痛いところはないかい?」


 ディートはへたり込んだままことの成行きを見守っていたダークエルフの子供に、優しく手を差し伸べた。


「あの……、私などに触れては手が汚れてしまいます」


 ダークエルフの子供の方も立場を弁えているようで、卑屈な態度だった。


(こんなのが、この世界では当たり前の光景か……)


 ひん曲がっている。


「それじゃあ命令しよう、僕の手をつかむんだ」


「……はい」


 ディートといえば女好きで、修練が終わるとすぐに女の子を連れて町で遊び回っていたという噂は耳にしていた。


 女の子の食事代くらいなら、王国からの支給金でどうにでもなるからだ。


 その支給金が、王都で汗水流して働いた人々の税金だということは理解しているのだろうか。


 不真面目なやつで、いつも手を抜いている印象が強かったけれど、神階級に振り分けられた一人である。


 正直羨ましくもねたましくも思っていたが、根はいい奴なのかも知れなかった。


 そう見直したのも束の間、ダークエルフの子供は突然目を丸くすると、両手で股間を押さえた。


「ちぇっ、男かよ、助けて損したぜ」


 俺は一瞬何が起こったのか理解できなかったが、ディートの発した言葉で全てを察した。


 ディートは吐き捨てるように言い残すと、その場を後にした。


「あの、ありがとうございました」


 ダークエルフの男の子はこちらに向き直って頭を下げた。


「気にしなくていい。それより、その足痛くないのか?」


 ダークエルフの男の子の足は、転倒した際にいて血がにじんでいた。


「はい、これくらいつばを付けておけば治ります」


 気分転換の散歩のつもりが、この世界の嫌な部分を見ることになってしまった。

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