妹は企む②

「もうこんな時間か、そろそろ帰らないと」


「また明日、でいいんだよね?」


 琴音は胸の前で手を組み、少し寂しそうな声でいった。


「ん? どうかしたのか?」


 琴音が入院して以来、俺は一日たりともお見舞いを欠かしたことはなかった。両親は新型黒死病で既に他界しており、俺と琴音は互いにとって唯一残された家族だからだ。それ故に、琴音がこういうことを口にすると胸がざわついた。


 ちなみに、両親が亡くなったのは琴音が生まれてすぐのことなので、悲しいという気持ちはなかった。顔や声も覚えていなかった。写真は一応残っていたけれど、普段はアルバムに入れて片付けてあった。


「兄さん、少し疲れているように感じたから」


「うん? 別にいつもと変わらない気がするけど」


 昨日は夜更かしもしていないし、体育の授業で長距離を走ったわけでもなかった。咳も出ていないし熱っぽくもない、体調が悪い感覚もなかった。


「でも、家に帰るまでは気を付けて、車とか」


「ああ、わかったよ」


 一抹の不安を抱えたまま施設を出ると、俺は少し遠回りをして帰路に着いた。西日が水平線に沈みゆく光景が好きで、この海沿いの道を通ることが多かった。人通りが少ないのも気に入っているポイントだ。


 ふと、目の前を歩く同じ高校の制服が目に留まった。


「おーい、夢海むかい!」


「お、天光」


 虎城こじょう夢海はいわゆる捨て子で、幼少の頃から同じ施設で育った。俺と同い年ということもあり、昔から琴音を含めた三人で一緒に遊ぶことが多かった。


 今の時代、捨て子というのは珍しいものでもなかった。それだけ社会が不安定だということである。


「こんな時間まで部活か?」


「大会が近いからね」


 夢海はぱっと見細身だが、空手部のエースである。年から年中、顔に絆創膏を貼り付けているが、それが夢海の顔の一部のように馴染んでいた。


「どうせ今回も優勝するんだろ。本当にすげえよ」


「試合に絶対なんてないよ。向こうは僕が相手だと、いつも以上に気合いを入れてくるからね。それに僕からすれば、成績学年首位をずっとキープし続けている天光の方がよっぽど凄いと思うよ」


「隣の芝は青いってやつだな」


「そうかもね」


「まあ、俺の場合は才能というより、テストでいい点を取らないと奨学金が出ないって理由だけどな。目的を持てば、誰だっていい点は取れるはずだぞ」


 医学部へ進学して、新型黒死病の治療法を発見する。そして、琴音をあの保護施設から連れ出すのが俺の夢だ。


「琴音ちゃんは元気にしてる?」


「ああ、元気だぞ。そうだそうだ、今度の日曜、暇か? 琴音がお食事会に来て欲しがってたぞ。どうやら美潮ちゃんと一緒に作るらしい」


「そういえば、最近会いに行けてないね。うん、日曜日は部活もないし、お邪魔させてもらうよ」夢海は爽やかな笑みで快諾した。「それにしても、琴音ちゃんと美潮ちゃんの手料理か、楽しみだな」


「あんまり期待しない方が身のためだぞ」


「天光は心配性だな。あの二人が作るなら、きっと御馳走ごちそうになるよ」


「味の心配をしているんじゃないけどな。それより、曇ってきたな」


 俺は周囲を見回しながらいった。先程まで西日で眩しいくらいだったのに、辺りは薄暗くなっていた。


「そうだね、予報だと今日は一日快晴のはずだけど」


 その時、俺は喉から食道にかけてムカムカしたので、ゴホンゴホンと咳払いした。すると、キンとした刺すような痛みが体内に走った。


「天光、それ血じゃないか!?」


「ん?」


 咳の際に口元を覆っていた右手の平に、鮮血が付着していた。


 まさかそれが喉の奥から出てきているとは夢にも思わなかった俺は、舌先で口内を押し広げた。口の中を切ってしまったと考えたからだ。


「何か変だ、視界にもやがかかって……」


 夢海は目を擦って、眉をひそめた。


「まさか、これは新型黒死病か……!?」


 新型黒死病に関してある程度の知識を持っていたので、俺たちが今まさに危機的状況にあると理解できた。


 新型黒死病には急性と慢性があり、俺たちの症状は完全に前者だった。新型黒死病による死者のほとんどが、この急性を発症し保護が間に合わなかった場合である。


「これが新型黒死病だって!? 二人同時になったのか!?」


「新型黒死病の特徴は感染者との接触の有無や年齢、性別、人種、地域に関係がなく、特定の座標範囲内で集団感染することだ。って、今はそんなことをいっている暇はないぞ。早く保護施設に避難し――」


 俺は琴音が入院している保護施設に駆け出そうとしたが、その場にすとんと落ちた。体に力が入らず、片膝を着いていた。たった数百メートル先にある保護施設が、果てしなく遠いものに感じられた。


「天光、大丈夫か!?」


「平気だ、先に行ってくれ」


「まったく、本当に君はすぐに嘘をつく」


 夢海はやれやれと溜息をつくと、俺の右腕を肩に担いだ。


「馬鹿、俺のことなんて置いていけ! 二人とも死ぬぞ!?」


「友達のために命を張ることのできる馬鹿なら、僕は馬鹿になっても構わないよ。それに、天光が死んだら悲しむ人が居るだろ」


 夢海は額に脂汗を滲ませながらぎこちない笑みを浮かべた。元々の体力で動けているだけで、辛さは俺と大差ないのかも知れなかった。


「琴音……」


 生きたいという気持ちとは裏腹に、俺の意識は急速に遠のいていった。

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