夢の中の魔法少女 11


 他方──、


「私は、夢使いだっ!」

 フォレストは大声で叫んでいた。が、すでに満身創痍でもあった。


 切り傷から鮮血が止まらない。悪夢は精神の世界故、本来ならば霊力によりどうとでも処置できる。つまりは、フォレストの霊力が限界に近づいていたのだ。


 ネコがいないと霊力の補強や補充は出来ない。だだでさえ敵の魔力とのダイレクトな戦い。消耗戦になれば後がない。不利な状況は明白であったが、フォレストに撤退の選択はなかった。「倒さねば、彼が飲まれる」悪夢の本体が実体化した深度では、それを見る当人もそう簡単には目覚めない。悪夢の本体を倒すか、或いは悪夢に飲み込まれて現世にもどるか、残された選択肢はもう多くはない。


「きゃははっ、今まで散々いいようにされてきたし、いい気味。ウチらに盾突く奴はこうなる。いい気味ぃーっ! あのウザい一匹に思い知らしてみるのもいいよねぇ、ねぇ、そう思わない? きゃはっ」

「こいつ──」

 夢魔の狙いは自分とネコ。フォレストは確信した。魔法少女(夢使い)は悪夢に忍び込み、夢魔を消し去り、人を悪夢から解放する存在。あくまで人の心を悪夢から救う存在。夢魔を倒すということ、それ自体は変わらない。がしかし今は、悪夢を仕掛ける側とそれを阻止する側、その両陣営の戦いに直接対峙している。そのプレッシャーは、フォレストにも経験がなかった。

 

 フォレストは、ネコと出会い、自身が夢使いになった理由を思い出していた。

「こんなところで、こんな夢魔にあっさりやられて終わるわけにはいかない」

 そう心に思いながらも、取りえる手段も限られてきていることを痛感していた。


「ネコ! 今どこにいる!? 私の衣装(防御)の霊力を全てバトルアックスへと切りかえて! ──お願い、届いて!」

 フォレストは心で叫び、どこにいるか分からないネコへ思念の波動を送った。


「フォ──?」

「フォレス──!」

「お、おい、フォ──、」


 人の思念は、唯一その絆にかかっている。それがどんなに遠くとも。


「おおっ! フォレスト無事か!? てか、そんなことしたら、おまっ、また真っ暗闇になるしや、光の加護も消えてまうんや。闇で奴の魔力が有利になりよるでぇ」

 遠隔からネコが波動で返す。が、その響きはこころもとないものだった。遠隔でのやり取りは、悪夢のこの深度では些か難しい。

「分かってる。でもどのみち、こいつ相手に目視だけでは対処できない。魔力の流れを読まなければ」

「やれるか!?」

「やるしかない、でしょ」

 フォレストはその目で夢魔を見据える。

「よっしゃ、せやけどワシ等が戻るまで無理するな! ええかぁ、いま少年とそっち向かっとる。それまでおまえはんの言霊で対抗して躱し続けろ。そんでやな、少年の精神力で光の加護を展開するさかい」

「どういうこと!? 悪夢の中の彼の心に感応できるってこと?」

「詳しいことは後や、なんや妙な感じやけど、少年の精神力をワシを通して霊力に転化できよるわ。それもかなりデカいでぇ。ちょっと待っとってやぁー!」

 とネコの波動を受け取った直後、フォレストの衣装の輝きがふっと消えた。


 辺りは、光の届かぬ宇宙の果てのように、暗黒となった。


「きゃはは! まさに陰キャね、もう力が全く無いぃ、光も出ないぃー!」

 闇に紛れた夢魔の鋭い突きがフォレストに迫る。フォレストは目を閉じ、辺りの波動の僅かな変化に心を澄ませる。


 暗闇の中、刃と刃を打ち合わす音だけが不気味に響く。いや正確には、刃を打ち合わす音と共に、少女の息遣いも。生死をかけた悲壮な息遣いが。


 狂気を思わせる金属音が闇を切り裂く。ギリギリギリと、戦斧の刃の上をカッターナイフの刃が相手の戦意を削るかのように走り、闇に火花を散らせる。フォレストの玲玲とした瞳と揺れる髪が瞬いた。


「ふーん、防御を捨てて攻撃に力を回したってことぉ? きゃはは、つまりもう後がないぃーっ!」

 水を得た魚のように、闇のそのものが自身であるかのように、縦横無尽に動き回る夢魔の少女。しかしフォレストは海の中のクラゲのように、ふわふわと漂うかの如く、すんでの所でカッターナイフの刃を躱した。いや躱すというより、刃先がごく微かに肌に触れた刹那、その軌跡を回避しているといった方が正しいか。少なくとも、完全な無傷では無かった。


 闇の中の戦い。血しぶきが舞っているかは、分からない。 


 ふらっと躱した直後、カウンターを狙いすましていたように、戦斧ハルバードが夢魔の喉元に伸びた。夢魔は首がはねられそうなところを慌てて横に回避、が、フォレストは素早く手首を返し、ハルバードの刃が更に夢魔の首を狙う。

          

「うぎゃっ、このクソぼっちぃーっ、小賢しいぃーっ!」

 夢魔の少女は闇に溶け込むように、その場に這いつくばってしのいだ。


 とそこへ、おぼろに一点の光が現れる。


 それは見る見るうちに大きくなり、暗闇を押しのけ広がった。光の中心に、一人と一匹、少年とネコの姿があった。


 少年は光に満たされた教室を見渡し、そしてその目を疑った。

 

 血の海、そう表現できる光景を目の当たりにするなど、思いもよらなかったであろう。魂の芯から震える恐怖。少年はそう心で感じ、そして叫んだ!

「杜──!」

 が、少年の叫びを遮るようにネコは彼の顔面に飛びつく。

「あかん、その名はここでは言わんといてぇ、そう心に感じたとしてもやぁ! すまん、ゆーとくの忘れとった」


 しかし、その少年の一声に、フォレストは動揺した。

「なっ──!?」

 その彼女の刹那の動揺を、夢魔の少女は見逃さなかった。

「これでトドメだからぁーっ!」

 夢魔の少女が悪意むき出しで吠え、フォレストに向かって突進する。逆手エッジアウトに持つカッターナイフが、恐ろしくも鋭く弧を描いた。


「うぐっ!」


 生々しい呻き、その声は、フォレストだった。

 

 少年とネコが放つ光の輪の中に、鮮血が噴く。

 

 夢魔の少女の刃は、フォレストの白い頸筋を切り裂いたのだ。


「きゃはは! 決まっちゃたぁーっ!」

 夢魔の少女の声音は、歓喜として響いた。


 素早く後方にステップし、ハルバードから閃光を乱れ撃つ。まるで弾幕のように。そして首筋を強く押さえるフォレスト。切り口は思いのほか深い。押えた手の指の隙間から、なおも勢いよく鮮血が流れ出る。


「深いっ、──あかん、頸動脈までいっとる、てか、こりゃ生身の方にも影響でとるかもしれんでぇ! フォレストーっ!」

 ネコは慌ててフォレストの元に駆け寄る。


「あはははは、もう遅ーい。もう動けなぁーい。まずはこいつにトドメ刺してぇ、ウザーい一匹はぁ、その後で始末するかなぁ。ウチらに対抗する邪魔な奴等。ここはウチらのものだからねぇー、邪魔者は消すのぉ」

 夢魔の少女が余裕たっぷりにフォレストとネコの前に出た。

 ネコは全身の毛を逆立て、

「こうなったら、対消滅やっ! ワシもただじゃすまん、せやけど貴様も散逸や」

「あれぇ? 自爆で逃げられると思ってんのぉ? もうあんたがアクセスするチャンネルは塞いでるんだからぁ、全部お見通しなんだからぁ」

「ま、まって、ネコ、わ、私に、全霊力を、ぶち込んで、まだやれる!」

 声を振り絞りながらも、ハルバートを片手下段の構えで持ち直すフォレスト。光の加護のおかげか、その眼光も、そして構えも、霊力は消えていない。


 そのフォレストと一匹と、夢魔の少女との間に、光を帯びた少年が立ちふさがった。


「もうやめろ! こんなこと、なんの意味が! って、あれ! 君は、南──、痛っ!」

 少年の言葉を遮るように、ネコはその足をがぶりと噛んだのだった。

「だから現世の名はやめたってぇ、て、ゆーとるやろ、夢魔に利用されとるだけとはいえ、ここは悪夢、勘弁してやぁ」

 ネコはコソコソとつぶやく。

 

「ええっ? なに? なんで!? ちょっ、精神侵されてんのに、こいつ、どうして問いかけてくるわけぇ? 何度も何度も、なんなの、こいつぅ?」

 夢魔にとっても、少年の精神力は想定外だったのか。 


「君は──、誰なんだ? 君は、本当の彼女じゃない。何者なんだ!?」

「いや、だから、悪夢の夢魔やっちゅーとるやろがぁ、単なる悪意を込めたイメージ像や、少年、おまえはんの記憶から拝借されとるんやろ」

 とぼやきつつ、ネコは悟った。理由は定かではないが、夢魔の魔力が少年の精神力に押し負けている。これでは、悪夢が彼を飲み込むことはできないと。


「ちっ、ウザい。そもそもこんな奴、こんなの聞いてないけどぉ。もうどうでもいい、ウザい奴は消すから! もうこいつなんてぇ、どーでもいいからぁっ!」

 そう言って、夢魔の少女は徐に、カッターナイフを少年の心臓に突き刺したのだった!


「え!?」

 

 グラっと、脱力し崩れるように倒れる少年。何が起こったのか分からない、といった目をしていた。「これは、夢? だよね? あれ?」そう心に言葉が浮かぶ。


「んなアホな、少年の魂を奪ったら、精神はおろか、この悪夢も消滅するやろ? 奴等にとっても意味ないやろ! この夢魔、アホなっ!」


 倒れる少年を素早く抱きかかえるフォレスト。 


「──も、」

 杜、乃、さん? あれ? なにしてるんだろう?

 

 言葉は出なかったが、少年は心でそう呟いた。そう伝えたかったのだ。「これは夢のはず、刺されても平気なはず、だよね? あれ、夢だよね? 平気だよね?」と自問しながらも、苦しくなってくる自身の体の感覚が、妙に生々しく感じられてきた。「なぜ? ぼ、僕は──」

 フォレストは少年を抱え、そしてその三白眼の瞳で見つめ返した。自身を認識されていることも、彼女は承知していた。

「杜──」

 乃、さ、ん。

 必死で声を出そうとする少年の口元は、声を発することなくそう動いていた。フォレストはゆっくりと顔を横に振り、そして不意に、その唇に、自身の唇を重ねたのだった。


「!?」

 

 その刹那、悪夢世界が、吹き飛ぶように眩い光に包まれた。


「あああーっ、まじでっかぁ──」


 ネコの呟きを最後に、全てが白銀の光に包まれ、真っ白になった。





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