クラスメイトの彼女 10

 しばしの沈黙が、僕たちの間に立ち込めていた。


 踏み込むべきか、それとも立ち止まり、待つべきか。僕は迷った。勿論気持ちを尊重する、寄り添うことは大事だと思う。でも、理由が分からなければ、見守る行動も知らぬ顔をするのと結果同じではないか? しかし、理由を言いたくないのであれば、仕方がないのかもしれない。それでも──、


 僕は自分の心に素直に動くことにした。踏み込まなくてもいい、行ける所まで、半歩ほど足を踏み出し少し近づくつもりで、彼女が言える範囲でいい。

 僕は会話を続けることにした。 


「どういう事?」

 と僕が訊ねたのを最後に、会話は止まっていた。

 彼女は「巻き込みたくない」と言った。裏庭の手入れに? という意味ではないように思う。では、クラスで孤立している彼女のこの空気、立場に、という意味だろうか? 自分と親しくなると、南埜茉莉自身のクラスでの立ち位置も、不安定になってしまう、ということだろうか?


「杜乃さん、もし言いたくなかったらいいんだけど、理由をきかせてほしい。僕が聞いたところで、なんの力にもなれないかも知れないけど、困っているなら、何かできないかと、僕は思ってしまうんだ」

 僕は心に浮かんだ言葉を正直に話した。

「そう、ありがとう、陽野君」

 少し間をおいて、彼女は俯き加減で、ぽつりと返事をしてくれた。

「でも、これは、上手く説明できないみたい。ごめんなさい」

 小さな声だけど「上手く説明できない」という言葉は、いつもの彼女らしくきっぱりとした口調で聞こえた。何となくではなく、強い意志のようなものを僕は感じた。


「そうなんだ。でも、もし、クラスの空気とか、気にしているなら、きっと問題無いと思うよ。僕もそうだし、それに中村もいるし、南埜さんなら、なおさら、その──」

 その時、杜乃さんは少し顔をあげ、その印象的な瞳をチラっとこちらに向けたのだった。なにか言いたげな目だと僕は思った。

「そう、──かもしれないわね。うん。そうね」

 僕は言葉を続けた。

「色々と気にすることは多いかもしれないけど、案外、気にしないでどんどん進めると、自分でも予想もしない、良い兆しが現れたりすることも、あるんじゃないかな」

 杜乃さんは聞きながら、ごくごくほんの少し、頭を微動させるように二回ほど頷いた。そして僕は続けた。

「花壇の手入れも進むし、それに、綺麗なものを彩ると、それを見る人の心が和らぐって杜乃さん言ってたでしょ、学校の雰囲気に対して行動すること、間接的でもとてもいい事だし、でもそれって、よく考えたらクラスでも、ほら、杜乃さんが僕や中村や、そして南埜さんと接することで、クラスの空気にも、和らぐ何かが生まれるかもしれないし、直接的というか、その──、折角なんだから、杜乃さんの笑顔も、その、す──」

 すらすらと言葉は出たのだけど、最後の最後で詰まってしまった。僕が話す間、杜乃さんはずっと僕を見据えていた。その印象的な瞳で「ん?」と尋ねるような風に見えた。

 正直なところ、僕は恥ずかしくなってしまったのだ。でも、言うべきだと、踏ん張った。

「その、折角というのは、その、杜乃さんの話してる時の笑顔も、とても、す、素敵だから。その──」


 言い切って、僕は最後に「うん」と頷く仕草をしてみせて誤魔化し、視線を外した。もしかしたら、顔が赤くなっているかもしれない。と思うと、さらに赤くなるかもしれない。


 様子から、杜乃さんは微動だにしなくなっていた。


 再び、僕たちの間に沈黙が立ち込めてしまった。


 が──、


「あっ、うんっ──、あ、ありがとう」

 と、杜乃さんはごく小さく咳払いをするような感じで、喉を鳴らしてから、返事をくれたのだった。

「うん」

 と僕は再び頷いて、チラリと彼女を見た。杜乃さんも俯き加減だった。でも何か、大丈夫なような気がした。


「でも、そうかな?」

「うん。そうだよ。それに大丈夫だよ。杜乃さんは、本当は人付き合いが上手なような気がする。僕なんかよりもずっと」

「そんなことはないわ。私、ずっと一人だったから。小学校の時も」

「僕は、そう感じないよ」

「陽野君は、買いかぶりすぎかも」

「そうかな。僕なんて、小学校の頃も中村がいなかったら、もっと暗い子供だったかもしれないし、元々根暗かもしれない。小さい頃、親戚の間ではお地蔵くんてあだ名でよばれてたんだ。地蔵のように静かでおとなしいから」

 そういうと、杜乃さんはごく小さく吹き出して笑った。周りの生徒達も色々と会話をしていて、クラス全体はやんわりとざわついていたが、そこに雫を一つ落とす程度にその声は響いてしまい、僕らは慌てて口を噤んだ。巡回している美術教師の目を気にして、しばらく黙って大人しくした。そして僕は、やはり笑顔が素敵だと思った。


「でも私、やっぱり苦手なの。そういうの。本当に」

 杜乃さんはそう小声で切り出した。

「うん。でも、なら、僕に少しは任せてみて。南埜さんが手伝うとなれば、きっと中村もやりたいと言い出すし、そうなれば、中村のペースに乗っかればいいよ。グループの輪の空気を気楽なものにする。中村の絶対的特殊スキルだから」

 そう言うと、杜乃さんは再び微笑んだ。 


「そう? うん。じゃあ、それをよく踏まえて善処するわ。でも陽野君、一つだけお願いしたいことがあるの」

「なに?」

「裏庭にいた、あのネコ。あのコのことは黙っててほしいの。いいかしら?」

「え!」

 野良猫のことを? でもそれって──、

「でも、猫が出てきちゃったら、そもそも秘密にできないよ」

「そうね。でも、出てこないわ。だから、お願いね」

 出てこない?

 

 そう言った杜乃さんは、さっきの笑顔とは違い、どこか不思議な瞳をしていた。




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