クラスメイトの彼女 4


「あ、あの、杜乃さんは、どうして、クラスの誰とも話さないの?」

 

 何を話していいか分からず、とにかく会話をと、焦った僕が咄嗟に言ったこと。言い終わってすぐに、僕は後悔した。

 

 彼女と向かい合って座り、肩掛けの画板を持ち、僕は彼女を見つめていた。

 その印象的な瞳に、つい目がいってしまう。


 人物写生なのだから、絵を描けばいいのだ。頭では理解していても、正直僕の心はそれどころではなかった。話をする機会なんだ、千載一遇といってもいいほどの機会なんだ。この時の僕の内面は、そういった思いで埋め尽くされていた。

 

「そうかしら?」

 そう言って彼女は、少し小首をかしげ、覗き込むような感じで僕を見据えた。遠くを見つめるようなその瞳。それを見返しながら、しまったと思った。そうだ、彼女は今、僕と話しているではないか。本当に最悪だと思った。


「いや、言い方がおかしかったね。ごめん。なんて言うか、あんまり、話さないよね、クラスの人と。つまりその──」

 言い淀んで、真っ白な画用紙を見つめた。


「そう思うのなら、そうかもしれないわね。陽野君がそう」


 彼女の声を聞いた瞬間、さらっと返してきた! と、そんなことが頭に浮かんだ。口下手とか、ぎこちなさとか、少し間を空けてからとか──、彼女に対してそんな風に考えていた? もしくは彼女にそれを覚られたかも知れない? 何故か思考が追い込まれるような、妙な焦りを感じた。変な考え方だけど、つまりは、心のどこかで、僕もそんな風に見ていたのかもしれない。でも違う、本当はそんなことはどうでもいいし、そんなことを確かめたいのでも、伝えたいのでもない。


「いや、それが変とか、そういうことではなくて、ただ、杜乃さんが授業のあと、いつもすぐに教室を出て行くから、何をしてるのかなって、ちょっと気になって、その──」

「そう」

 そう言って──、ただ「そう」とだけ答えて、彼女は言葉を続けなかった。

 

 沈黙してしまった。この次、僕はどう言葉を続けるべきか、などと急いで考えていると、彼女は言った。

「陽野君、さっさと描かないと、次の次までに仕上がるの?」

 え?

「あ!」

 そういえば、彼女はカサカサと鉛筆を動かし、描いていた。僕をだ。そうだ、彼女を描かなくては。

「話さないのは、話す必要性を感じないから。きっと、気が合わないと思うから」

 そして彼女は続けた。

「やることが、いっぱいあるの」

 やること?

「勉強? ──いや、勉強なんてどうでもいいって、以前言ってたね、たしか。気が合わない友達を無理に作る必要はないよね。でも、なんて言うか、話さないと、合うか合わないかなんて、分からないのではないかな」

「分からないと思う? 陽野君は」

 分からないか? 一般的には──、いや、現実はそんなこともない。

「そうだね。でも、万が一ってのも、あるかもしれないし。意外性というか、表に出してない面も、人それぞれあるかもしれないし」

 と僕が一縷の抵抗を試みると、

「そうね」

 とあっさり返して、彼女は視線を画用紙からチラっと一瞬だけ僕に向けた。

「杜乃さんは、他のクラスに友達がいるの?」

「友達なんて、いないわ」

「そうなの? 一人も」

「そう。ずっと、昔から」

 昔から?

「友達とかは、いらないの?」

「そんな暇はないの。小学生の頃から、働いているから」

 働いている?

「え、何故?」

「お金」

「お金?」

「必要だから」

 どうして?


 そう言って、彼女は言葉を続けるのを止めた。

 僕はさらに踏み込んで「どうして?」という言葉をかけるべきか迷ったが──、


「あ、お金って、どうして──」

 と言いかけたとき、美術担当教師の声が教室内に響いた。


「写生なんだから、そのまま見た目を描けばいいが、もちろんお互いがモデルで相手はじっとしてるわけではないから、まず最初によーく観察して、頭の中にイメージを持ってから線をひく。そして最初に大まかにあたりを付けて、頭のてっぺん、目、鼻、口、顎、その位置のバランスをとってから、細かく描いていく。いいかぁー」

 そう言いながら、生徒達の間をゆっくり歩き、そしてその歩みは、丁度僕たちのいる方に向かっていた。

「オイ陽野! まったく描けてないじゃないか? どうした、考えすぎてもだめだぞ、手を動かせ。ん? なんだなんだ、女子とペアで緊張してるのか?」

 などと、少し冗談ぽく、生徒達の笑いをとりたいといった感じで、僕に激励ととらせる言葉をかけてきた。

「すみません、絵、苦手で──」

「ほんとかぁー? そう恥ずかしがらずに、よーく杜乃さんを観察しろ」

 と言いながら僕の肩を揉む。当然のように、周りではクスクスと笑い声が上がった。「相手魔女だしねぇー」「かわいそー」「描きたくないよねぇ」「魔女相手に混乱」「陽野君、石化されちゃった」などという言葉がひそひそと飛び交った。


「あ! でも、きっと上手く描ける、と思います!」

 僕はそう言って、杜乃さんを見つめた。彼女の瞳は相変わらず神秘的で何を考えているのか分からない色をしていたけれど、彼女も真っすぐに僕を見返した。


「おお、なんだ陽野、肩もみで緊張がほぐれたか?」

 そう言って、美術担当教師は満足げに、他の生徒の方へと歩き出した。


 イメージを持って、まずはあたりを付ける。僕は線をひいた。


「あまり踏み込んで訊いていいものかどうか分からないけど、人に話したくないことなら言わなくていいんだけど、お金って、家庭の事情なの?」 

 僕は心に思ったことを、素直に出すことにした。


「うち、ひとり親だから、色々と大変なの」

 杜乃さんは少し俯き加減でそう言った。曖昧な返答で流されるかもとも思ったが、彼女は答えてくてた。そもそも「お金」というワードを出した時点で、それは、つまり、そうなのかもしれない。

 

 少なくとも彼女は、僕を、話す必要性を感じない相手としていない。そう思った。そして、そのことが、この中学校に入学して以来初めてと言ってもいいほどに、すごく嬉しく感じられた。


 次に、輪郭を大まかに描く。


「そうなんだ。それなら僕も似たようなもんだよ。僕のとこも、母子家庭だから」

 そう言うと、杜乃さんはふとほんの少しだけ顔を上げて、その印象的な瞳を大きくして、僕をじっと見据えた。何かがピンと彼女に当たったような気がした。


「僕の方は、母一人の母子家庭。母親と僕と妹の三人。父親は僕が小さい頃に外国へ仕事に行って、事故に巻き込まれて、そのまま帰ってきてないんだ」

「いつか帰ってくるの?」

「言い方が悪かったね。正確には、行方不明なんだ。生きているかどうかも、もう」

 言ってから、また少し後悔した。暗い話だし、楽しくはない。僕自身も、心が痛くなってくる。普段は極力話題に出さないようにしてきたことだけど、すんなりと言ってしまった。彼女もこんなこと聞かされて、困るだろう。

 

「そう」

 と一言だけ言って、彼女は黙った。


 しばらく、鉛筆の線を引く音だけが僕らの間を行き来した。


「私の方は、父親だけ。母は交通事故で亡くなったわ。私が小学生の時に」

 不意に、彼女の方から口を開いた。


 同じ、事故死──。


「そうなんだ」

 と返して、それ以上何を言えばいいか分からなくなった。お互いに暗い話に進んでしまった。家庭の事情、そもそもそうなるのが必然かも知れないけれど、いや、だから、会話が苦手になっていくのかもしれない。この時初めて、そう意識した。


 頭のてっぺん、目、鼻、口、顎。輪郭、バランスを考えて、何度も線をひいて、一本を探す。


「兄弟はいるの?」

「母と弟が一緒に事故にあって、母は亡くなって、弟は今も入院しているの。もう二年以上になるわ。だから、お金が必要なの」


 彼女は続けた。とてもさらりと、澄ました表情のまま。でもきっと、言葉にすると、心に痛みがよみがえってくるはずだと思う。


 細部の線は慎重に、そして何度も描きなおす。


「そうなんだ──」

 と僕は言ってから、言葉をためらった。僕に出来ることがあれば、なにかしら杜乃さんの力になりたい、話を聞いてあげたい、僕ならば共感できると思う、僕に出来ることはないかな、──いや、そうではない。


「杜乃さんが良ければ、忙しいのかもしれないけど、時間がある時だけでも、ほんの気晴らし程度でもいいんだけど、なにかしら意味があるならば、良いことだと思って、で、その、杜乃さん──」

 自分でも何を言っているのか分からなくなって、僕は言葉に詰まってしまった。彼女は無言で「なに?」と言っているのか、チラリと目を向けた。


「友達になって欲しいです。杜乃さん」


 思うままに、線を引いた。


 彼女は黙ったまま、遠くを見るような瞳で僕を見据え、そして静かに頷いたのだった。



 

 それから次の日、中村は事も無げに元気に登校してきた。が、代わりに杜乃さんがお休みだった。


 もしかして僕のせい? というのは自意識過剰が過ぎるかも知れない。というのも彼女は、どちらかというと休むことが多い。それで今まで、体が弱いとか、魔女だから儀式があるなど馬鹿な噂がクラスで広がっていた。今となっては、色々と大変なのだと僕には分かる。


「てゆーか、なんだか俺が休んでよかったみたいな口ぶりだなぁ、海斗」

「いや、そうじゃないよ。ただ、きっかけになったのは事実だよ」

「なんだよ。なんかいいなぁ、ちょー羨ましい。あーあぁ、俺も美術、女子と組みてぇ、南埜さんのあの凛としたお顔、写生したいよなぁー」

 と、中村はその人懐っこそうな顔をくしゃくしゃにして笑った。

「次の授業の時に頼んでみたら?」

「んなのできるわけねぇーよ。なんだよ海斗、お前は知らぬ間に杜乃さんと仲良くしてよぉ。てか、40代の中年のおっさんを写生なんかしたくねーよ、マジで。マジでキツイぜよ」


 とそこへ、南埜茉莉の取り巻き女子の一人、萩元が突然僕たちの会話に入ってきたのだった。

「ほんと美術のメガネとペアってキツイよねぇ、中村君。メガネのあの脂ぎった顔を観察するのだけでも鳥肌。でもそんな日に休むからいけないんじゃない」

「えっ! なに? 萩元さん俺とペア変わってくれんの? マジでぇっ! ちょー嬉しい! ペアだれ? 南埜さん?」

「なっ、何言ってるの! 代わるわけないじゃん。馬鹿じゃないの? マジ嫌だし。てか茉莉とペアとか絶対に許さないし」

 いかにも嫌そうに、その内面が染み出ているともいえるほど顔を歪めて中村を睨む萩元。南埜茉莉の取り巻き女子達とも、それなりに上手に接している中村だから、こういった風に気軽に話しかけても来る。

「なんだよ、優しくねーな。てっきりそのつもりだと思ったぜ。てか、俺の身にもなってくれよ」

「嫌だわ、絶対に。てゆーかさぁ、メガネ先生に頼んでさぁ、陽野君と組み直すようにお願いしたらぁ? だって陽野君、絵、全然進んでないんでしょ? てかさぁ、ぼっちの魔女とペアとかそっちの方が、陽野君、嫌よねぇ?」

 と、さもそうであるかのような妙な目つきで、僕に話を振ってきた。

「いや──」

 と、僕の返事を聞く間もなく彼女は続けた。

「マジでちょー無愛想でしょ? あのコ。見てるだけでイライラするわ」

「そうかぁ? カルシュウムが足りてねんじゃね?」

「うるさい中村。てゆーかさぁほんと酷いんだから、あの陰キャ魔女。あのコ結構休みがちでしょ? だからこの前、茉莉が英語のノート貸そうかって話しかけたら、いらないって即答して、ほぼシカト状態。マジで何様なの? てか失礼すぎない? ぼっちだからって、せっかく茉莉が気にかけて優しく声かけたのにさぁ。なにあの態度。茉莉優しいから気にしてないけどさぁ、みんな激おこプンプンよ、もう」

 いらないのだから、そう答えただけで、何故それがいけないのか。何故怒りを買わなければならないのか、僕には些か疑問だ。

「てか、いらねぇーなら、仕方が無くね?」

 と中村が言ってくれた。

「はあ? 馬鹿じゃないの中村! そもそも言い方よ、言い方!」

「まあまあまあねぇ。言い方ねぇ。──てか、その場にいたわけじゃねーから、わかんねーけどよ(小声)」

「中村君、あんたお調子者だから、理解できないわね」

「なんだよ、俺を見捨てるなよ」

「てゆーかさぁ、陽野君、嫌でしょ? あのコ。ぶっちゃけた話さぁ」

 と直球で訊いてくる萩元。


 この際、これも一つの機会だと思った。今まで、それなりにこの嫌な空気と交わらないように、避けるように、やり過ごしてきたけど、一つ一つはっきりさせていこうと決めた。中村のように器用ではないけれど、僕は僕なりに自分らしくしようと。杜乃さんの、友達として。


「嫌なことなんか、無いよ。全く。彼女は悪い人でも、不愛想でもないし、ぼっちでもないよ。彼女とペアで僕は、何の問題もないし、寧ろ上手く描けると思う」


 そう言い切ると、萩元は絶句し、中村も驚いたように僕を見た。


 沈黙と共に、妙な空気が流れた。が──、


「おいおいなんだよぉ、海斗まで俺を見捨てないでくれよぉ、俺の絵は上手く描けないのかぁ? 俺たち親友だろぉ?」

 と大袈裟に冗談ぽく言って、その場を和ませる、もしくは取り繕うと言った方がいいのか、沈黙を消してくれた。

「いや中村、そういう意味では──」

「ふーん。そうなんだぁ、へぇー、陽野君、あ、そうー! ふーん」

 そう言って、また妙な目つきでキッと刺すように僕を睨んでから、萩元は離れていった。


「海斗、そういうとこ、マジで正直だなぁ。すげーよ」

 中村は何か珍しいものでも発見したかのように、そう言うのだった。



  

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