夢の中の魔法少女 3
それで十体目であった。
フード付きの黒い外套が、マントのごとく翻る。少女がふわりと、子ウサギのように小さく跳ねると同時に、一筋の閃光が闇を貫く。彼女の操る戦斧、バトルアックスのひと薙ぎ。立ちふさがるのは、無数の禍々しい黒い影。それらはまるで案山子のように無力に見えるが、実際は彼女に襲い掛かっているのである。巨大な戦斧、彼女の繊手と一体をなすそれの軌道が余りにも速く、戦っているようにすら見えないのだ。鋭い刃が「ザグッ」と、妙に生々しい音と共に黒い影を両断する。そして靄のごとく消え去る。
「これも、本体ではないわ」
戦斧を縦一線に振り下ろした刹那、まだ体勢を整えないうちにフォレストは言った。
「せやね、まあ、分離体っちゅーか、分身っちゅーか、目くらましっちゅーか、まあ雑魚やね。こいつらなんぼ排除しても意味ないわなぁ、本体やらんと」
と彼女の足元で隠れるようにひたひたと歩む四つ足、ネコ。
「なんらかの見分けはつかないの?」
と言いながら、そのまま踏み出した右足を横向きに踏ん張り、体をくるっとひねって反転、今度は横一線に戦斧を振り切る。再びザグッと、不気味な手ごたえで黒い影を両断した。これで十一体目である。
「なんやこの校舎の中がけったいな感じでな、魔力の探知が今ひとつうまくいかんのや。しかしなぁ、フォレスト、ワシ等が通った後、天井も壁もボロボロやでぇ。窓なんか、リーゼントのツッパリがおった昭和の中学校みたいに割れ放題でバキバキ、悪夢とはいえ少年の夢、もうちょっと加減したれやぁ」
あまりに巨大な戦斧ゆえ、校舎内の廊下で振り回すのには無理があり、天井や壁もろとも叩き切っているのである。ゆえに彼女と一匹の通った後は、廃墟か戦場の破壊された建物そのものである。少女のそれとは思えぬ身のこなし、戦斧を操る妙技、見た目とは裏腹に、鬼神といえる荒々しさである。
「あ! もしかしてぇ、ストレス発散しとるん?」
その問いには答えず、複数の黒い影を柄の先端ですっ飛ばし、横一線ひときわ大きな閃光が煌めいたかと思うと、まとめてそれらを切り裂いた。その直後、榴弾砲の直撃を受けたかのような轟音と共に、教室のドアや廊下の壁が大きくえぐられ、消し飛んだ。
「ちょっ、ワシまで吹っ飛ばす気? 勘弁してやぁ」
「なら、この状況、早く対策を考えることね」
淡々と返すフォレスト。
「てゆーかなぁ、この黒い影、少年が通りすぎた後に、雨後の竹の子のようにニョキニョキ現れよるなぁ。こりゃ、この少年の深層心理っちゅーか、心の葛藤がその発生源になっとるのかもなぁ。それを悪夢が利用しとるんや。なんや、どことなーく同級生に似てたりしてねぇ、なんてねぇー」
この状況にまるで困った様子のないネコだが、その能書きを聞き流すかのように、フォレストは黙々と黒い影を倒していく。ネコの戯言は話半分に聞く。それが彼女と一匹の間の空気のようである。
「ネコ、魔力の濃度分布はちゃんと調べてるの? そろそろいい加減面倒なんだけど」
「やってますがな、でもまだ特異な波動はきとらへんわ。しっかし、黒い影に追われる悪夢ってゆーんも、なんや、ベタやなぁ。しかもヌルイ。ヌルゲーや。ひょっとしたらぁ、実はこれ、大した悪夢ではなかったのかもしれへんとか? 少年の精神力も普通レベルか? 見当はずれ? 骨折り損か?」
とネコがぼやいた直後、フォレストが足を止めた。
本当に倒すのが面倒になったのか? 或いは今更そんなことを口走ってしまったことに彼女が怒りだしたのか? などと考えながらネコは、フォレストの膝下に飼い猫のように体を摺り寄せてみせた。気まずくなると飼い猫のふりをして誤魔化そうとするのも言わば常習、癖である。女子は往々にして小動物の愛らしさに弱い、そんな俗説に基づいた、ある種の処世術のつもりだが、しかしながら可愛くは無かった。
「ネコ!」
ネコの猫らしい仕草もお構いなしに、足元に一瞥だけ入れ、そして前方を見据えるフォレスト。彼女の視線の先に「なんでっか?」と腑抜けた目を向ける四つ足だが、途端に尻尾をボッと大きく膨らませた。こういった反応は、現実の猫のそれに酷似している、或いはさせているのか。
前方には、それまでの黒い影とは明らかに質の違う、闇を凝縮したような漆黒の影が、忽然と佇んでいた。
「アレは、どうなの?」
「おうおう、なんや、なんやぁ、ちっとは骨のありそうなヤツ出てきよったでぇ。今まで倒したヤツとはまるで違う波長やな。とりあえずええ準備運動になったやろ。そろそろ本番てかぁ、こいつで十七体目か」
「十八よ」
とフォレストが返事をした直後、前方の漆黒の影、それまでのと比較して二回りも大きいソレから、瞬きすれば見逃すほどの素早さで、シュッと何かが飛び出してきた。腕と言っていいのか、或いは触手というのだろうか、鋭い刃のような黒いソレがが、距離にして七、八メートル、一気に伸び迫る。刹那、鈍い金属音が響いたかと思うと、瞬時に斧腹を盾にして防いでいるフォレスト。がしかし、なんと触手を伸ばしたはずのその本体が、いつの間にかフォレストのすぐ目前に立っていた。
「なっ!? なんやこいつ」
素早くフォレストの後ろに隠れるネコ。だがフォレストは表情一つ変えず、前蹴りでその黒い影をすっ飛ばす。が、その直後、蹴り出した右足を今度は軸足にして、すぐさま後ろ蹴りを繰り出す。その影は前方にすっ飛んだと思いきや、いつの間にかフォレスト達の後方から迫り、再びフォレストに蹴り飛ばされた。
「ゲッ、なんやこいつうっ! 瞬間移動なんかぁ?」
ネコがぐるぐるとフォレストの足元を右往左往する間にも、幾度と蹴りを繰り出し、その漆黒の影をすっ飛ばす。が、距離をとろうにも、すぐさま迫り来る影。しかも蹴り飛ばした方向とはまるで違う、前後左右デタラメな角度から、あたかも跳ね返ってくるかのように迫る。次第にスピードが増し、戦斧の突きや肘打ちなど、全身を使って応戦するフォレスト。だがそれでも、彼女は表情一つ変えていない。
「ゴム糸の付いたボールかっ! なんちゅう粘着質、フォレスト、こいつ最初の一撃でなんらかのリンクをお前に付けよったぞっ! いくら蹴り飛ばしてもすぐ戻ってきよる、まずリンクを断ち切れ、妙な波長の魔力がまとわりついてないか?」
「鬱陶しい」
と呟き、フォレストは前方から迫りくる黒い影を今度は蹴り飛ばさず、いなして掴み、組み倒した。倒された影からは無数の触手が一挙に飛び出し、フォレストを抱き込むように縛り上げるが──、縛り上げたはずのフォレストの姿が、そこには無かった。そして閃光が縦一線に走る。まるで薪を割るように、フォレストはバトルアックスを振り下ろしていた。
「大したこと無いわ。こいつも違うわね」
軽く息を吐き、戦斧を肩にかけるフォレスト。
「せ、せやねぇー」
平静を装いつつも、ネコの尻尾の毛は逆立ったままだった。
その漆黒の影を倒した直後、異変は起こった。校舎内から、まるで光の粒子が消え去ったかのように、一層暗くなり、辺りが暗黒となる。窓の外からおぼろげな光が中に差し込んでいる筈だが、何かに吸収されるように光は消え失せ、前方はまったく見えない。廊下は暗黒に包まれ、一寸先は闇となった。
「なんやぁ、こいつ倒したら、悪夢の深度がぐっと深まりよったでぇ、もう真っ黒や。暗闇と影どもの区別もつかん」
「そうね」
「とは言えや、さっきの奴、一撃でも入れれば引っ付き虫みたいに纏わりついてきよるし、今後は相手にせん方がええやろ、霊力の無駄やで。あんなん相手にしとったら、少年を見失ってしまうわ」
「魔力の波動の違いを、どうして事前に探知できないの? さっきの奴の気配は、私には分かったわ」
「えろうすんませんねぇー、別にさぼってるんやないでぇ、ただ、この校舎内がやなぁ、最初っから妙な波動に包まれててや、上手く探知できんのや」
「で、どうするの?」
「とりあえずもう雑魚の影は無視して、少年の元に進んで、直接少年を襲う奴を倒す、これやろ。本体はいつか実体を現して少年を直接襲うわけやし、その方が手っ取り早いやろ」
「で、この闇はどうするの? このまま盲目的に歩いていくの?」
「ったく、お嬢はんはせっかちなんやから。そんな冷たい物言いで、男の子に好かれへんでぇ」
そう聞くと、フォレストはおもむろに戦斧をくるくると大きく取り回し、何かを素早く小声で唱えた。すると戦斧がプラズマを帯びたように発光し、霊力を纏った状態へと一段階昇華するのだった。
「おいおいおい、バトルアックス一段昇華させてどないするんや? え? あれぇ? フォレストちゃん、おい、ちょっとぉ──」
とネコの言葉が終わらぬうちに、フォレストはくるっと身を一回転させ、ひときわ大きく横一線に振りぬいた。刹那、強烈な閃光が前方に広がり、猛烈な振動と爆音が轟く。
廊下の窓側の壁が、前方数十メートルにわたって、消失していた。
「校舎内が真っ暗なら、その校舎をぶっ壊して進めばいいんじゃない?」
「げっ! てゆーか! 実行してから改めて訊くのん、やめてくれへん? 下手したら廊下の床まで吹っ飛ぶやろがぁ。えげつないなあんたぁ」
しかし、壁が無くなったにせよ、校舎内の闇はそこにへばりつくようにとどまり、外から差し込むおぼろげな光も無関係に、まったく変わらず前方は漆黒の闇そのままだった。
「あちゃぁー、ほらぁ、もうこれやろぉ。壁壊しても意味ないやろぉ、校舎内に闇が満ちてるんやない、校舎が闇そのものやねん。これは消えへんでぇ、たとえ全部ぶっ壊してもな」
「……」
「あれれれぇ? 失敗したからって、しれっと黙ってやり過ごそうとせんといてぇ。ほんま悪い癖やでぇ、フォレストちゃん。ごめんね、失敗しちゃったぁ、てへぺろ、ぐらい出来たら、もうちっとモテるやろうになぁ、このコ、ほんま困ったもんやわぁ」
などと小動物らしからぬ程に顔をしかめて、些かの嫌味を込めて言うネコだが、やはり話半分で、しれっと表情一つ変えないフォレストである。これも、いつものやり取りであるかのように。
「で、どうするの?」
「なっ! ここまでやっといて、しれっと──」
「そんなのいいから」
「まあ、とりあえずやな、闇を照らすには光や。でも、校舎内に光は差し込まん。ただ、襲ってくる黒い影を回避できたらええんやろ。ほんなら、そいつらを判別するために、フォレスト、お前はんが光となればええやろ。光が強くなればなるほど、影は濃くなりよる。光に向かって襲い掛かってくるんやったら、見えるやろ、濃くなった影が。だから、まずはそのフードのコート、脱いでみ」
「え?」
少し怪訝そうに眉をひそめ、フォレストは渋々フード付き外套を脱いだ。この外套には様々な防御機能が備わっている。今は悪夢の討伐中であり、それを脱ぐのに抵抗があるのは当然である。とは言え、夢の世界ではすべてが精神力と霊力により生み出されている。外套を脱ぐと、それは彼女自身のイメージから消え、見えなくなる。戦斧、バトルアックスも含め、すべては必要な時に実体となって現れるのである。
「脱いだわ」
「まあ、こう言うたらなんやけどなぁ、コートも黒で地味なら、中の衣装もほんま地味やなぁ、フォレスト。もっと魔法少女らしくやなぁ、ヒラヒラの可愛らしいやつにしたらぁ? 色使いもピンクとか、あるやろぉ? もっと。てか、年頃の女の子やったら大概そうしはるんやけどなぁ、歴代でもそうやったしなぁ──」
「戦うために私はいるのよ。そんなの邪魔なだけ」
と言いつつ、自身の服にそれとなくチラっと一瞥を入れるフォレスト。
「さいですか。てかねぇ、うーん、ちょいと言いづらいねんけど。あー、やっぱあかんわ。てか! フード付きのコートの下にパーカーって、どんだけかぶり物好きやねん。まだフレアスカートなのが救いやけどなぁ、これでジーンズとかやったら、ほんまにちょー地味子やでぇ」
フォレストの眉がぴくっと動く。そして何故か満足げにネコがほくそ笑む。ポーカーフェイスを崩したやったぞ、とでも言いたげに。
「う、うるさいわね。防御機能にデザインは関係ない」
と反論しながらも、再び自身の服をチラチラと見る。痛いところをツッコまれた、確かに地味かも知れない、でもそれが何? といった感じか。パーカーの胸の辺りをそっと掴むフォレスト。戦うために悪夢に潜り込む夢使い(魔法少女)だが、現実世界では年頃の少女でもある。多少は気にしないわけでもない、といったところか。
「まあええわ。よっし、じゃあ、光を放つためにやなぁ、ワシのイメージと霊力で衣装を用意したるさかい、ええかぁ」
「好きにして」
そうしてネコは、フォレストに向かい、大きく鳴いた。と同時にフォレストの衣装がぱっと変化する。
「えっ?」
それは、純白のドレスであった。
フォレストの周り半径五メートル程、ふわっと明るくなった。
中世の貴婦人か、或いはウェディングドレスのように、ふんわりと広がったスカート、レース生地、様々な刺繍が華やかなで光り輝いている。そしてバトルアックスがさらに違和感となる。
「なによこれ!」
「ええやろぉ、まさに純白の花嫁ならぬ、純白の女神、戦う女神やでぇ。てか魔法少女やけど。白いだけでなくや、霊力の光、放っとるんやでぇ、ええやろぉ。ほんでこのレース生地、ドレスのシルエット、センスええやろぉ? チェリーボーイは確実にコロスでぇ。これやったら、影が接近してきても、すぐわかるやろ?」
「ネコ、前からずっと思っていたけれど、本当にあんたって大馬鹿じゃないの、どうしようもないくらいに。こんな長いスカートじゃ、動きづらいし、狭い廊下で影を避けきれないわ」
「そうけぇ、ほんなら、っとぉー」
再び大きく鳴き上げるネコ。すると、すぐさまフォレストの衣装が変化した。ドレスのふんわりしたスカートが、際どいぐらいに短くなる。
「ちょっと、ネコ!」
思わずスカートを抑えるフォレスト。先程までの戦闘でも、一切表情を変えなかった彼女だが、この時ばかりは頬を紅潮させ、動揺の色を隠せない。
「ほな、ミニでどうでっか? いつものフレアスカートよりも短いの、たまにはええやろ? てか女神というより、ちょいと天使っぽくなったなぁ。ほんなら、ついでに翼もつけたろか?」
「いらないわ!」
困惑に満ちた瞳、その印象的な三白眼でネコを睨みつける。しかし怒りというよりは、呆れた、或いは諦めの様子でもある。
「年頃の女の子はこれくらいでビビってたらあかんでぇ、ええ男捕まえられへんでぇ。ほら、ミニスカート穿くと足が綺麗になるってゆーやろ? お洒落には度胸が必要なんや、真冬で極寒の中でも可愛らしさのために生足ミニの女子の気合い、見習わなあかんでぇ。お洒落は忍耐! これやでぇ。戦闘でいつも見せるそのクソ度胸を、ちっとは女子力アップにも使ってみたらどないですかねぇ、なんてねぇー」
「……」
悪夢の中でお洒落して何の意味があるのか? と言いたげだが、これ以上この四つ足に何を言っても無駄だと、冷ややかに見つめるだけにする。こういうタイプは反論すればするほど、勢いを増すので「めんどくさい」ということを知っているのか。そして、そう直接「めんどくさい」と言葉にしてしまうと、ネコにとって致命傷となることも知っているのか。
「まあ、生足は防御面であれやし、ニーソックスはつけたろか」
「好きにして。そもそも、高次元の使いのわりには、言うこともやることも、漫画に出てくる単なるスケベなおっさんにしか思えない。本当はそうなんじゃないの? ネコ」
「あれれぇ、フォレストちゃん、それってどんな漫画なんやろ? 普段どんな漫画読んではるのぉ? もしかしてまだ年齢的には読んだらあかんヤツなんかなぁー」
「ほんとうに馬鹿なんだから」
そうして、フォレストは走り出した。
「あっ、ちょっ、待ってな、フォレスト。ワシなりの愛情やでぇ、フォレストには現実世界では充実した生活を送って欲しいんやでぇ、ワシかてこの戦いに誘った手前、お前はんのことは、父親のように考えとんねんでぇ」
「……」
やはりしれっと、聞き流して返事はしないフォレストだった。
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