第二話 手渡された預金通帳

 あの日から二日後、わたしは小林くんと一緒に見慣れた駅の改札を通った。

 にぎわいが戻ってきた駅ビルの中を通り抜け、大通りの信号を渡り、ファッションビルの中通路を歩いていく。小林くんは斜め後ろを黙ったままついてきている。

 ここを抜けてまっすぐ行けば近道だ。

 右にはまだ夕方なのに開いている居酒屋さん、左の先にはラブホも見える。


「行こう」


 いちど立ち止まって、彼の背中を押すように声をかけた。


 

 小林くんが理科室を出て行った後も、どうしていいか分からずに立ったままだった。

 そこへするするっと楓が寄ってくる。


「なになにぃ、やりますなぁ朋華さんも。それにしてもまさか、小林くんがねぇ。うーん、なるほどねぇ」


 わたしをひじで小突きながら見上げてくる。マスクの下ではにやにやしてるんでしょ、バレバレだからね。


「いや、ただ『話がある』って言われただけだから」

「何の話よ」

「うーん……。勉強を教えてくれ、とか?」

「小林くんの方が成績良いよね」

「……うん。じゃ、絵のこととか」

「それなら今の部活のときに話せばいいよね」

「……うん」


 えー、マジにどうしよう。

 こういうのって、もっと前フリがあるんじゃないの? 急に親しくなるきっかけがあったとか。

 もう突然すぎて、心の準備が。


「楓、一緒に来てよ」

「なに言ってんの! こういうことは一人で受け止めてこそ、女として成長していくのよ」

「なにそれ。もう他人事ひとごとだと思ってぇ」

「ま、頑張って。明日、ゆっくり話を聞かせてね」


 そう言うと「お先にぃ」と手を振りながら帰ってしまった。

 仕方ない。行くしかないか。

 小林くんの印象って、青いメタルフレームの眼鏡くらいなんだよなぁ。

 あとはまじめで頭も良くて、とぅるんとしたゆで卵みたいな顔、かな。

 正直、見た目的にはタイプじゃないし。


 そんなことを考えているうちに教室の前まで来た。

 立ち止まって深呼吸。

 なんでわたしの方がこんなに緊張しなきゃいけないんだ?

 思わず苦笑いを浮かべる。

 よし、入るか。


「あ、加納さん。ごめんね、残ってもらっちゃって」


 小林くんは教室の後ろの方で窓際に立っていた。


「なに、話って」

「うん……」


 彼の方へ近づいていくと、わたしから視線を外した。

 手には何か手帳くらいの大きさのものを持っている。


「あのさ……」


 意を決したように小林くんが顔を上げた。


「加納さん、知り合いに探偵がいるって言ってたよね」


 へ?

 どんがらがっしゃーんと、頭の中で思いっきりずっこけた。

 そ、そういうことだったのか。


「どうしたの?」

「う、うん、なんでもない。探偵ね、いるよ。といってもあまり探偵っぽいことしていない、ただの世話好きなおじさんだけど」

「僕に紹介して欲しいんだ」


 いったいなんで小林くんが探偵を?

 依頼するお金はどうするんだろう。

 まぁおじさんなら、話によっては無料ただで引き受けるんだろうけれど。


「いいけど、よかったら理由も聞かせてくれる?」

「紹介してもらうからには、加納さんには話そうと思ってた」


 小林くんは手に持っていたものをすっと差し出した。

 見ると預金通帳だ。


「なに、これ」

「中を見て」


 通帳の名義は小林くんになっている。


「うわっ、すごい。百万円もあるじゃない!」


 毎月五千円ずつ入金されているのがずらっと並んでいて、最後の残高は百万を超えていた。


「僕が貯めたわけじゃないよ。母さんが貯めてくれていたんだ」

「この通帳がどうかしたの?」


 またわたしから視線を外した。


「母さんが……急にこの通帳を渡してきたんだ。あなたのためのお金だから必要なときに使いなさい、って。いきなりだよ。おかしくない!?」


 おかしいといえばそうかもしれないけれど。


「百万円になったから、キリがいいと思ったのかも」

「最近は様子が変なんだ。何か考え込んでいることが多くて、一緒にテレビを見ていてもボーっとしていて話がかみ合わないし」


 家族だからこそわかる、微妙な違和感があるのかな。


「母さん……死ぬつもりなのかも」

「えぇっ!」

「昨日の夜、通帳のことを聞いてみたんだ。何で急に渡したのか、って。そうしたら『もし私がいなくてもご飯食べたりするのにお金がいるでしょ』って笑いながら言うんだよ。なんか無理して笑顔を作ってる気がして。そんなこと言うなんて絶対変だよ!」


 たしかに『』なんて、ちょっと変だ。


「お父さんには相談したの?」

「父さんは二年前から札幌へ単身赴任していて。帰ってくるのも月に一回くらいだし、このことはまだ話してない」

「それで探偵に……」


 黙ったまま、小林くんはうなずいた。


「わかった。おじさんを紹介するよ。大丈夫。こういうことなら絶対に力になってくれる人だから」

「ありがとう」

「きっとお母さんにも何か理由があるんだよ」

「いきなりこんな話をしてごめん。でも加納さんに話を聞いてもらえて、少し気持ちが楽になった」


 いやいや、こちらこそ早合点して勝手にドキドキしちゃったりしてゴメン。と心の中で謝っておいた。

 でもこれはこれで、楓には笑われるよ、きっと。

 それにしても、小林くんのお母さん、なんで急に預金通帳なんか渡したんだろう。



「ここだよ」

 見馴れたビル、入り口のガラス扉には『水城みずき探偵事務所』と白い文字で書いてある。その文字越しに、パソコンに向かっているおじさんの背中が見えた。

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