ぼくは魔法が使える

安路 海途

1(だから、大抵のことは問題じゃない)

 ――ぼくは魔法が使える。

 そのことを教えてくれたのは、お母さんだ。お母さんは今は家にいなくて、葦原あしはら病院に入院している。たいした病気じゃないとはいえ、病気は病気だから。

 ぼくはその気になれば、嵐を呼ぶことも、枯れ木にリンゴを実らすことも、蜥蜴に人の言葉をしゃべらすこともできる。ぼくにできないことはない。ちょっと集中して、呪文を唱えさえすればいいのだ。

 だから、大抵のことは問題じゃない。

 例えばある朝、普通に中学校に登校してみたら、自分の机いっぱいに「死ね」とか「自殺しろ」とか書かれていても、そんなのはたいしたことじゃない。雑巾で拭いてしまえば、それですむことだ。

 ほかにも、いきなり後ろから叩かれたり、何も言わずに物を投げつけられたり、知らないうちに筆箱の中身を盗られたり、引きだしにごみを入れられていたり、イスにのりをつけられたり、掃除用具のロッカーに閉じ込められたり、ノートに千枚通しで穴をあけられたりしても――

 そんなのは、ちょっと心が傷つくだけで、全然たいしたことじゃない。


 ぼくのまわりでそんなふうなことが起きはじめたのは、小学校四年生の頃からだった。

 当時、ぼくには同じクラスにサエちゃんという仲の良い友達がいた。家が近くで、よくお互いの家に遊びに行ったりもした。サエちゃんは髪をポニーテールにくくった、活発な女の子だった。

 そのサエちゃんが、ある日ぼくに向かって、「もう遊ばないから」と言いだした。理由を訊いても、何も教えてくれない。ぼくには訳がわからなかった。

 サエちゃんは別の女子グループに移って、そのグループは急にぼくのことをからかうようになった。「キチガイが感染る」と言われたりした。ぼくの触ったものは、汚い菌でもついてるみたいに扱われた。「ハカバ」と言われたりもした。ぼくの名前が「奥津城おくつき」というからだ。

 その女子グループの行動はクラス全体に広がって、そうするのがクラスの義務であるみたいに、みんながぼくのことを悪く言った。ぼくがただ歩いているだけで、足をかけたり、体当たりをしてきたり。その中には、サエちゃんの姿もあった。

 ぼくはやっぱり訳がわからなかったけど、平気だった。その気になりさえすれば、ぼくは魔法が使えるのだ。それで何もかも片づけてしまえばいい。

 学年が進んでもそんな状況は変わらずに、むしろ悪くなっていった。ガキ大将みたいな子は、勇気を示すためにぼくの持ち物を平気で壊した。何か隠して、ぼくがおろおろするのを笑って眺めてる子もいた。

 その頃には、ぼくの噂は全校に広まっていたらしく、廊下で転んだ下級生を助け起こそうとしたら、死神でも見るような目でにらまれたことがある。どうやらぼくは、歩く病原菌みたいに考えられていたらしい。みんな不幸が伝染しないように予防線をはっているみたいだった。

 そんな状況も、中学に行けば変わるだろうとぼくは思っていた。知らない人間が増えれば、ぼくに対する関心も減るはずだ。実際、それは正しかった。

 中学の新しいクラスは知りあいが比較的少なくて、ぼくはごく普通の人間として扱われていた。友達もできて、知らないうちにノートに落書きされるなんてこともなかった。小学校時代のことはすっかり息をひそめていた。

 ぼくは友達に誘われる格好で、バスケ部に入った。特にバスケットに興味があったわけじゃなくて、誘いを断わりきれなかった形だ。でも練習がきついとかいうことはなかったので、不満というわけでもなかった。

 バスケ部の三年生に、新良木あらきという先輩がいた。不良っぽい雰囲気で、いつもとりまきみたいな連中といっしょだった。「新良木先輩には逆らわないほうがいいよ」と、いっしょに入った友達が教えてくれた。「知りあいに怖い人がたくさんいるらしいから」

 部活のあと、みんなでコートの掃除をするのだけど、新良木先輩とその仲間たちはいつも遊んでいて、先生がいるときだけはまじめなふりをした。みんなそれを苦々しく思ってはいたけど、先輩とその怖い知りあいのことを考えて黙っていた。触らぬ神に祟りなし、というわけだ。

 でもぼくはそんなふうに黙っていることも、自分勝手にされることも納得できなくて、とうとう先生に報告することにした。特別に厳しい先生ではなかったけれど、そういうことにはうるさい先生だった。

 翌日、ぼくは着替えの途中で新良木先輩に話しかけられた。いつものとりまき二人もいっしょだった。

「奥津城、先生に掃除のことチクったんだってな」

 のしかかるように、新良木先輩がぼくに言った。その脇から向こうを見ると、みんなが凍りついたような目でぼくのことを見ている。

「お前、チョーシのってんじゃないの?」

 いつその手が摑みかかってくるかと思って、ぼくは身を固くした。新良木先輩はそんなぼくの様子をじっくり観察してから、

「これからどうなるか、覚悟しとけよ」

 と捨てセリフみたいに言い残して、去っていった。

 ぼくは全身から力が抜けたみたいに立っているのもやっとで、「大丈夫だった?」と声をかけてくる友達にも答えられなかった。

 そしてもちろん、ぼくの状況はあまり「大丈夫」とは言えないものになった。

 新良木先輩は言葉通りに、ぼくに「覚悟」をさせるようになった。練習中、どこからボールやキックが飛んでくるかわからなかった。服が汚れていたり、バッグがごみ箱に捨てられていたこともあった。次に何が起きるのかと思うと、ぼくは訳もなく怯えてしまった。

 おまけに、まず二年生のあいだで新良木先輩に同調する動きが起こった。ぼくが話しかけたり質問したりしても、適当に返事をするだけで誰も答えてくれない。ぼくが近づいていくと、あからさまに逃げていく人もいた。

 それが一年生のあいだに広まるのに、たいした時間はかからなかった。

 ぼくはのけ者にされ、練習にもまぜてもらえないようになった。パスももらえないし、走っていると、磁石が反発するみたいにみんな離れていった。一人で練習しようとすると、「なに勝手なことしてんの?」とコートから追いだされた。いっしょに入った友達は、ぼくと距離をとった。「こっちまでいじめられるから」と言って。ぼくは運動場で、たった一人で走っていることが多くなった。

 何故だかわからないけど、そうした動きはクラスでも広がりはじめた。昨日まで普通にしゃべっていたクラスメートが、急によそよそしくなった。何か班を作る必要があると、ぼくは余りものになった。そしてぼくといっしょになると、誰でも露骨に顔をしかめた。

 それが新良木先輩による働きかけなのか、小学校時代と同じことが起こっているのか、それとも両方なのかは、ぼくにはわからなかった。ただ、事態はどんどん悪くなっていて、それをとめることはできなかった。

 部活での居場所はすっかりなくなって、結局ぼくはバスケ部を辞めることにした。顧問の先生に理由を訊かれたけど、「ほかのことで忙しくなって」とだけ答えておいた。先生はそれ以上何も聞こうとはせず、小テストの採点を続けた。

 退部して新良木先輩との接点が切れたにもかかわらず、一度発生したクラスでの雰囲気は変わらなかった。小学校時代の噂が蒸しかえされ、「ハカバ」とか「バイ菌」とかいう言葉が復活した。

 そしてしばらくすると、ぼくは玄関で上履きの片方がなくなっているのを発見した。

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