五話
王宮では、着々と翌日の食事会の準備が進められていた。王族たちは王宮に集まり、召使いも休む暇なく働いていた。
そのころ、門の警備の者が、王宮へ向かってまっすぐ丘を登ってくる人影を見つけた。
「あれは……フーマ様では?」
二人の門番は驚き、フーマを止めようと前へ出た。その瞬間、フーマは門番の一人を殴り飛ばし、もう一人の首に手をかけ、あっと言う暇もなくへし折った。
「何を……!?」
地面から起き上がろうとする門番の腕を、フーマは踏み潰した。彼は痛みに呻く門番の口を抑え、空いている手で警棒を奪い取り、門番の頭を殴打した。門番は膝から崩れ落ちた。
フーマは門をくぐった。警棒を投げ捨て、正面のエントランスには向かわず、別の方向に向かった。その途中で、フーマは龍神に会った。フーマはすでに怒りで自我が吹き飛んでいたために、このことは覚えていなかった。
龍神はフーマに斧を渡した。
「破壊をもたらせ」
龍神はそれだけ言うと、フーマから離れた。フーマは言われた通り、像や記念碑など、目につくものを全て片っ端から斧で破壊しながら王宮内部に侵入した。
王宮は大混乱に陥った。殺人鬼と化したフーマは、召使いだろうが王族だろうが構わずその手にかけていった。
「止まれっ、やめるんだ!!」
「抑えろ!!」
怒号が飛び交う会場に、割れた皿と血液が飛散した。駆けつけた警備員たちが銃を構えたが、その照準がフーマに定まることはなかった。獣のような身のこなしでフーマは会場を駆け、警備員に体当たりをしてその場になぎ倒し、斧を振るって銃を粉々にばらした。
「撃ってやるううう」
突然始まった殺戮に発狂した警備員が、誰に当たるのも構わず銃を乱射し始めた。まさに阿鼻叫喚。被弾した召使いが転び、王族の首がはね飛ばされた。フーマはテーブルの上を駆け抜け、斧を力の限り振り下ろした。警備員は間一髪でそれを避けたが、足をもつれさせて派手に転び、壁に頭を打って脳震盪を起こした。フーマの振り下ろした斧は、椅子を叩き壊した。
フーマは脳震盪でふらふらしている警備員を掴み上げ、壁に叩きつけた。警備員は、くたりと頭を垂れた。そいつから手を離すと、彼は逃げ遅れた召使いたちの首を斧で切り捨てた。会場には、死体の山が積み上げられ、血の海ができた。
気が済んだのかそれとも飽きたのか、フーマは突然向きを変えると会場の外へ出た。血みどろになった彼の姿は、人間と呼べるものではなかった。もはや彼を止められる者など、誰もいなかった。
*
僕は突然目が覚めたように自我を取り戻した。それまでずっと、闇の中でもがいているような感じだったが、何をしているのかはわかっていた。怒りも憎悪も薄れるどころか次第に膨らんでいき、視界にあるもの全て無惨に壊していかないと気が済まなかった。僕は斧を引きずり、床に赤い線を引きながら進んだ。やがて僕は父親と自分の部屋まで来ていた。部屋の前には、乳母が震えながら腕を広げて立っていた。
「ダメです、この先に進んではなりません……! お願いですから、もうそのようなことはお止めください!」
乳母はこれまで一度も聞いたことのないような、とても丁寧な言葉遣いで僕に懇願した。僕はただじっと乳母を見つめて、言った。
「どけ」
乳母はびくりとしたが、首をふるふると横に振った。
「退きません。あなたがやっているのは、人としてあってはならないことです。大罪です。人を苦しめ、殺すのは……! だからもう……」
僕は乳母の胸ぐらを掴んで、足が浮くくらいに持ち上げた。
「じゃあお前も王も僕も同じ大罪人だ。みんな人を苦しめた」
僕は乳母の体を放り投げ、その体が地につかないうちからその胸に斧を振り下ろした。それだけでは足りないような気がして、足も切りつけておいた。乳母は金切り声をあげて痙攣し、事切れた。
酔ったようにふらふらしながら、僕は部屋の扉を開けた。そのまま何も考えず入っていくと、横から不意に何かが覆い被さってきて、視界がぐらりと傾いた。唸りながらもがいたが、腕を抑えられ、斧を弾き飛ばされてしまった。
「この悪魔め」
父親だ、と気づいたとき、背中に焼けつくような痛みを感じた。それはあっという間に増幅して全身に駆け巡った。
「う、あああああああああ」
父親は短刀のようなものを、僕の翼の付け根に突き立て、横に切り裂いたのだ。あえぎながら父から逃れようとすると、父は必死の形相で拳を振り上げ、僕を殴った。何度も、何度も殴られた。僕は背中の痛みでろくに抵抗すらもできなかった。ただひたすら殴られていた。死ぬ、と思った。朦朧としていると、なぜ殺されなければならないんだ、という怒りが湧いてきた。
父親が疲れてきて、勢いを少し弱めたちょうどそのとき、僕はぐるっと全身を回転させ、父親をはね飛ばすようにして起き上がった。僕はほとんど本能のようなもので動いていた。短刀を奪い取り、それをめいっぱい振り下ろした。
短刀は父の手のひらを貫通し、床に突き刺さった。父は咆哮のような悲鳴をあげる。短刀を離すと、僕はバランスを失って床に手を付いた。翼は意外と平衡感覚に関わっているらしい。短刀で切り裂かれた翼はもう使い物にならなかった。
父は短刀を抜こうとしていた。僕は半分執念で立ち上がると、父の頭を渾身の力を込めて殴った。父は床に伏した。僕は自分の血をぼたぼたと落としながら斧を拾い上げ、それを頭の上に掲げた。
「やめてくれ……」
父は囁くような弱々しい声で言った。僕は構わず振り下ろそうとして、寸前でやめた。この男を、刹那の苦しみだけで逝かせるのは惜しい気がした。……地獄のような痛みを味わせよう、という考えがぼんやりした頭をよぎった。
僕は再び斧を振り上げ、父の指めがけて勢いよく下ろした。
「やめ、ろお」
父の声など耳に入っていなかった。僕は憑かれたように斧を振るっていた。ほとんど無意識で急所を避け、死なせないくらいの加減を計っていた。
ふと僕は、喉が渇いたなと思った。そこで手を止めて、斧を持ったまま父のそばを離れた。ぼんやりしながら室内を歩き回ったが、飲み物など無い。父の元に戻ろうとしたとき、僕は姿見を見てしまった。そこにいたのは、片方しか翼の無い、赤い化け物だった。
「……」
それが自分自身だということに気づくのに、しばらくかかった。気づいてから、何だか急に頭がはっきりした。同時に、ああ、これが僕なんだ、と妙に納得した。
どこからか僕の名前が聞こえて、僕は姿見から目を離した。父親が今にも消え入りそうな声で僕を呼んでいた。そういえばまだ死んでいなかったのか、と思いながら戻ると、父は涙を流していた。
「きい、てくれ、ふーま」
僕は命ごいをするのかと思って、斧を構えた。
「俺はな、お前のこと、愛してたんだ」
「……いまさら何を言ってる」
僕は憤慨して斧を握りしめる腕に力を込めた。
「どうせもう死ぬんだから黙って死ねよ」
「ああ、俺は死ぬんだ……だから最期に……聞いてくれ」
僕は斧を床に叩きつけて脅した。だけど父は動じず、弱々しく胸を上下させながら語り始めた。
「昔、俺が、長期任務に行ったとき……から……俺はずっと……永遠に覚めない悪夢の中にいるみたいな感じだった。無意識でお前に手をあげてしまって……自分が全く別の何かに操られているのを、自分の奥から傍観しているみたいな……でも自分を止めたくて……俺は苦しかった」
僕には父の言ったことが、とっさの嘘にしか聞こえなかった。イライラしながらも黙ったままその先を待った。
「長期任務中……俺は母さんに会った」
僕は少し目を見開いた。
「母さんに、帰ってきてほしいって言ったんだ……俺がいない間でもいいから……フーマはが寂しがるだろうし……乳母は良くない人だから。だけど母さんは帰らないと言った。理由は言ってくれなかった」
父はそこで言ったん口を閉じた。十年前の寂しさがよみがえって、風のように通りすぎていった。
「そのあと、ある男に、呪いをかけられた。嘘だと思うだろうが……そいつは俺に得体の知れない魔術みたいなのを施したんだ」
父は今までよりも強い口調で言い、息を震わせた。僕は斧を肩に乗せた。
「その話が本当だとしても、僕はお前を赦せない。十年、苦しんだんだ」
斧の刃先を父親に向けた。そうしなくても父の命は消えていくのはわかっていたが、これ以上喋らせたくもなかったし、自分の手で殺したという感覚が欲しかった。
斧が父の首をはねる直前、父は大きく息を吸って、はっきりとこう言った。
「青瞳緑鱗の龍人には気をつけろ」
僕は残っていたほうの翼を短刀で切り落とした。どうせすでに半分切られていて使い物にならないのだ。これでバランスは取りやすくなった。出血多量で倒れそうだったけど、気力だけで意識を保っていた。
自分の服を切り裂き、包帯代わりに背中に巻いて、新しく服を着替えた。
青瞳緑鱗の龍人──それが龍神であることには気づいたが、くらくらする頭ではまともにものを考えられず、すぐにどうでもよくなって考えるのをやめた。
僕は王の間に向かった。
僕が嫌悪され、忌まれることになった元凶。そして僕の唯一無二の友人たちを殺した外道。その、王を、父と同じように殺さないといけない気がした。
しかし、そんな僕の行く手を阻む集団が現れた。銃ではなく剣を持った人たちだった。その中で一人、刀を持った初老の男が、僕に語りかけた。
「お前、その状態ではもう暴れられぬだろう。手当てをしてやるから、もう大人しくしなさい」
僕は男を睨み付けた。それが答えだった。僕の頭にはもう、この王宮を破壊し尽くすことしかなかった。自分自身のことなどどうでも良かった。王宮と共に自分も滅ぶものだと思っていた。
「私は確かにお前にとっては敵だが、私はお前を敵だと思っていない。悪いことは言わんから、観念せい」
男が言い終わった瞬間、僕は斧を振り回した。男はひらりとかわし、ため息をついた。
「致し方ない、君たち、やれるか」
剣を持った人たちは返事をして、僕に襲いかかってきた。僕はまだ戦闘には慣れていなかったから、ものすごく苦しんだ。ただ剣を防ぎ、逃げることしかできなかった。なぜ戦っているのかも忘れ、殺されないよう必死に疲れた体を動かした。やがて僕の体力は底をつき、突然足が動かなくなって倒れた。刀の男が呻く僕の側までやってきて、すっと目を細めた。
「だから言ったろう、もう大人しくせよと」
男は手錠を取り出した。僕はそれを見てぞっとした。もうすぐここから解放されるというのに、今度は本物の檻の中? 際限ない絶望感で心が壊れそうだった。
「嫌だ……僕は……っ」
「喋ると苦しいぞ。手荒な真似はせんよ」
頭の中で雑音がして、映画のように日常が甦った。
ただ、僕は自由になりたかった。
「普通」になりたかった。
それだけだった。
想いで胸が苦しかった。望んではいけないことを望んだから、こうなったんだ、と囁く声が混ざっていた。しかし、その声を掻き消すくらい大きな声で僕は叫んでいた。
──僕が、何をしたっていうんだ!?
そのとき、刀の男が腹を抑えながら血を吐き、ひざまずいた。周りにいた剣士も地面に倒れ伏せっていたり、腕で自分を守る格好でうずくまっていた。
僕は指を鉤爪のように曲げて、腕を振り下ろした格好のまま肩で息をしていた。自分でも何をやったのかわからなかった。あとで知ったけれど、僕は魔術を使ったらしい。ズキズキと頭が痛んで、自分が本当にちゃんと立っているのかさえよくわからなかった。ただ、今のうちに逃げないと、とだけはっきり思った。
僕は全身の痛みに呻きながら、重い身体と斧を引きずって王宮の外に出た。植物園に入り、花や草を踏んづけ、最短ルートでそのまた向こうの山へ向かった。途中で血痕を残しているのに気づいたが、もはやそれを消す余裕もなかった。
僕はまた泣いていた。なんで泣いてるのかわからなかった。ただ苦しくて仕方がなかった。ここで倒れて死んでしまえたら、どんなにいいかと思った。
僕は王宮を離れ、遠いところを目指した。僕を知る者がいない、孤独な場所へ。きっと望んだ「普通」には生きられないと、心のどこかでは悟っていたけれど、僕は歩き続けた。
全てを失った僕が、失ったままでいられるように。
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